スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

発生から2日後に発覚したチェルノブイリ原発事故

2011-04-02 02:22:44 | コラム
ソビエト連邦が世界に隠していた大事件が、2日以上経ってからスウェーデンを通じて世界に暴かれたという歴史的出来事

1986年4月28日(月)午前7時過ぎ - フォッシュマルク原発
スウェーデンの原子力発電所の一つ、フォッシュマルク原発はストックホルムから120kmほど北に位置する。この地域一帯は雨が降っていた。この原発の1号機でこの日の勤務を始めたばかりの男性職員がいた。トイレに行くためには「放射線管理区域」内から一度外に出る必要があり、放射線測定器によるチェックを受けなければならない。通常は、ここで何も変わったことは起きないものの、この時は強い放射線が彼の靴から検出され、警報が鳴った。

考えられる可能性としては、放射性物質を含んだホコリか何かを施設内で踏みつけたことだが、彼がそれまで作業していたのは施設内の洗浄室と呼ばれる区域であり、そのような可能性は小さかった。測定器によるチェックを何度も繰り返したが、その度に測定器が大きな音を立てた。別の測定器を使ってみたものの、結果は同じだった。


通報を受けた保安員が原発敷地内の別の建物からこの1号機の現場に駆けつけたが、不可解なことに放射性測定器はこの保安員の靴からも高い放射線を検出し、大きな音を立てたのだった。この測定器が故障しているのか・・・? それとも、問題は1号機の外部にあるのか・・・?

まもなくして、同じ原発の3号機の内部でも放射線測定器が職員の一人の靴から高い放射線量を検出した、との報告が入ってきた。どうやら、問題は1号機に限ったことではないようだ・・・。

そう考えた保安員は、携帯型の測定器(ガイガー・カウンター)を持って屋外に出てみた。すると、屋外でも異常なレベルの放射線量が検出された。敷地内の草から採取したサンプルからは、放射性のセシウム-137だけでなく、半減期の短いヨード-131も大量に検出され、漏出から間もない(10~48時間)ことが分かった。だから、このフォッシュマルク原発にある3基の原子炉のいずれかから放射能が建物外に漏れている疑いが濃厚になってきた。

午前9時30分
原発内の定例ミーティングにおいて高い放射線量が検出されたと報告があった。直ちに警戒レベル「異常事態に備えよ」へ引き上げ、危機対策本部を設置することが決まった。(原子炉の運転停止もこのときに決定された模様)

この頃、施設内部では放射能漏れの発生源を特定するための作業が続けられていた。原子炉からの漏れがないかどうか、換気口に取り付けられたフィルターの検査が行われたが、3基の原子炉のいずれからも漏洩は確認されなかった。

念のため、ストックホルムから南300kmに位置する別の原発、オスカシュハムン原発に問い合わせてみたが、そこでは何の異常事態も確認されていないという返事が返ってきた。だから、問題はやはりフォッシュマルク原発にあると人々はますます思い込むようになった。(実は、フォッシュマルク原発とは違い、オスカシュハムン原発周辺では雨が降っていなかった!

午前10時15分
フォッシュマルク原発が位置するオストハンマル市ウプサラ県、およびウプサラ県の緊急司令センター(警察・消防・救急の電話通報を管理している所)、さらに国の原子力監督機関である原子力検査庁放射線防護庁(SSI)に緊急事態の報告がなされた。

午前10時30分
原発内に設立された危機対策本部は、近くの集落(原発から5km離れている)から原発へ繋がる道路の閉鎖を決定し、検問所を設けた。また従業員の避難に備えて、原発から10km離れた場所に設置されている汚染除去施設(従業員の衣服についた汚染物質を除去するための施設)への人員配置に取り掛かった。

同じ頃、フォッシュマルク原発の放射能漏れを伝える最初のニュースがラジオで国内に流れた。付近の住民は屋内に退避し、新たな情報や指示を待つように呼びかけた。

施設内部では、化学専門家や物理専門家、原発技術専門家などによる漏洩源の本格的な捜査が始まっていた。

午前10時45分
行政機関や周辺自治体への情報提供や、周辺住民からの問い合わせに対応するために、フォッシュマルク原発の広報担当部への人員増強が行われた。

午前11時00分
危機対策本部は、放射能漏れの発生源が特定できないまま、原発の安全確保に最低限必要な作業員と消防などの緊急救助チームを除くすべての従業員の退避(800人ほど)を決定。原発施設内のすべてのスピーカーを通じて、10km離れた汚染除去施設に向かうように命令があった。従業員はここで一人ずつ、放射線のチェックを受け、放射線が検出されれば身体の洗浄を受けることになっていた。

午前11時~午後1時
国外のメディアも「スウェーデンの原発で放射能漏れ」を報じ始めていた。原発から120kmほど離れたストックホルムでも人々が動揺し始めていた。

実はこの「スウェーデンの原発で放射能漏れ」というニュースが、スウェーデンから1000km離れたチェルノブイリで起きた原発事故の兆候を世界に伝えた第一報となった。

フォッシュマルク原発の3基の原子炉

同日 正午過ぎ - 防衛研究所(ストックホルム)
スウェーデン国防軍に所属する防衛研究所は、国内7カ所に放射性物質の観測所を持っている。目的は、世界の各地で行われる核実験によって飛来してくる放射性物質の量を観測するためだ。極秘に行われた実験でも、これで発見できる。しかし、80年代に入り、かつて50年代や60年代に盛んに行われていた核実験の数は大きく減少し、観測される放射性物質の量もかなり低い水準まで低下していた。

ストックホルムの観測所の研究員は、28日(月)の朝7時過ぎに観測装置のフィルターをいつものように交換した。このフィルターには26日(土)と27日(日)にストックホルム上空の大気から収集された微粒子が附着している。これを分析器にかけるわけだが、ラドンの副生成物から発生する放射線が観測値に与える誤差を避けるために、通常この物質の崩壊を数時間ほど待ってから分析を行うことになっていた。

だから、この日の朝に回収されたフィルターは、午前中の間、防衛研究所の実験室でそのまま保管され、研究員は別の仕事をしていた。しかし、正午過ぎにラジオのニュースを耳にした。「フォッシュマルク原発で放射能漏れ」と伝えている。ほぼ同じ頃、同じ防衛研究所の幹部のもとに放射線防護庁(SSI)から緊急事態を知らせるメッセージが入った。「SSI本部で緊急会議。急行せよ!」

研究員は回収したフィルターを分析器にかけてみた。すると核分裂反応から発生したと考えられる多量の放射性物質が検出された。これほど高い濃度が検出されたのは過去に例がなかったと、この研究員は述べている。しかし、どこかの国が核実験を行った影響かもしれない。そこで詳しく分析してみると、核実験ではほとんど生成されず原子炉内でのみ生成されるセシウム-134が検出されたのだった。つまり、どこかの原子炉で発生した放射性物質がストックホルムに飛来しているということだった。

同日 午後1時30分~
この頃までには、スウェーデンの他の原発施設や東の隣国フィンランドからも「高い濃度の放射性物質を確認した」との報告が入ってきていた。発生源は依然として分からないままだが、別の国から放射性物質が風によって北欧方面に流れてきた可能性も出てきたわけだ。午後2時に初めての記者会見がフォッシュマルク原発の近辺で開かれた。

防衛研究所の要請を受けて、スウェーデン気象庁は過去数日間の気象データから可能性として考えられる発生源を割り出した。結果は、当時はソビエト連邦の一部であったベラルーシやウクライナ地方だった。

状況をより詳しく把握するために、防衛研究所はスウェーデン空軍にバルト海上空の調査を要請した。空軍は偵察機にサンプル収集装置6つを取り付けてバルト海に向けて発進させた。核実験後のサンプル収集であれば1万メートル上空を飛ぶのだが、今回は放射性物質の発生源が地上に近いところだと見られたため、バルト海の海上300mを低空飛行しながら、ソビエト連邦の領海ぎりぎりまで接近して、サンプルを収集した。(バルト三国は当時はソビエト連邦の一部)

この日の夕方までには、このサンプルの分析結果の他にも、スウェーデンの他の観測所からも似たようなデータが出ており、「発生源はソビエト連邦の、おそらくベラルーシかウクライナ地方の原発」という説が有力になっていた。

冷戦中のこの当時、ソ連内の情報は外部には分からなかった。スウェーデン政府は通常の外交ルートを通じてソビエト連邦政府にコンタクトを取り、事情の打診を行った。

騒動の発端となったフォッシュマルク原発は、午後3時30分に運転を再開し、警戒レベルも「平常」に戻された。

同日 午後7時
ソビエト連邦政府は国営通信社イタルタスを通じて、短い発表を行った。その2日前にチェルノブイリ原発で大爆発があったとされていた。

このとき世界は初めて、ソビエト連邦が外部に隠していたチェルノブイリ原発の事故を知ることになった。(正確な発生時刻は4月26日(土)の現地時間01:23)

放射線が最初に検出されたフォッシュマルク原発は、その後もしばらく世界のメディアのスポットライトを浴び、スウェーデン放射線防護庁の専門家もおびただしい数のインタビューを受けることになった。ソ連からの情報がほとんどない中、事故の規模を知る唯一の手がかりはこの時点ではスウェーデンで観測されたデータのみだったからだ。

放射線の検出から始まって、汚染源が分かり、世界が仰天するまでの一連の騒動が、こうしてわずか一日で起きたのである。しかし、他のヨーロッパ諸国に放射能を帯びた雨が降り注ぐことになるのは、まだこれからだった

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スウェーデンは自国の原発から放射能が漏れたわけではないことが分かってホッとしたわけだが、しかし、それで終わりではなかった。チェルノブイリでの事故発生から2日間は風がスウェーデンに向かって吹いたため、高い濃度の放射能がスウェーデンを既に直撃していた。27日(日)は小春日和の良い天気だったため、何も知らず週末を屋外で過ごした人も多かった。地域によっては雨も降り、地上が放射線で汚染されてもいた。推計によると、チェルノブイリから放出された放射性セシウムの5%がスウェーデンに降り注いだという。

そのため、スウェーデン政府は水道水や農作物に含まれる放射能の基準を設定し、販売規制を行ったり、キノコやトナカイ・ヘラジカなどの野生動物の肉の摂取規制を発表したりした。例えば、事故が起きた1986年にはトナカイの肉の78%が廃棄処分された(トナカイは、スウェーデン北部に住む少数民族のサーメ人の主要な収入源であり食料源でもある)。また、ブルーベリーやキノコの摂取規制も行われた。放射性ヨウ素は半減期が8日と短いが、放射性セシウムは半減期が30年と長いために、森などの一部では今でもセシウムの量が多いところもあるようだ。

ただ、癌の患者が直ちに増えたということはないようだ。しかし一方で、放射線を浴びてから数年から10年、20年以上経ってから癌が発生するため、癌の発病のうちどのくらいの割合がチェルノブイリ事故によるものかを明確に断定することは難しいようだ。スウェーデンの放射線安全庁によると、事故発生から50年の間にスウェーデン国内では300人ほどの人がチェルノブイリ事故のために癌になる(もしくは既になった)と予測されるという。また、このうちの多くは、トナカイの肉を食べる頻度の多いサーメ人だという。

(以上は、2006年4月ごろに掲載されたスウェーデンの新聞記事、およびスウェーデン放射線防護庁(現・放射線安全庁)の資料による)


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スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

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