海岸にて

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中国の野心と脅威に備え、戦争を起こさないための安保法案

2015-07-27 | 政治〈国内〉

ここにきて、いきなり巷で、戦争法案云々という言葉が飛び交っている。南シナ海や尖閣など、中国の野心と脅威が高まっていることは世界的に見て事実だろう。

その現実を見ないふりをし、中国の野心に備えるための安全保障法案に、戦争法案というネーミングをかぶせ、煽ること煽ること。著名なアニメ映画監督やらよくわからない巷の大学教授などなど、おそらくもともと左の人々が、総力戦で喚きたてている。こんな根拠のない煽り戦は2009年のあの気持ちの悪い衆議院選以来のことだ。

 

多くの日本人は安全保障を考えることに慣れていない。”戦争法案”などとネーミングされれば煽られてしまうのは仕方がないのかもしれない。だからこそ、彼らの、本質を覆い隠して根拠なく煽り立てるやり方は、かなり悪質である。”扇動”とはこういうものなのかと思う。しかし、このような根拠のない議論や扇動を一人歩きさせてはならない。

与党と政府は、この法案が加速する中国の野心と脅威を抑え、戦争を引き起こさないための現状最善の安全保障法案であることを、正確に広報することに全力を注いでもらいたい。

 

 

    

安保法案賛成派は「悪」なのか SNSにあふれる根拠のない断言 【阿比留瑠比の極言御免】 

                                          2015.7.27 06:15

タレントで「ウルトラマンダイナ」の主演も務めたつるの剛士氏が、15日付の自身のツイッターでつぶやいた安全保障関連法案に関する発言が「炎上」している。問題とされたのは、以下の内容だ。

 「『反対反対』ばかりで『賛成』の意見や声も聞きたいなぁって報道やニュース観ていていつも思う。賛成派だって反対派だって平和への想い、戦争反対の想いは同じ」

 ごく常識的で当たり前のことを語っているだけだと感じるし、一方的な主張に偏りがちなメディアへの警鐘とも読めるいい指摘だ。ところが、これに安保関連法案の反対派はカチンときたらしい。次のような猛批判が寄せられている。

 「アホすぎる」「戦争に行く覚悟はあるのですか」「法案推進してる側は『戦争賛成』なんだよ」…。

 安保関連法案を批判する分にはどれだけ激しくても言論の自由だが、賛成したり、中立的な意見を表明したりすることはタブーであり、それは許されないこととされているかのようだ。

  

国会周辺を歩くと、安保関連法案反対派のこんな演説を聞くことがある。

 「安倍晋三首相は、軍需産業と結託して戦争を起こすことでカネもうけをたくらんでいる」

 だが、安倍首相をはじめ、この平和の恩恵を享受して繁栄してきた日本で、戦争をしたい政治家がいるとは到底考えられない。そもそも、いま戦争することにどんな利点や意義があるというのか。

 安保関連法案の賛否にしたところで、本来は平和を守るための方法論の違い、どんな政策が有効かの考え方の相違であるはずだ。賛成派が反対派より好戦的だなどとどうして言えよう。

 にもかかわらず、自分と考え方の異なる人を根拠なく「悪」と見なし、頭の中で勝手に「悪い人たち」がいると仮想し、相手を偏見に基づいて断罪する人たちがいる。

 つるの氏のツイッターへの反応にもそんな傾向が表れているが、17日付の東京新聞に掲載された思想家の内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授の4段見出しの大型談話には唖然とした。内田氏は安保関連法案の衆院通過に関連しこう述べていた。「(敗戦後)表に出すことを禁じられた『邪悪な傾向』が七十年の抑圧の果て、フタを吹き飛ばして噴出してきたというのが安倍政権の歴史的意味だ。(中略)彼らは『間違ったこと』をしたい」

 「安倍首相は、世界に憎しみと破壊をもたらすことを知っているからこそ戦争をしたいのだ」

 いったいどうしてこんな極端なことを言って、他者を根拠不明のまま攻撃できるのか甚だ不思議である。

 こうした現象をどうとらえればいいのか−。こんなことを考えていたら、内田氏自身が月刊誌「新潮45」8月号の記事で、ツイッターなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などについてこう語っていた。

 「短い文章で断定的に言う人が多い。何の根拠があってこんなに断言するのか分からないけれど、何かそれなりの確証なり、経験知なりがあるのだろうと思ってしまう」

 「条理を尽くして、意味の通る話をするより、根拠のない断言や予測不能の行動をした方がメディアに露出する上でははるかに効果的なんです」

 なるほど、そういう認識に立っての言葉だったのかと得心した。(論説委員兼政治部編集委員)  (産経ニュース)

  
 
 
 

 


「戦争できる国、たくらんでいる」・・いや、たくらんでいませんから。

2015-07-25 | 日記・エッセイ・コラム


「戦争できる国、たくらんでいる」 村山元首相がテレビで発言

 村山富市元首相は25日のテレビ東京番組で、安全保障関連法案をめぐって、野党に対し「憲法を守る一点に結集せよ」と要求した。「(政府・与党は)憲法解釈を変えて戦争ができる国にしようとたくらんでいる。憲法だけは守らなければいけない」と強調した。 安倍晋三首相が出す戦後70年談話については、「安倍さんは『日本がそんなに謝る必要があるのか』という勢力に支えられている。だからそう言わざるを得ない状況になっている」と述べた。  (産経ニュース)

 

 

 

戦争を回避するために、我が国一国の力だけでは無理、それで、あれこれ、考えているのですよ。憲法解釈を変えて戦争ができる国にしようとたくらんでいる」このぶっ飛んだ思考回路が理解できません。中国の南シナ海での野心と脅威という現在の状況を前に、村山氏の言う「憲法を守る一点に結集せよ」という言葉の何と空虚なこと。 憲法は国民のためにあるもの、もし、そうでなくなっているなら、変える議論をすべきだろう。(言っても詮無いことだけれど、この人は首相になるべきではなかった)

今、一番重要なことは、日本国民の安全と存続のために、戦争を回避するために、何をするべきか何ができるかということ。国民の安全と自国の存続を、アメリカ国民に丸投げするのではなく、自身が責任を持ち、他国と協力しながら対処していこうということ。安保安全保障関連法案の本質はそれである。

一国民として日本国民と日本国の安全と存続が大事。考えれてみれば、私達の日々の衣食住から医療も家も何もかもー日常生活の隅々まで全てが、日本国の社会とルールと法律で保障されているのだ。

彼らはなぜそれを考えないのだろう。村山氏も、それから村上春樹氏や宮崎駿氏らの言動も、ー彼らはなぜ、現実生活を飛び越えて、抽象的で非現実的なことしか言わないのだろう。

  

例えば、村上春樹さんの2009年のスピーチ、「(個人?)と(システム、社会集団?)」の単純で短絡的な対比(肥大化した個人とでもいうべきか)。このスピーチ(エルサレム賞スピーチ)には本当に失望した。

(2009年2月エルサレム賞スピーチより、一部抜粋)

 

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。


 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。


 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。


 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。


 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

 

 

 

村上春樹氏は、「個人」の感覚や思考に深く向かうあまりなのか、彼は外の世界システムを毛嫌いし、そして敵視する。でも、村上氏に言いたい。我々の個人の日常生活はそのシステムに守られているー例えば日々の食べ物さえそのシステムの手を借りて調達できているのですよ。

彼は小説家なので、内なる個人の複雑深淵な心のあれこれがひたすら大事なのだろう、それは結構。しかし、同時に、外の世界(社会)のシステムも、個人個人の内的外的生活がうまく存続するために、そして、大勢の一人一人の生活が生き延びるために、いろいろと複雑深淵で、必要不可欠なのです。

個人とシステム=卵と壁、ーこのような単純な概念の対立対比によって、簡単に大声で、世界を語らないでもらいたい。

村上春樹氏は(2013年京都での公開インタビューで)「文章を書くのが仕事だし、他の事にはあまり首を突っ込みたくない」と述べたそうです。いやいや、どの口でいうのやら。スピーチなど最も目立つ場所で既にあれこれ政治的な発言をしているでしょう。そして既に影響力のある存在として、国レベルでその発言は利用されつつあります。彼は自身の発言の危うさに気づいているのでしょうか。

個人的に宮崎アニメ音楽を楽しみ、村上氏の小説を楽しんだ者として、彼らへの失望感は半端ない。

 

 


安保法案、15日、特別委採決

2015-07-15 | 政治〈国内〉

“戦争前夜”と更新 煽る左翼マスコミ…「安保法制の目的は戦争抑止だ」本紙・阿比留論説委員講演要旨 関西中堅企業の会                                                            2015.7.15 10:57         

大阪市内で14日に開かれた、独創的な技術や商品開発に取り組む企業の親睦団体「関西中堅企業の会」の夏期講演会。産経新聞の阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員の講演「安倍政権と日本の進路」の主な内容は次の通り。

 ◇

 今、時代は大きな転換期を迎えています。日本は憲法前文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」というフィクションの世界からようやく抜け出そうとしています。「何とか戦争を抑止しよう、それでも戦争が避けられないときに対応できるようにしよう」というのが国会で審議されている安全保障関連法案です。

 中国が東シナ海の日中中間線付近に新たな建造物をつくっています。あんなところに中国がレーダーサイトをつくると、在日米軍の動きなどが丸見えになります。中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)を一切譲る気がない。場合によっては沖縄にも手を出しかねません。

 南シナ海で中国は現在進行形の侵略を続けています。南沙諸島の岩礁に滑走路などをつくっています。それなのに国会では「なぜ今、安保法制なのか」という議論がされている。中国の侵略についてはほとんど議論されません

 ある外務省幹部が先月、欧米諸国を回って法案の説明に回った際、現地の外交官や政府高官から「そんな制約が多くて何ができるの」と必ず聞かれたそうです。その法案に「戦争前夜」とあおっているのが、朝日新聞に代表される左翼マスコミです。

 安保法制のもう一つの目的は米国を何とかひきつけること。日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、米国も義理に感じて日米安保条約を履行するようになります。

 安倍晋三政権は今後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題でも決断を迫られます。外交・安保は地方自治になじまないことを、沖縄県民は考えてほしい。

 戦後70年談話も注目されています。いまだに続く「戦後」の正体は戦勝国と戦敗国の枠組みです。談話は「もはや戦後ではない」という前向きのメッセージにしてほしいです。

 安倍政権は今国会で安保法制ができれば、憲法9条を変える緊急性が少なくなるという判断でした。それでも「違憲」という憲法学者がいる状況なら、いよいよ憲法を変えなければならない動きになります。

 来年7月の参院選は、与野党対立から衆院選とダブルになる可能性も出てきました。そうなればこれは歴史的な意味を持ちます。憲法改正の道がひらかれるかどうかの選挙になります。憲法を改正して初めて「もはや戦後ではない」といえるのではないでしょうか。       (産経ニュース)

 

 

 

【安保法案特別委採決】辻元氏、涙声で「お願いだからやめて!」と絶叫 

                                                                         2015.7.15 13:20

  民主、プラカード掲げ抵抗民主党は15日の衆院平和安全法制特別委員会で行われた安全保障関連法案の採決に際し、「強行採決反対!!」などのプラカードを掲げて対抗した。採決を阻止しようと浜田靖一委員長(自民)に詰めよって「反対」を連呼し、最後まで抵抗した。

 特別委がヒートアップしたのは正午過ぎ。浜田氏が大声で質疑の終結を宣告すると、民主党は用意していた「強行採決反対!!」「自民党感じ悪いよね」「アベ政治を許さない」などと表記したプラカードを一斉に掲げて抵抗。安住淳国対委員長代理ら委員以外の“応援組”も多数加勢した。民主党議員は浜田氏を取り囲み、マイクや議事進行の資料を奪おうとしたが、浜田氏は必死に議事を続行。辻元清美氏が浜田氏の目の前で涙声で「お願いだから、やめて!」と叫び、「反対、反対、反対…」のコールがわき起こった。

 民主党議員は浜田氏を取り囲み、マイクや議事進行の資料を奪おうとしたが、浜田氏は必死に議事を続行。辻元清美氏が浜田氏の目の前で涙声で「お願いだから、やめて!」と叫び、「反対、反対、反対…」のコールがわき起こった (続きあり)(産経ニュース) 

    

     

 

安保法案が15日に委員会採決。明日、衆議院通過の見通しとか。安倍首相と安倍内閣、内閣を支える自民党議員に応援を送りたいと思います。

 

 

日本は憲法前文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」というフィクションの世界からようやく抜け出そうとしています。「何とか戦争を抑止しよう、それでも戦争が避けられないときに対応できるようにしよう」というのが国会で審議されている安全保障関連法案です。(阿比留氏)

 

「フィクションの世界からようやく抜け出そうとしている」このことこそ、安保法案の本質です。フィクションの世界から普通の世界へ。敗戦後「防衛」をアメリカに丸投げして70年、それを当たり前としか感じられなかった国民。まるでフィクション国家の日本。

尖閣など、現実を見れば、この法案は本当に今の日本の最重要優先課題であります。

対案も示さず、国会でただ感情的に喚きちらし、ヒートアップするばかりの民主党ら野党の尋常ではない騒動。審議は拒否し、採決したら「強行採決」? 彼らは何をしているのか?何者なのかと思う。そして野党5党は明日も衆議院欠席予定とか。意味不明。野党とはいえ本当に情けない。