戦後70年が経過し、世界の情勢はめまぐるしく変わりつつあります。北朝鮮、韓国、現在の朝鮮半島の状況と中国、ロシアや日本を取り囲む世界情勢を、日本はどう切り抜けていくのか? 日米同盟という同盟があるとはいえ、日米同盟の傘の元、自国の安全保障を考えなくてよかった時期、または他人事のように静観していられた時期は過ぎ去ろうとしています。
日本人が日本国憲法について知っていることは、漠然と憲法前文に彩られたいわゆる”平和憲法”のイメージがあまりに大きく、この憲法が敗戦後すぐ、GHQの支配の下で作成されて交付されたことや、憲法に織り込まれたGHQの意図など、日本国憲法について正確な情報を知る人は、それほど多くはいないと思います。
「日本国憲法」Wikipedeiaより
日本国憲法は、存在の肯定を契約に求めたジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を基礎にしている。また、ブルジョア憲法(資本主義憲法)の一種[2][3]である。他の多くの国の憲法と同じように、硬性憲法であり[4]、人権規定と統治規定を含む。また象徴天皇制や間接民主制、権力分立制、地方自治制度、国務大臣の文民規定が盛り込まれ、加えて戦力放棄、刑事手続(犯罪捜査・裁判の手続)についての詳細な規定等もなされている。
1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。
GHQは、占領以来半年、日本の天皇制がいかに根強いものであるかを知り尽くしており、もし天皇制を廃止して共和制を実施したら大混乱をきたし、アメリカの占領統治が収拾不能に陥ることは火を観るより明らかであると認識していたが、ソ連が1946年2月26日に第一回総会の開会が予定されていた極東委員会において、日本に共和制を布くことを決定させて、日本を大混乱に陥れ、それに乗じて北海道侵入を敢行しようと策動し、ソ連、中国、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドなどによって支持されそうな形勢が現れたという情報をつかんだ。GHQはこれを阻止するために、先手を打って日本の憲法を早急に改正し、天皇の権能を全面的に剥奪して、極東委員会に対しては、日本の民主化は完全に終わり、あえて共和制を布く必要はないとの了解を求め、他方、日本国民に対しては、象徴天皇の名称を憲法に残すことによって、天皇制は存続され、日本の国体は変革されない、と納得させる以外に手はないとの結論に達した[5]。
マッカーサー元帥の命令によってわずか1週間で作成された英文の民政局草案を骨子として、連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で、徹夜して1日半で「憲法改正草案要綱」を作成した[6]。民政局草案を起草したのは、民政局長のコートニー・ホイットニーと民政局員のマイロ・ラウエルを中心としたアメリカ人スタッフである[7][8]。
その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、枢密院が10月29日に新憲法案を可決、改正が成立した。
極東委員会は1946年10月17日、「日本の新憲法の再検討に関する規定」の政策決定を採択していたが、吉田内閣及び昭和天皇は1946年(昭和21年)11月3日、公布文の上諭を付したうえで日本国憲法を公布した[9]。上諭文は10月29日の閣議で決定し、10月31日昼に吉田総理が上奏し裁可を得た。
(注:Wikipedeiaは編集可能な百科事典です)
このブログを始めた初期2007年10月に、日本国憲法をめぐって疑問に思ったこと、憲法前文と特に注目されがちな第九条や、戦後レジームという戦後の日本の状況などについて、(12年前ですが)私一個人が思ったこと考えたことを書いた記事があり、不足なこともあり、拙いとは思いますが、以下に貼っておきます。日本の現在の状況と、安倍内閣が掲げる憲法改正について、日本人が考える一助となればと思います。
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「戦後レジーム」とは何だろうか?
日本国憲法
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
日本国憲法は1947年、終戦後約一年半後に施行されているが、
Wikipedia「日本国憲法」によると、
(Wikipedia「日本国憲法」より一部抜粋(2007年10月時点) 注:Wikipediaは編集可能な百科事典です)
占領下における日本国憲法の効力
日本国憲法が1947年5月3日施行されたものの、日本が独立を回復する1952年4月28日まで、占領下であったことから完全な効力を有していなかった。最高裁は、1953年4月8日の大法廷判決(刑集7巻4号775頁)において、日本国の統治の権限は、一般には憲法によって行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するためには適当と認める措置をとる関係においては、その権力によって制限を受ける法律状態におかれているとして、連合国司令官は、日本国憲法にかかわることなく法律上全く自由に自ら適当な措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施することができるようにあったと判断している。そして、いわゆるポツダム命令の根拠となった「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)について、憲法の外で効力を有したものと判断している。
その意味で、日本国憲法が完全に効力を有するようになったのは、1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発行により、日本に対する占領が終了したときということができる。
私は憲法前文を中学の時に暗記した記憶がある。戦後の日本国民はこの憲法を正義として思考し行動しようしてきた。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
われらの安全と生存を、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉は、現実的とは言い難いが、理想としては名文だと思う。
戦後、敗戦でボロボロになった日本と日本人が、この理想にあふれた憲法をすんなり受け入れたことは理解できる。日本人は戦争に傷つき、うんざりし、どん底まで疲れ果てていた。
9条の武力の行使放棄に関しては、武力に関することを1951年に日米安全保障条約(旧安保条約)を結ぶことにより、(自衛隊以外)防衛をアメリカに丸投げすることで、国家の要である安全保障は少なくとも戦後60年間日本と日本人の思考から消えた。日本は武力のことを考えない、アメリカは日本に武力のことを考えさせたくない。日本、アメリカ双方の望んだことだったのだろうと思う。
見方を変えれば、憲法9条は、戦勝国が敗戦国に対して、その国が二度と自国のために武力を持たせず、ふるわせずという意図のもとに作られた条文としても、すばらしい名文であると思う。平和へのこのような希求は、常に世界中の人々の心の中に多かれ少なかれ理想としてあるからである。武力の行使放棄という崇高な理想を、たとえ60数年であっても、現実のものとして実行しようとした国は、世界でおそらく日本だけかもしれない。
しかし、日本は武力の行使を放棄するという9条を、日本独自の力で実現できたわけではない。アメリカとの条約によって、防衛をアメリカ軍にゆだねることによって、結果的に実現できたにすぎない。
Wikiより
.1951年9月8日、アメリカのサンフランシスコ市において、アメリカをはじめとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際、主席全権委員であった吉田茂内閣総理大臣が単独で、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)に署名した。この条約に基づき、占領軍のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合軍(主にイギリス軍)部隊が撤収した後も日本に留まった。 (Wikipedia「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」より一部抜粋 注:Wikipediaは編集可能な百科事典です)
憲法9条を守ると主張する憲法改正反対勢力、例えば「9条の会」は、
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。……(中略)・・・・
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。・・・・(中略)・・・・・
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。と主張している。
まず、思うことは、この主張においては、一方でアメリカとの軍事同盟を「アメリカの戦争に追従」としながらも、もとはといえば日米同盟が日本の防衛のために結ばれ、アメリカの武力の傘のもとで日本の平和が維持されたことには全く触れていないことである。この60年間、日本は武力と無縁であったわけではない。外国人アメリカの軍人の犠牲の上に平和を享受していたにすぎない。そのことに全く触れないで日本の未来を語る「9条の会」の話を、鵜呑みにすることはできないだろう。
1952年サンフランシスコ平和条約の発効、それによって日本国憲法が現実的に効力を持ったとほぼ同時に、アメリカ軍は在日アメリカ軍として日本の防衛を担っており、日本国憲法のいう戦争放棄は、現実的にはアメリカとの条約を抜きには語れない。憲法のいう世界がいかに素晴らしいものであったとしても、日本が日本独自で、アメリカの武力なしで、この崇高な理想を実践できたわけではない。ソ連が崩壊後は、中国・北朝鮮が我が国の隣にある。このような軍備増強の国に囲まれながらも、それでもこの憲法を実現できたのは、日米同盟というアメリカ庇護のもとに日本があったからである。
その事情を抜きにして(日米同盟の傘を語ることなく)9条を語ることはできないのではないか。いかに憲法9条が素晴らしい理想であったとしても、現実において、9条の戦争放棄がアメリカ軍と共にしかなしえなかった現実を共に語り、ならば日本の防衛にどう考えるかについて語るべきではないのか。
彼らは、武力の話になるや否や、一足飛びに60年前の日本に立ち返って、「侵略戦争をした日本」と現代の日本と同一視して非難する。安全保障面で、日本が少しでも現実的な対応を見せれば、ヒステリックとも思われるような反応を見せる。60年前に立ち返り、憲法を掲げ、戦前の悪行とやらをもちだし、日本政府を罵り始める。敗戦国日本の特別な状況・枠組み=戦後レジームから一歩でも踏み出そうものなら、戦前の日本になると決めつけ責め立てる。60年前に戦勝国側が日本に示した態度と同じように。
戦前の日本は身を持って戦前の世界の中で生き抜いた。父母や祖父母がそうやって生死を持ってつないだ土地に立って、私たちは次の世代へ我が国を渡さなくてはならない。
かれらは日本に対して武力放棄を要求する一方で、日本をとりまく武力増強する国に対してはそれを要求しない。我が国以外の武力には目をつぶりながら、我が国に対しては一部の隙も見逃さず、自衛隊をテロ対策のために派遣することさえ許さない。
これは一体どういうことなのだろうか?なぜ、彼らは現実を語らないままで、日本だけを過去の世界に押し込めたようとするのか。それは一体誰のためになると考えてのことなのだろうか?未来の日本を理想に殉じる架空の国とするつもりなのだろうか。
アメリカに依存し日本人がむさぼってきた安穏な数十年、世界は日本と同じように安穏だったわけではない。戦後の日米関係がこれからも変わらないという保障もどこにもない。アメリカは自国の国益のために動く他国であり、中国とアメリカの利益が一致することもないとはいえないだろう。アメリカも他国、中国も他国、北朝鮮、韓国も他国である。戦勝国と敗戦国という図式も、冷戦下の図式も、すでに過去のものであり、世界は中国、中東の問題など新たな情勢下にある。日本だけが、この60年のアメリカへの依存を前提にして、またはアメリカ抜きの丸腰で、国の安全保障を考えることができるのだろうか。
自国の戦争放棄を本当に自国のものとして真剣に考えるのならば、戦後レジームの中で立ち止まったまま、敗戦後マッカーサー草案のもとに作成されアメリカに依存するしかすべがなかった9条に、無条件でしがみつくていることができるのかどうかをまず考えるべきである。過去ではなく現在の状況のもとでどうすべきかを考えるべきである。さもなければ、変わりつつある世界情勢の中で、日本は自分の立つ位置さえ定かでない危うい国となるかもしれない。
日本人の多くは、自らが戦後のアメリカ軍の保障のもとの限定された世界にいたという現実を忘れてしまったのだろうか。せめて、我が国の未来を考える時、外国勢力に国を操らせようとする勢力に、手を貸す「愚」だけは日本人として避けたいものだと思う。 (2007年10月5日)
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