goo blog サービス終了のお知らせ 

スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

NHKニュース9 「中曽根の喋りに貫禄がある」

2011-09-16 03:05:01 | スウェーデン・その他の政治
聞いた話によると、昨晩ののNHKニュース9では、中曽根元首相がインタビューを受け「原発なくして日本の経済が立ちいかない」との私見を述べたそうだが、それに対してNHK側は、現状で原発を増やせるのか?という点や、中曽根氏とは異なる意見を持つ人が少なからずいるが、そのような意見に対してはどう思うか?などといった基本的な質問や追及をしないどころか、スタジオの大越キャスターが「中曽根の喋りに貫禄がある」とか「威風堂々としている」とコメントして持ち上げたという。

自分で見たわけではないため二次情報だが、本当だとすると、日本のメディアの情けなさを改めて感じる。「その人がどういう根拠で発言したか?」という動機や論拠よりも、「誰が発言したか?」ばかりを重要視する日本のメディア。そして、重鎮・大物・有力者・大学教授などという肩書きを持つ人々のそんな発言に日本社会全体が右往左往しながら前に進んでいく。あるとき、ふと思って立ち止まり「俺たちはどうしてこの道を選んだんだ?」と自問しても、返って来る答えは「あの偉い、貫禄のある人がそう言っていたから」となる。では「その人はどうしてその道が良いと言ったのか」という根拠は誰も知らない。ただただ「前にならえ」でひたすら突き進んできたら、気が付いたときにはとんでもないことになっていた、なんて過ちをこれ以上繰り返す余裕は日本にはないはずだ。


NHKニュース9を見るといつも感じるが、一つ一つのニュースの後にキャスターが口にする「コメント」は不要だ。中身のない、どーでもいいコメントに時間を割くくらいであれば、「お偉いさん」に鋭い突っ込みを入れて、中途半端な発言が一人歩きしないようにして欲しいものだ。(ただ、民放はもっと酷いかもしれないが・・・。民放のニュースはあまり見ないので分からない)

昨日のNHKニュース9の動画があれば、リンク先などを教えてください。

インターネットを通じた電子投票は本当に必要?

2011-09-15 02:45:29 | スウェーデン・その他の政治
昨日の記事で、インターネットによる電子投票ノルウェーで試験的に行われたことを説明したが、あの記事を書いたときの私の関心は、安全性や匿名性・秘密性などを技術的にどうやって保証するのか、というものだった。

しかし、あの後にふと考えた疑問は「インターネットによる電子投票なんて、本当に必要なのだろうか? それに、社会にとって望ましいことなのだろうか?」ということだ。

確かに、投票所に足を運ぶのが面倒だと思う人もいる。雨が降れば、投票率がガクッと落ちることは日本ではよく知られている。だから、投票率を高くするためには、通常の期日前投票の利便性を高めるだけでなく、インターネットでも「気軽に」投票できるようになるのが望ましいかもしれない。

一方で、このまさに「気軽さ」が本当に良いことなのかが疑問だ。言ってみれば、インターネットで簡単に本を注文したり、フェイスブックで「いいね!」ボタンを押したり、いろんなサイトで見かける「世論調査もどきのアンケート」で選択肢を選んだりするのと同じ感覚で、国政や地方政治の行方を決めてしまっても良いのか?ということだ。

見方によっては、選挙をある種の儀式、もしくは「ハレの日」と捉えることもできる。投票所に足を運んで、投票のための手続きをし、封筒など必要なものを担当者から受け取り、ついたての向こうで記入し、封をして、投票箱に入れる。そこは緊張感の漂う公の場であり、生半可な軽い気持ちで票を投じるのは少し気が引ける。例えば、スウェーデンの選挙を考えてみれば、毎年のように何らかの選挙がある日本とは違って、スウェーデンでは国政・地方ともに4年ごとにしか選挙がないから、それまでの4年間を振り返り、これから始まる4年間をどの党に任せるのかを意思表示する節目の時であるわけだ。

私の友人、レーナ・リンダルさんは、スウェーデンの選挙を説明するために日本語で書いたある記事の中で、スウェーデンの投票日のことを「民主主義の祭典」の日だと呼んでいたが、私もその見方に賛成だ。スウェーデン人の別の知り合いも、一昔前は厳粛なお祭りという意味合いがもっと強くて、投票所には少し着飾って行くくらいの心構えで足を運んだ、などと語ってくれたことがある。また、その人だけでなく、もっと若い友人の中にも、いくら期日前投票が便利になったからとはいえ、せっかく投票日が設定されているのだから、その日に、あらかじめ決められた投票所で投票したい、という人も少なからずいる。

それに比べ、自宅のパソコンの前というのは、まさにプライベートな空間だ。それに、インターネットの世界は匿名であるため、何でも思いついたことを書けるし、時には極端な意見を述べたり、自分の名前を出しながらは絶対にできないような発言もできてしまう。インターネット上で極端な意見が多いのはよく知られたことだが、皆がそうではないにしろ、プライベートな空間の延長のまま、公の場というフィルターを通すことなく「気軽に」投票ができるのも問題ではないかと思う。何が違うかというと、自分の投票権に対して感じる責任の重さではないだろうか。

だから、昨日あれだけノルウェーの電子投票制度について興味津々に説明したが、やはり昔ながらの「投票所」と「紙」と「ついたて」と「封筒」による投票が今後もずっと続いてほしいと思う。

ノルウェーの地方選挙

2011-09-13 00:49:25 | スウェーデン・その他の政治
今日、月曜日はノルウェー全土で地方選挙が一斉に行われた。

極右青年による7月22日の虐殺事件の後であるため、昨日まで続けられてきた選挙キャンペーンでは各党は派手なパフォーマンスなどは控え、ずいぶん静かなキャンペーンとなったというが、一方で例年は60%台にしか達しない地方選挙の投票率が大きく伸びることが世論調査などから予想されてきた。

悲惨なあの事件の後、ノルウェー労働党の党首であり首相でもあるイェンス・ストルテンベリは、ノルウェー社会を成す様々な人々の願いを代弁する形で「このような事件が将来再び起きないようにするための鍵は民主主義の徹底だ」と訴えた(9.11後のブッシュ大統領の、武力でもって首謀者に思い知らせてやる、という演説とは対照的である)。彼のこの言葉は高く評価された。そして、自分の持つ一票を有効に活用し、自分の意思を社会に示すべきことの重要性に改めて気づいた有権者が増えたのではないかと考えられる。

確かに、今回の事件に憤りを感じ、そのような行為は絶対に許せないという意思を社会に対して示したいならば、Facebookのグループに参加するよりも、自分が良いと思う政党にきちんと票を投じたほうがより確実な意思表明となる。それに、投票をしない、という選択も、自分の意図しない政党を勝たせるという影響力を持ちうる。だから、例えば、前回の国政選挙で大躍進したポピュリスト(人気取り)政党である進歩党を抑えたいならば、きちんと票を投じてほしい(進歩党は移民排斥なども掲げ、犯人も以前この党に所属していた)。

そう考えたのは私だけではない。ノルウェーの世論調査によると進歩党の支持率が大きく落ち込んでいる。一方、国政与党の第一党である労働党は支持率が大きく伸びている。これは、危機に際して迅速に対応し、ノルウェーの人々の声をうまく代弁することができたストルテンベリ首相のリーダーシップに一因があるだろう。また、事件後の興味深い動きとしては、主要政党の青年部会に加入する若者が増えたことである。事件の犠牲者の大部分は労働党の青年部会のメンバーであり、島の合宿に参加していたところを狙われたわけだが、若いうちから政治にかかわろうとしてきた彼らに対する共感が高まったことが原因ではないだろうか。


この記事を書いている月曜日深夜の時点では開票作業がかなり進んでいるが、労働党の得票率が33%と、前回よりも4%ポイントほど伸びたとのこと。一方で、保守党も大きく躍進し27%(+8%)となる見込みだという。案の定、今回の地方選挙における一番の敗者は、進歩党となるようだ。

今の日本の政治に求められるのは果たしてリーダーシップなのか?

2011-06-27 00:50:45 | スウェーデン・その他の政治
「リーダーシップ」という言葉が日常茶飯事に使われている。菅首相にはリーダーシップがないと言われるし、それまでの自民党政権でもリーダーシップの欠如がたびたび問題視されてきた。震災後には「リーダーのあるべき姿」論があちこちで議論された。

では、今の日本の現状とは正反対の、「政治がリーダーシップをバリバリ発揮する政治」とはどのような政治なのだろうか? カリスマのある一人のリーダーが、反対勢力を押し切りながら、是が非でも大きな改革を実行するような政治だろうか? どのような事態においてもアドリブや機転を利かせながら柔軟に対応して、難所を乗り切っていける人生哲学を持ったリーダーが率いる政治だろうか?

しかし、もしそのような政治を頭に描き、そのようなリーダーが登場すれば日本の政治が良くなると期待しているのであれば、その願いはいつまで経っても叶わないだろう。今の日本の政治が抱える問題は一人の強いリーダーが登場すれば解決するような問題ではないと思うからだ。

戦国時代の名将を描いた時代小説はたくさんある。よくある主題は人間同士の駆け引き危機に際しての名将の決断だ。そのようなドラマから「リーダーにふさわしい人物像」とか「リーダーに必要とされる人生哲学」を抽象化して導き出し、それを現在の日本の政治に当てはめようとする論評などは何度も目にしてきた。しかし、あまり大きくない規模の企業経営であれば、それが通用するかもしれないが、複雑多様化する社会に対応する為に様々な政策を実行し、ありとあらゆる危機に対処していかなければならない一国の政治となると、一人もしくはトップにいる少数の人物だけにすべての望みを託して、それでうまく行くとは思えない。一握りの人間だけで様々な問題に対応できるほど、今の社会は甘くない。その上、政治がうまく機能しない場合に「トップに立つ人間が悪いのだから、別の人物に替えれば良くなる」という安易な発想に陥ってしまいがちだ。その繰り返しがこれまでの日本の政治をダメにしてきたのではないだろうか。さらに、たとえカリスマのあるリーダーがトップにしばらく居座って、大きくて困難な改革を成し遂げたとしても、世論の幅広い支持を得ないまま、反対意見を無理に押し切って実行したのであれば大きな問題も孕んでいる。

共著で昨年11月に出版した『スウェーデン・パラドックス』では、スウェーデンが高負担にもかかわらず安定的な経済成長健全な財政を達成するとともに、年金制度改革や環境税導入など重要な改革を成し遂げてきたことなどについても触れたが、出版してから間もないうちに「スウェーデンの現在の経済や政治を作り上げることに貢献した、代表的なリーダーは誰ですか?」という質問を複数の人から頂いた。おそらく質問を下さった方々は、スウェーデンではリーダーシップをうまく発揮できる特定のリーダーがいたからこそ、今の成功があるのではないか、という期待を持っておられたのかもしれない。確かに、スウェーデンのこれまでの首相の中には良くも悪くもカリスマを持ち、党内外での求心力を発揮した人物も少なからずいる。

しかし、スウェーデンが刻々と変化する現代社会の様々な問題に対処するために、例えば、他国に先駆けて年金改革に着手し実行したり、男女平等の促進や出生率向上のために育児休暇制度を充実させて男性にも育児の一部を負担させるようにしたり、気候変動対策のために早くも1991年に環境税・二酸化炭素税を導入したり、1990年のバブル崩壊に伴う金融危機で公的資金の注入や銀行国有化を迅速に進めたり、その他、様々な問題に対処するための政策を導入することができた理由は、一人もしくは少数のリーダーの活躍のおかげというわけではないカリスマなりリーダーシップなり求心力は、安定した政権を運営していくための必要条件ではあっても、他国に先駆けて意欲的な政策を導入したり、危機に迅速に対応して的確な政策を実行していくための十分条件ではないように思う。

では何が鍵を握っているかというと、政治のビジョンをしっかりと描きそれを実行に移していくためにリーダーを支えるブレイン集団が存在すること、社会が抱える様々な潜在的な問題を早い段階で政治のテーブルに載せ、それに対処するための政策の選択を専門家がきちんと洗い出し、どれが最適かを議論したり、社会を構成する様々な人々の意見を聞きながら実行していくためのプロセスが制度としてしっかり確立していること、そして、そのプロセスが透明性を持っていること、候補者の人気投票ではなく政策議論を中心とした選挙を可能にする選挙制度があること、研究実績も博士号も持たない肩書きだけの「教授」や御用学者ではなく専門知識に長け社会を良くしようというやる気に満ちた学識研究者が歳に関係なく自らの能力を政策決定に反映できること、大学で専門知識を学んだ人がその能力を生かせる行政の職場に就き、エキスパートとしての立場から行政を行ったり政府に対して意見や提案を行えること・・・。スウェーデンの政治や社会を見ていると、以上のような「制度」の確立のほうが特定の個人のリーダーシップの有無よりも非常に重要な鍵を握っているのではないかと思う。

だから「スウェーデンの現在の経済や政治を導いてきた代表的なリーダーは誰ですか?」と尋ねてくださった方々には申し訳ないが、「こんなリーダーがいたから、今のスウェーデンがあるんですよ」と一言で述べて、その人物のリーダー哲学を説明してあげることはできない。私の答えは、上に示したように、一言では言い切れない。スウェーデンで政治に携わったり行政のアドミニストレーションに携わったりする人に求められるのは、心を動かすようなリーダー論や人生哲学ではなく、むしろ組織の中での効率的なマネージメントの能力やコミュニケーションの能力、他人とのグループワークの能力といった「地味」で実務的な能力だ。大学教育の経済・経営などに関する教育課程でもそういった要素が重視されているし、他の学生と一緒に一つの課題をこなすというグループワークは他の教育分野でも一般的だ。

6月初めに日本に滞在した際に気になったのが「菅政権や官僚、東京電力の人間はマニュアル通りに動くことはできても、マニュアルが想定していない事態が起こると何もできない」といった主旨の批判だった。未曾有の事態に遭遇してあたふたし、失敗ばかり繰り返していることに対する批判だ。しかし、想定もされず対処のマニュアルもない事態に際して、あたふたもせず臨機応変に対処できる人間なんて、果たしているのだろうか、と私は何度も考えた。そのような超人がごく稀にいるのかもしれないし、そうでないとすれば、たまたま試してみて運よく成功した、という結果論に過ぎないのではないだろうか?

私が思うに、マニュアルなしにはうまく動けないのはある意味当然のことであり、むしろ批判すべき点は万が一の事態を想定せず、マニュアルも作らず、準備を怠ってきたということだろうし、リーダーが適切な判断を下せるように、きちんとした情報や知識を提供してサポートできる組織や制度が整っていなかったことだろう。健康被害を未然に防ぐために専門家としての適切な見解とアドバイスが求められるときに「子供も年間20mSvの被曝まで大丈夫」などという浅はかな判断をきちんと議論もせずに簡単に出してしまい、あとは若い官僚を怒る市民の前に送り込んで頭を下げて弁明させ(もしくは、うつむいて沈黙を保ち)、組織としての面子をなんとしてでも保とうとする「専門家」集団や官僚組織を抱えていては、たとえ能力のあるリーダーがいても、実力を発揮することは難しいだろう。

国を運営するというのは一人や少数の人間だけでできるものではない。だから、菅政権だけを叩いてもしょうがない。谷垣政権でも結局、未曾有の事態に対しては右往左往し、同じように叩かれていただろう。だから、菅首相や菅政権といった特定の人物のリーダーシップを云々と議論するよりも、そのリーダーを平時から支え、有事への備えをするシステム・制度・組織のあり方に焦点を当てて議論することのほうがよほど意義があるのではないかと思う。ただし、そのような議論や改革に向けた作業は地味なものであるし、「あいつが悪いから切ってしまえ」というような単純で分かりやすい議論とならないためマスコミも飛びついてはくれないだろう。しかし、その部分にメスを入れないことには今の政治はどうにもならないと思う。

政治に関して言えば、「政治主導」という言葉が叫ばれて久しいが、副大臣や政務官の数だけを増やしても何も変わらないし、「マニフェスト選挙」などと言っても党内でろくに議論も重ねず、また実行可能性について吟味することなく選挙前にありあわせで作るのであれば、絵に描いた餅だ。必要なのはビジョンを描くことができ、その実行のために具体的な政策を立案し、いざ政権に就いたときには専門家や官僚、社会を構成する様々な主体の声を聞きながら実行していける政策集団を政党の側にしっかりと備えていくということだと思う。

政治に対する信頼の低さを嘆く前に・・・

2011-06-23 10:38:08 | スウェーデン・その他の政治
なぜ、スウェーデンでは政治家・政治に対する信頼度が高いのか? 政治への高い信頼は、国民に高い税金を課すことができる一つの条件であるし、実際のところ選挙のたびに投票率は高く、また各種世論調査でも比較的高い数字が出ている。これは何も誇張ではない。

<以前の記事>
2010-09-24:政治家に対する信頼が大きく上昇

この点については私のほうにも日本から何度も問い合わせがあるが、その答えを探すのは容易ではない。何もスウェーデンをバラ色に描き、国民みんなが政治に満足している、本当はありえないような「夢の国」を描きたいわけではない。スウェーデンでも時には失態やスキャンダルなどが当然として起こっていることを前提としながら、それでも「政治への信頼」を維持する・高めるという点で、日本には欠けていて、スウェーデンでは多かれ少なかれ機能している重要な要素は何か?を考える意義はある。

「その要素とは何か?」私も頭の中で考えがまとまってきたが、それをどうやったら説得力のある言葉で説明できるかいつも考えている(それは別の機会に)。しかし、なぜ信頼度が高いのかを説明するのは難しくても、では逆に、信頼度がなぜ日本のように低くないのか、低くならないかのか、を説明することは少しは容易だろう。少なくとも明確に言えるのは、国民の信頼を裏切るようなことを、そんなことをする必要がないときに、わざわざそのマイナス効果が最大となるタイミングを選んで、実行するということはスウェーデンではまずないだろう。

6月初めの内閣不信任案を巡るゴタゴタのことだ。たまたま日本に滞在していたが、誰も得をしない、くだらない政争にうんざりした。あれを見て、「震災後の大変なときに政治が私たちの社会の復興のために頑張ってやっている」と感じた人はいるのだろうか? メディアも相変わらず、菅勢力と党内外の反対派勢力との駆け引きや争いに密着し、否決後も菅首相の退陣時期を巡る意見の不一致をその後しばらくダラダラと追っていた。社会保障や税に関する改革案など、もっと価値のあるニュースはあっただろうに。

政治家もバカではない、と願いたい。もし日本のように政治・政治家への信頼が失墜し、選挙をいくら繰り返しても投票率が低く留まり(もちろん数多く繰り返すことによってさらに低下しているが)、そして「国民不在の政治」などという否定的な表現が使われて久しい状況であれば、そして、それをきちんと認識していれば、わざわざその状況を悪化させるようなことはしないだろう。いや、日本はそれをやってしまっている。

菅政権の肩を持ちたいというわけではない。ただ、もし自民党政権であれば、震災直後からの対応がもっと良かったのか?と考えると、そんな簡単な話ではないことは明らかだろう。首相やそれを取り巻く首脳陣が違っていたところで、取り得た政策の選択肢や実際の選択はあまり変わらなかっただろう。

自民党政権時代の元閣僚がツイッターで「こんな時に不信任案を出すのはけしからん、という批判はおかしい。問われるべきは政治の中身」云々と書いていたが、復興のためのまともな議論も、政治のゴタゴタの中ではうまく進まない。同じ元閣僚が、外国で開催されたシンポジウムで「どうして日本では政治が機能しないのか?」という質問を受け、答えるのが難しかった、と再びツイッターに書いている。しかし、本当に答えに窮するような質問だろうか? 「客船が氷山と衝突して船体に穴が開き、浸水を少しでも止めて元の航路へ戻すことが急務なのに、船長と副船長が舵を奪い合い、私を含め野次馬がくだらない野次を飛ばしているうちに、船はどんどん沈んで行くのです」とでも答えたらどうだろう。政治が機能しないのは、リーダーシップに欠けると言われる菅首相だけの問題ではなく、与野党の双方に責任がある問題だろう。

だから、今後もし、今回の政治のゴタゴタに関わったような政治家から「どうしたら政治への信頼を高めることができるのでしょうか?」もしくは「どうしてスウェーデンでは政治への信頼が高いのでしょうか?」と尋ねられたらなんと答えようか考えている。タバコを毎日数箱も吸ってきた人が「どうして自分は病気になったのだろう?」と真顔で他人に相談するのと似ている

社会民主党の新しい党首の決定

2011-03-11 00:49:24 | スウェーデン・その他の政治
社会民主党モナ・サリーン党首が辞任する意思を表明したのは昨年秋のこと。それ以降、新しい党首選びが始まっていった。これまでに様々な社会民主党の政治家の名が挙がったものの「その気はない」と断る人も多かったし、本人にやる気はあってもビジョンがなかったり、有権者に対する人気に欠けるという理由で疑問の声が上がる人もいた。

この党首選びという作業は、見方によっては少し非民主的で、オープン性に欠けるとも言えるだろう。複数の候補者が党大会において党首選に挑み、党員の多数決によって党首を決める、というわけではない。党首選びのために社会民主党内に「選挙準備委員会」が設立され、この委員会が有望な候補者を自薦・他薦によって洗い出し、本人への面接などを通じて適正を評価していく。そして、最終的には全国の社会民主党地方支部の代表者などを交えた密室会議で議論を重ね、党大会に先駆けて候補者を一人に絞り込む。そして、党大会においてその人物に対する信任投票を行うのである。

大所帯であり、党員が持っているイデオロギーや政策主張の幅が広い社会民主党としては、複数の候補者を立てた上で党大会というオープンな場で投票を行ったりすれば、党内の対立が明確になりすぎ、一つの党としてのまとまりを維持するのが難しくなる、という懸念があるのかもしれない。だから、あくまで選挙準備委員会と各支部の代表者などからなる密室会議で議論をし、党大会という公開の場で議決にかける前の段階で誰もがある程度は納得する人物を一人に絞ってしまいたいのだろう。

1996年から2006年まで首相を務めたヨーラン・パーション党首の後任選びでは、選挙準備委員会はすでに2007年1月半ばの段階で候補者をモナ・サリーンだけに絞り、3月後半に開催される党大会に新党首として推薦すると発表した。しかし、今回の党首選びでは多くの党員が納得するような有力な候補者が現れず、3月に入ってもまだ名前が絞られない状態だった。既に10人以上の名前が次の党首の候補として挙がってきたのにもかかわらずである。傍から見る目には、ビジョンと方向性を失った社会民主党の醜態と映っても仕方がなかった。

しかし、今日木曜日(3月10日)ついに選挙準備委員会が発表を行った。これまで名前は挙がっていたものの、ほとんど可能性は薄いと思われていた中年男性を次期党首として推薦すると発表したのだ。どこかのギャンブルサイトではオッズが非常に高く大騒ぎになったことだろう。


彼の名はホーカン・ユーホルト(Håkan Juholt)48歳だ。高校卒業後、出身地であるオスカシュハムンや隣接するカルマルの地方紙でジャーナリストとして働き、1994年(32歳)に初当選し、国会議員をそれ以降務めてきた。ただ、党内での存在感はそこまで強くなく、いわゆるキャリアコース(財務大臣や外務大臣などの要職を務めた上で首相になる)からは外れていた。そもそも、閣僚の経験がないのである! さらに、社会民主党の執行部のメンバーにもなったことがない

閣僚経験がなく、党執行部で活躍した経験がない者が党首になるのは、社会民主党の歴史上、例がないという。だから、党内外の多くの人が驚いている。実は、キャリアコースを経てきた別の候補者がいたのだが、党内の左派からみればあまりに中道寄りであり、ふさわしくないという声が上がり、ある種の妥協としてこのホーカン・ユーホルトが選ばれたようだ。ただ、妥協の産物だからあまり期待できないのかというとそうでもなく、堅実で地に足の着いた政治家であり、労働組合からの信頼も厚いようだ。同時に、戦略家で頭が切れるという声も聞かれる。党内における左派-右派(中道)という分け方では、若干左派寄りだということだ。

ただ、経験が浅いという冷めた声も聞かれる。1994年以降、彼は主に国会の国防委員会のメンバーを務め、国防政策づくりにかかわってきた。その反面、他のより重要な政策、例えば経済や財政、社会保障などの分野での実力が定かではない。

ともあれ、今日の記者会見では「公正・平等が経済成長と社会保障の基礎条件だ」と述べ、「社会保障制度の防衛に力を注ぎたい」と意気込みを語った。これまで影の薄い存在だったから、スウェーデン人の多くがほとんど彼のことを知らないだろう。しかし、今日の様々な報道から感じる限り、社会民主党を建て直していける有望な党首になりそうな気がする。



今日の記者会見の後に撮影されたPR動画。
隣の女性は党首に次ぐ、党第二位のポストであるparty secretary(幹事長とでも訳せるだろうか?)
に推薦されたカーリン・イェムティン(Carin Jämtin)
44秒あたりのウィンクが面白い。
彼は何かに似ていると思っていたが「ぷよぷよ」か?


私の思うところ、選挙準備委員会が彼を選んだ理由は、毛の少ないラインフェルト首相に対抗するには、毛の多い人物が必要だ、ということもあるのではないだろうか・・・?

独裁国・非民主国への武器輸出を巡る議論

2011-03-07 01:31:57 | スウェーデン・その他の政治
チュニジアから始まったアラブ諸国の民主化運動の波は、エジプトのムバラク政権を倒し、そして今、リビアのカダフィ政権を追い詰めている。

ヨーロッパ諸国も「対岸の火事」だと傍観しているのではなく、民主化勢力を積極的に後押しすべきなのだが、EUもアメリカも時として明確な立場表明をためらってきた。スウェーデンのカール・ビルト外相も、リビアにおける暴力行使を批判するコメントをしたものの「重要なのは、カダフィ政権側を支持するのか、民主化デモ側を支持するのか、ということではなく、秩序と安定性を維持するように働きかけることだ」と発言したために、大きな非難を浴びていた。この発言は2月22日頃のことだったが、両者が対等な立場にあるならまだしも、一方の側が圧倒的な武力によって、もう片方の側を無差別に殺害している状況においては、カダフィ政権をしっかりと非難すべきだっただろう。



ヨーロッパ諸国の政治家のなかには、ムバラク政権やカダフィ政権と深い親交を持ってきたがために、今ごろ気まずい思いをしている人々もたくさんいる。相手が本国で人権を踏みにじっている独裁政権であることを知りながら、彼らと仲良くすることで経済的な恩恵に与ってきた閣僚がフランスなどで辞任したし、カダフィの個人パーティーに招かれてパフォーマンスを披露した歌手なども、彼との親交を後悔している。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学長も辞任した。さんざん良い思いをしておいて、相手が負け馬だと分かった途端に手を切るというのも、非常に情けない話だ。



同様に気まずい思いをしているのはスウェーデンもだ。というのも、チュニジアに対しては30年にわたって、またエジプトに対しては過去10年ほどのあいだ武器輸出を行ってきたからだ。

一般に、武器輸出についてはスウェーデンでもこれまで激しく議論されてきた。スウェーデンは非同盟中立を保つために国防軍の武装・兵器の供給は自ら行うという方針を長い間とってきた。戦闘機から戦車、駆逐艦や潜水艦に至るまで自国で開発・生産するわけだが、スウェーデンの国防軍の需要を満たすだけの数を生産していたのでは規模の経済が働かず、高額の研究開発投資のもとが取れない。だから、どうしても生産量を増やすために外国輸出の道を探ろうという考えになってしまう(それでも過去20年ほど外国から既製品を調達するケースがかなり増えてはいる)。

確かにスウェーデンは、国連やEUの禁輸制裁などは当然ながら遵守しているし、紛争当事国や内戦中の国、人権侵害などを行なう独裁国などには武器輸出は行わない、などのガイドラインを自主的に設けている。しかし、問題なのは、果たしてそのガイドラインがきちんと守られているのか、ということだ。

武器輸出のコントロールを行っているのは、国の行政機関である戦略的製品検査庁(ISP)および議会に設けられ、国政政党すべての代表者からなる輸出監督委員会(EKR)だ。しかし、そのようなコントロール制度にもかかわらず、チュニジア、エジプト、サウジアラビア、バーレーン、オマーン、パキスタンのような独裁国や人権侵害の懸念がある国々に武器輸出が行われてきた。

また、タイでクーデターが発生し軍部が政権を掌握した数年前にも、戦闘機の入札で他の国が入札参加を差し控える中、スウェーデンが戦闘機輸出の手続きを進め、スウェーデン国内でも大きな議論となったことはこのブログでも書いた(結局スウェーデンの多目的戦闘機JAS-39が入札を勝ち取り現在12機の輸出プロセスが進められている)。
<過去の記事>
2007-10-18: Aj aj aj… 軍事クーデターのタイへ戦闘機を輸出か・・・
2007-10-20: ビルト外相:「最終決定は民主選挙を待ってから」

だから、アラブ・中東の問題国に武器輸出を行ってきたことに対しては、スウェーデン国内でも1月以降、非難の声がさらに強まっている。しかし、それに対するラインフェルト首相のコメントが情けなかった。訪問先の小学校の小学生から、スウェーデンが世界平和を掲げる一方で問題のある国に武器輸出を行っていることの矛盾を問われたとき、彼は「相手がいくら気に入らない政府でも対話を持つことは必要」と、あたかも武器輸出が問題国との対話の一つの手段であるかのような答え方をしたのだった。

それに比べたら、戦略的製品検査庁の長官による反論はまだマシだった。彼は、過去5年間のエジプトへの武器輸出の総額は2000万クローナ(2.6億円)、チュニジアへは870万クローナ(1.1億円)に過ぎない、と前置きをした上で、武器輸出と言ってもエジプトへは競技射撃用の弾薬と軍事訓練用の装備であり、またチュニジアへは対空機関砲・対空ミサイル・防空レーダーや小銃に取り付ける照準や弾薬であると指摘したのだった。彼が言いたかったのは、機関銃や爆弾、榴弾などをスウェーデンが輸出しているのではなく、よって「スウェーデン製の兵器が民主化を求める人々の殺害に使われている」というのは間違いだ、ということだった。さらに、人権侵害の恐れがある国への武器輸出と言っても、一般に海賊やテロリストの活動を航空機や艦艇によって監視するシステムなどが多く、それが自国の一般市民に対する抑圧に使われることはなく、戦略的製品検査庁や輸出監督委員会もこの点をしっかり認識したうえで輸出に対してゴーサインを出してきたのだ、と説明したのだった。


新聞のオピニオン欄は行政機関・政治家・NPO・利益団体など様々な主張を
掲載し、論争における双方の生の主張を世論に伝える重要な役割を果たして
いる。日本ではこの点が非常にかけている。

スウェーデンでは、この後もメディア上で様々な議論がNPOや行政機関、政治家などの間で交わされたが、さて、この戦略的製品検査庁の長官の言い分はどう評価できるのだろうか? 本当に、市民の人権を侵害する恐れがある武器そうではない武器と明確に線引きして、後者のみを独裁国に輸出するということが可能なのだろうか? 軍事訓練用の装備は明らかに軍隊の強化を図るものだし、小銃に取り付ける照準だって軍隊や公安警察がデモ隊の封じ込みに使うことは可能だ。

防空システムにしても、それが民衆に直接使われる恐れは小さいものの、例えばリビアに対しては国連においてこの2週間ほどのあいだ、飛行禁止区域を設定することでカダフィ政権が空から民主化勢力を攻撃することを阻止する措置の是非が議論されてきたが、それに実効力を持たせるためにはNATOなどの戦闘機による上空監視が不可欠であり、そのためにはまずリビアの防空基地を叩く必要があるという。スウェーデンは制裁のあるリビアに対しては武器輸出を行ってこなかったものの、もしチュニジアやエジプトなどに対して同様の飛行禁止区域設定が必要となっていた場合に、スウェーデン製の対空ミサイルや防空砲がその障害となっていた可能性さえある。だから、線引きは非常に難しいといわざるを得ない。

スウェーデンは外交方針として諸外国の民主化や人権擁護を支援する立場をとっている。だから、そうではない国への武器輸出は、どのような形をとろうが、いくら額が小さかろうが、やはりダブル・スタンダードと認識せざるを得ない。それでももし、そのようないかがわしい国への輸出なしにはスウェーデンの軍需産業が成り立たない、というのであれば、いっそのこと解体していくべきだろう。

ちなみにスウェーデン製の兵器は、アメリカにも輸出され、それが国際法に照らしてもその正当性が疑われるイラク戦争で使われているし、戦闘機がハンガリーやチェコなどに輸出されるときには、スウェーデン政府に代わって売り込みを担当してきた外国エージェントが多額のお金を使って相手国の官僚や政治家に賄賂を支払っていたことが、スウェーデン・テレビなどのスクープによって明るみに出ている。武器輸出においては常に汚い取引が付きまとう。スウェーデン経済に占める軍需産業の割合はたかが知れているのだから、そのようなことにいつまでも手を染め続ける必要はないだろうに。

エジプトの民主化運動

2011-01-30 23:34:50 | スウェーデン・その他の政治
北アフリカのチュニジアで始まった反政府・民主化デモが政府を転覆させ、その波が他のアラブ諸国に波及しようとしている。アルジェリア、ヨルダン、イエメンなどにも広がるなか、エジプトでも独裁体制をとってきたムバラク大統領に対するデモが激化している。

通常、多くの人が参加する金曜日のイスラム礼拝だが、先週の金曜日にもエジプト各地において、礼拝の参加者がそのまま街に繰り出し、大規模なデモ活動を展開した。不満を抱える人同士が、簡単にやりとりし、誰かの呼びかけに賛同して大きなデモを展開することが可能になったなったという点で、FacebookやTwitterなどをソーシャル・メディアの役割は大きい。ムバラク大統領はインターネットや携帯回線を切断したり、閣僚を交代させて、不満を解消させようとしたが、そのような小手先では民主化を求める人々の不満は収まらない。ムバラクは、公安部長を副大統領に任命し、自身の後継者とすることを目論んでいるようだが、この様子だとムバラクの独裁体制も長くはなさそうだ。

チュニジアで政府を覆した民主化運動は、68年にチェコで起こった民主化運動にちなんで「チュニジアの春」といった言葉や「ジャスミン革命」といった呼称が使われている。そして、それが他のアラブ諸国にも波及している今、80年代末から90年代初めにかけて東欧の旧共産国が次々と瓦解していった動きになぞる見方もある。

スウェーデンのテレビや新聞も、チュニジアでの政変以来、この動きを大きく取り上げているが、ネット上でもアルジャジーラのサイトで現地のライブ報道を見ることができる。この週末は、街頭に繰り出している大勢の人々を映すと同時に、国営テレビがどのような報道を行っているかをリアルタイムで見せてくれた。簡単に想像がつくように、国営テレビの側は閣僚の動きを追い、政府が事態をいかにうまく収拾させているかを強調している。また、アルジャジーラは外国のプロパガンダを流しているから見ないようにと、国民に訴えてもいた。

また、アルジャジーラの中継を見ていると、バックグラウンドに戦闘機の爆音が立て続けに聞こえた。空軍が低空飛行を行い、デモを威圧しようとしているのだろう。一方、街頭で警備にあたっている陸軍のほうは、立場がよく分らない。よく見かける光景では、デモ隊と一緒に仲良く大騒ぎしているなので、必ずしも敵対しているわけではないようだ。他方で、警棒と催涙ガスでこれまで対抗していた警察は、姿を見せなくなり、街の一部では無法状態になりつつある。夜間外出禁止令も効力を持たなくなっている。

イスラム諸国で巻き起こっている民主化の動きは、一方では、中流階級が政治の実権を握るエリート階級の汚職や横暴、そして経済運営の失敗に我慢ができなくなり、他方では、貧しい階級が日々食べるものに事欠くなかで、自分たちの生活を何とかしてほしいと要求するようになり、その両者の目的が一致し、力を合わせたことが背景にあるようだ。振り返れば、エジプトは1960年代には韓国と同じ生活水準だったというが、今では韓国が4倍も差をつけてしまった。そして、人口の4割が一日200円以下で貧しい生活をおくっている。グローバリゼーションの中で、他国との経済格差が拡大するばかりであることに人々が気づいたのだろう。今までは反対の声すら上げられなかった人々が、一時的な自由を手に入れた開放感は見てみて面白い。「今まで考えられなかったことだが、何もかもが可能だと感じられる」とインタビューに答えた人がいた。ちなみに、デモの映像に通常映っているのは男がほとんどだが、スウェーデンの公共テレビはデモに参加している若い女性(学生)に焦点を当てて取材をしていた。

イスラム諸国の民主化が一気に進展するようになれば、素晴らしいことだと思う。「プラハの春」のように力で抑えつけられてしまう可能性もあるが、ムバラク大統領もここまで発展した反政府デモを今から力で抑えつけることは難しいだろう。幸いにも、54年のハンガリーや68年のチェコのように外から軍隊がやってくることはなさそうだ。問題は、これまで独裁政権と手を結んで彼らを「自国にとっての重要な同盟国」と呼んできた、アメリカの出方だろう。

もう一つの不安要因は、政治の混乱に乗じてイスラム過激派が政権を取る恐れがあるかもしれない、ということだ。ムバラク政権に活動を禁止されてきた過激派グループは、反政府という立場から今のところは民主化を求める中流階級や労働者階級と手を取り合っているが、独裁政権が倒れたときに彼らがどのような動きを見せるのか気になるところだ。しかし、スウェーデンの大手日刊紙の論説委員がこう書いていた。「宗教原理主義者が政権を奪うという恐れは確かにある。短期的にみれば、現体制を維持することのほうが、彼らに政権を明け渡すことよるもマシだというケースもある。しかし、長い目で見た場合には、それが現体制の維持を擁護し正当化する理由にはならない。」(安定の維持を言い訳にした民衆の抑圧は、まさに中国の共産党政権が常に取ってきた手だ、と付け加えている。)

ちなみに、下の画像は中東情勢を伝えるアメリカのFox Newsのもの(出所)


エジプトがあそこということは、イラクの場所も分からないようだ。ブッシュ政権とともに、アメリカ世論を煽り立ててイラク戦争を始めた「狐ニュース」が、実はそのイラクがどこにあるのか知らないというのは、笑える話だ。驚きはしないけど。

インターネット時代のIT外相、カール・ビルト

2010-12-30 02:43:08 | スウェーデン・その他の政治
要職にある政治家や政府関係者が、市民が必要とする情報をきちんと公開しなかったために批判を受けることはよくある。そして、知らなかった、とシラを切り批判をかわそうとする。インターネットが政治と市民・世論の間の情報の橋渡しにますます重要な役割を果たすと考えられているものの、ネットをうまく使いこなして情報発信を定期的に行っている政治家は期待されるほど多くはなさそうだ。本人に意欲はあっても時間がないなどの理由で秘書などに管理を任せている人も多いだろうし、軽はずみな発言が失言となるリスクを(本人が、もしくは周囲の人が)恐れるあまり、きちんと手が加えられチェックを受けた「オフィシャル」な発言のみしか流されないケースも多い。閣僚ともなれば、そうならざるを得ないかもしれない。その結果、臨場感のない、面白みに欠ける内容になってしまうこともある。

しかし、例外もいる。スウェーデンが世界に誇る(←かなりの誇張(笑))IT時代を先取りした政治家、そう、カール・ビルトだ。彼はかなり以前から自分の手によってこまめに英文ブログを書いていたし、2006年10月に外務大臣になってからもスウェーデン語によるブログを書き続けている。内容は外相としての活動の一コマや世界情勢に対する自らのコメントなどをコンパクトに伝えるもので、更新はほぼ毎日。一日に複数の書き込みをすることも多い。公務が忙しいにもかかわらず、あまりに書き込みが熱心なので「秘書か誰かに実際の書き込みや管理を頼んでいるのか」とある時ジャーナリストに尋ねられたものの、すべて自分で管理している、と答えていた。

国際会議や和平交渉、首脳会談などに際しては公式発表に先駆けてカール・ビルト外相自身がブログにその内容や結果に関する簡単な書き込みをすることもあるため、ジャーナリストはスウェーデン政府からの記者発表だけでなく、彼のブログを情報源とすることも少なからずある。これに対して、政府内からは不満の声も上がっていることは以前私のブログでも伝えた。

2008-01-07:忙しいカール・ビルト外相の大きな趣味

しかし、私が思うに、彼は既に首相を経験したり、バルカン紛争の調停などを担当した経験もあるため、ネット上での発言に関しては、言葉を選びながら、うかつなことは書かず、常にバランス感覚を保っているように感じる。だから、これまでのところ、あまり問題ではなさそうだ。

ビルト外相は1年ほど前からツイッターも始めた。そして、ブログ以上に頻繁な書き込みを続けている(ツイッターは英語)。しかも、さすが情報化時代の最先端を(おそらく)自負している外相とあって、Ipadは当然のごとく活用し、Ipadからツイッターを発信している。

----------

ただし、やはり限度を超すことも時にはある。半月ほど前にストックホルム中心街で起きた自爆テロ事件の際のことだ。事件は12月11日(土)の夕方5時に発生し、警察と検察が記者会見を初めて開いたのは12日(日)の午前10時だった。そして、ラインフェルト首相が「ストックホルムがテロの対象となった」という公式声明を発表したのは同じ日の正午すぎのことだった。

しかし、実はカール・ビルト外相はそれよりも半日近く前の12日(日)午前0時5分に、次のようなコメントをツイッターを通じて発信していた。

Most worrying attempt at terrorist attack in crowded part of central Stockholm. Failed - but could have been truly catastrophic..
12:05 AM Dec 12th via Twitter for iPad

この時点では、まだ「テロである」という正式な断定は当局は行っておらず、疑いがある、という噂だけが巷を駆け巡っていた。だからメディアは、政府の中枢にいるビルト外相がほぼ断定に近い形でコメントを発表したことで、ほぼ間違いはない、という確信を得て、翌日の紙面作成を進めていったようだ。

さて、普段はビルト外相のブログやツイッターをそれなりに評価し、大目に見てきたラインフェルト首相も、今度ばかりは我慢できなかったようだ。政権の長である自分を差し置いて、外相が勝手にワンマンプレーを進めたからだ。メディアのインタビューに対して、ビルト外相の名指しは避けながらも「不確かな情報を鵜呑みにしてそのまま流すのではなく、吟味した上で国民に正確な情報を伝えることが重要だ」「スウェーデン政府を代表しているのは私である」と不機嫌そうに答えていた。

野党である社会民主党の議員も「政府の高官として無責任な行動。ビルト外相は自分がスウェーデン政府よりも上の立場にあると勘違いしているのではないか」と批判していた。(いや、正確に言えば、メディアでその批判を述べる前に、彼もツイッターでまず批判を行っていた!)

しかし、ビルト外相は(一応、表向きには)ひるむ様子を全く見せていない。彼はEUの会合のために滞在していたブリュッセルにおいて、ジャーナリストのインタビューに対し

「私がツイッターに書いたということは、つまり、そこで伝えた内容を私が既に知っていたということだ」

と開き直っていた。「しかし、今回のような重大な事件に対しては、政府見解としてまず首相が公式な発表を行うべきでは?」という質問に対しても、

「そうしたら、あなたたち新聞は翌日の記事のネタに困ったんじゃないの?」と、さらに開き直った上で、「私は、国民に対する政治家としてのプレゼンスとオープン性が重要だと思う」と強調していた。


さて、彼のこれらの態度をどう捉えるか? 横柄だ、ワンマンプレーだ、という見方もできるし、まさにその通りだろう。しかし他方では、彼に向けられる様々な批判を、彼独特のハッランド方言でいつも一蹴してしまうその姿は、見ていてむしろ痛快にさえ感じられる。さすが豊富な経験を積んできた彼だからできることだ。経験の浅い政治家には真似すらできないだろう。とはいえ、私は彼の考え方の多くには抵抗を感じるため、外相としての彼を支持するつもりはない。しかし、それでも憎みきれない政治家だ。

最後に、彼のその後のツイッター書き込みを一つ紹介したい。

Twitter is part of the open diplomacy that is a part of the modern world. Not everyone likes it. Some didn't like the Internet either. Or the steam engine...
Mon Dec 13 2010 19:42:14 (Central Europe Standard Time) via Twitter for iPad

さすが、情報化時代の最先端を歩く政治家だ(笑)。閣僚になってからも自分で自由に「おしゃべり」を続ける政治家が他にいるだろうか・・・?

社会民主党の人気が低迷している理由は?(その2)

2010-11-27 00:39:36 | スウェーデン・その他の政治
社会民主党の支持率は下がる一方だ。選挙以降も世論調査が毎月続けられているが、過去100年間で最低だった選挙での投票率を下回り、現在27.7%という有様だ。一方、保守(穏健)党37.5%へとさらなる躍進を遂げている。選挙後、社会民主党は党首の辞任発表があったり、敗戦分析が行われているため、ゴタゴタが続いている。だから、支持率が下がるのは仕方がないことだろう。肝心なのは、党の刷新をこれから行っていき、4年後の国政選挙までに支持率を回復していくことだ。時間はたっぷりある。いや、そう考えていると、意外と時間はあっという間に過ぎていくものかもしれない。

他の小さな政党も支持率を低下させている。例のスウェーデン民主党は4.3%に低下しているし、キリスト教民主党は4%ハードルを下回るようになってしまった。選挙以降、支持率を伸ばしているのは、保守党環境党(9.1%)だけだ。


さて、前回は社会民主党の人気が低迷している理由の一つとして、右派・保守勢力の第一党である保守(穏健)党が中道路線を取るようになったため、社会民主党との距離が縮んだことを挙げた。

選挙を1~2週間ほど後に控えた9月上旬、テレビのあるコメディー番組も、ジョークをふんだんに交えながら社会民主党低迷の理由を探っていた。その番組によると、社会民主党が支持を失った理由は次のようなものだという。


● 「有権者は、ナチスの医者みたいな人物よりもポルノ男優みたいな人物が財務大臣にふさわしいと思っているから」

ナチスの医者とは、社会民主党の経済スポークスマンであり、左派連合が政権を獲った場合には財務大臣になることが期待されたトーマス・オストロースだ。一方、ポルノ男優とはポニーテールピアスという格好で、最近ちょっと太めになりつつある現職のアンデシュ・ボリ財務大臣のことだ。


ナチスの医者 vs ポルノ男優

● 「社会民主党の支持者は最近になって、社会民主党のほかにも投票できる党があることに気づいたから」

ブルーカラーの労働運動に支えられてきた社会民主党。その支持者は選挙となれば社会民主党以外には目もくれなかった・・・。一党による長期政権の下で次第に洗脳されてしまったいた有権者が、実は他にも政党があって、投票してもいいのだということに今になって気づいた、というパロディーだ。

● 「社会民主党の支持者は、女性の上司が嫌いだから」

女性の上司とは、2007年に社会民主党史上初めての女性党首となったモナ・サリーンのことだ。中高年・ブルーカラーの支持者には男女平等に関して保守的な人も多いと見られ、実際のところ女性党首のもとでの選挙戦は厳しいものになるとこの党の幹部をはじめ多くの人が考えていた。

● 「社会民主党の支持者は常に勝ち組に属したいと願うから」

社会民主党の長期政権の下で、選挙に負けるという経験をあまり知らない社会民主党支持者。党の人気が落ち目にあり、選挙に勝つのが難しいと分かると、敵側に寝返ってしまった、というわけだ。


以上は、半ばジョークだが(女性党首に関する部分はある程度あたっていると思うが)、次回は社会民主党が選挙に先駆けて犯してしまった戦略的ミスについて触れたいと思う。

社会民主党の人気が低迷している理由は?(その1)

2010-11-18 00:30:49 | スウェーデン・その他の政治
なぜ社会民主党がここ数年間、不調なのか?
その理由を探るためには8年前、つまり2002年の国政選挙までさかのぼる必要がある。

この選挙で歴史的な大敗退を経験した党があった。保守党(穏健党)だ(党の本来のイデオロギーが分かりやすい保守党という訳を以降使うことにする。英訳としてもThe conservativesとかThe conservative partyという言葉を自ら使っていたこともある)。この党は右派・保守勢力の第一党であり、90年代には22%前後の得票率を記録していたが2002年の国政選挙では15%にまで落ち込んでしまった。保守党は本来、保守主義新自由主義・市場自由主義を掲げる企業経営者や富裕層を対象にした政党であり、税金を財源とする社会保障制度や労使間の自主管理によって成り立つ労働市場モデルに対して反発し、大幅な減税を主張してきた。この時の党首ボー・ルンドグレン(Bo Lundgren)は、選挙キャンペーンにおいて「1300億クローナ規模の大減税」という公約を掲げていたが、多くの有権者にはあまりに非現実的で、単なる人気取り政党という印象を与えていた。

このブログでも何度か触れたように、他党だけでなくジャーナリストによる説明追及・尋問もスウェーデンの選挙期間中は重要な役割を果たすのだが、この時もルンドグレン党首に対して「それだけの減税を実行した場合、社会保障政策や雇用政策の財源はどうするのか? これらの政策はどの程度、削減するつもりか?」と説明を求めたものの、彼は有権者を納得させる答えをうまく返すことができなかった。また、90年代にこの党の党首であり、右派・保守支持層の間で人気を博していたカール・ビルトと比べ、そのあとを継いだボー・ルンドグレンは、政治リーダーというよりも堅実な銀行マンタイプの人間であり、インパクトに欠ける人柄だったことも災いした。


ボー・ルンドグレン(党首:1999-2003年)

2002年の大敗北を機に、党内では敗戦分析が行われるとともに、若手のメンバーが立ち上がった。それが、後に首相となるラインフェルトや蔵相となるボリ、労働市場相となるリトリーンなどだった。ラインフェルトは当時まだ37歳だったが、この党が伝統的に掲げてきた保守主義や新自由主義的なスローガンでは政権獲得はおろか、支持率の維持も難しいと主張し、政策主張の総点検に取り掛かったのだった。

ラインフェルトは90年代前半は保守党の青年部会の代表を務めたことがあったが、彼はこの時、党の執行部にたてつくような政策主張を繰り返し行ったため、当時の党首・首相であったカール・ビルトなど幹部にこっぴどく叱られた経験があった(この時は若者らしい過激さで、公的社会保障の大幅な削減やより新自由主義的な政策を求めていたようだ)。だから、2002年9月の大敗北以降、まだ30代の若手メンバーを中心とした刷新グループが動きだしたことに対しては、党内の守旧派が当初はかなり反発したようだ。しかし、党内での足場を着実に、そして迅速に築いていき、その1年後である2003年10月に開催された党大会においてラインフェルトは全会一致で党首に選出されたのだった。


「こんな若造に党を任せても大丈夫かな・・・」

ラインフェルトを始めとする刷新グループが打ち出したのは、大幅な路線転換だった。税を財源とするスウェーデン型の社会保障政策や、労使間の自主交渉を基本とする労働市場モデルの重要性を認めるとともに、大規模な減税といった主張を取り下げた。減税をする必要はあるとしても、これまでの社会保障制度を維持する範囲で行い、また減税の恩恵は低所得者層を中心に与えるべきだ、と考えた。社会保障制度の改革についても、ただ単に大幅にカットするのではなく、綻びが見え始めていたベネフィットの享受と働くことのリンク(スウェーデンの社会保障を貫くワーク・プリンシプルと呼ばれる理念)を強化することを目的とした制度改革を行うべきだと考えたのだった。

これらの新しい政策主張を掲げて、彼らは2006年9月の国政選挙で見事、政権を獲得した。得票率は、4年前の15%から26%へと大躍進したのだった。このとき、社会民主党は40%から35%へと5%ポイント失った。そして保守党は、これらの新しいアイデアを、試行錯誤をしながらも実行して行ったのだった。

<以前の記事>
2006-10-14:新しい保守党(穏健党)? (1)
2006-10-15:新しい保守党(穏健党)? (2)
2006-10-20:新しい保守党(穏健党)? (3)

----------

でも、このことがなぜ社会民主党の低迷と関係があるのかって?

それは、保守党が中道にかなり移動したことによって、社会民主党と保守党の差が小さくなってしまったからだ。以前は、左派-右派というスペクトラムにおいて、真ん中から左にかけてはほぼ社会民主党の独占のようなものだったが、保守党ガバッとやって来て、スウェーデン型の社会保障モデルや労働市場モデルの意義を認めるなど主張し始めたから、政策議論において社会民主党が独自性を誇示できるスペースが小さくなってしまったのだ。しかも、保守党が雇用創出や社会保障濫用の阻止といった分野において具体性のある政策を提案してきたのに対し、社会民主党は目新しい抜本的な対策を打ち出せなかったのだ。しかも、2006年9月の国政選挙時の党首(および首相)は、傲慢な態度ばかりが目立ち、人気をもはや失っていた(太っちょの)ヨーラン・パーションだった。

簡単に図解するとこうなるだろうか?

左派-右派というスペクトラムにおいて、従来このような構図であったものが・・・


保守党の路線転換によって、このようになったと言えるのではないだろうか?


中道に移動した保守党が、社会民主党の支持層に大幅に食い込んだわけだが、保守党が本当に中道に移動したか?という点に関しては、当初は多くの人々が疑いを持っていた。もしかして、羊の頭をかぶったオオカミではないか?とも思われていたのだ。だから、保守党が政権を獲った直後に実行した失業保険改革がセーフティーネットの大きな削減を意味するものだと分かったときは、すぐさま支持率が低下し、社会民主党が再び上昇気流に乗るという展開となった。

しかし、その後、保守党もミスを認めて失業保険制度に再度修正を加え、さらに2008年秋以降の金融危機に際しても、健全な財政を維持しつつ(財政赤字も最大でGDP比わずか2%程度)、社会保障制度を維持することにもある程度、成功したことから保守党への信頼が大きく回復していった(ただし、これは人によって見方が大きく異なるだろう。疾病保険改革は一部では大きな問題をもたらしたし、失業保険改革によって不況期に受給権を失う人が多く生まれたために、生活保護や住宅手当の受給者が増え、社会格差が多少拡大したという点は否めない)。なによりも、2007年以降、継続的に低所得層の勤労者をより優遇する所得税減税(正確には税額控除)を行ったことも大きい。

だから、上の図からも分かるように、保守党が真ん中に陣取るようになったおかげで、社会民主党は自分たちの独自性を打ち出すことが難しくなったわけだし、同時に、もともと中道寄りにいた中央党自由党も、自分たちの独自性を維持するために、少しずつ右のほうにポジションを変えるという動きも見られるようになっていった(ただし、右といっても極右とか国粋という意味ではなく、自由市場主義・規律の重視という意味)。もともと右端で保守党と競合していたキリスト教民主党は、ライバルがいなくなり喜んだ上に、家族主義の重視や保守的価値観をさらに強調して右端の支持層を獲得しようとした。しかし、次第に明らかになったのは、右端にはあまり有権者がいないことだった(だからこそ、保守党は左への大移動をしたのだった)。

以上が、社会民主党が落ち目にある一つの理由といえるだろう。

一つ注意しなければならないのは、社会民主党の衰退、イコール、社会民主主義の衰退であるとは限らないということだ。既に書いたように、現在の保守党はこれまで社会民主党や労働組合が築いてきた社会保障政策や労働市場モデルの重要性や意義を受け入れることなくして、政権を獲得することが難しかったからだ。右派勢力の第一党であった保守党が社会民主党的な政策をかなりの程度、受け入れる道を選んだのは、むしろ社会民主主義の勝利ではないか、という見方もある。

<以前の記事>
2006-11-07:『総選挙は、社会民主党の勝利であった』

モナ・サリーンの退陣表明

2010-11-15 01:42:16 | スウェーデン・その他の政治
社会民主党の党首モナ・サリーンが辞任することを発表した。

9月の総選挙で政権の奪還に失敗した。社会民主党の得票率は30%強であり、今でもスウェーデンで最大の党であることは間違いないが、30%という水準はこの党の歴史から見ると非常に低い水準だ。

選挙での敗退と支持率の低迷を受けて、社会民主党内部では敗戦分析が進められていた。ワーキンググループが作られ、彼らによる敗戦分析レポートが来年の党大会までに作成され、党執行部と党の掲げる政策の刷新が議論されることなっていた。選挙の直後から党首モナ・サリーンの辞任を求める声が挙がっていたが、彼女は党首を続けると表明していた。

しかし、先週に入ると、彼女は党内部での危機意識を高めたいという意図からか「私を含め、党の執行部メンバーは全員、来年の党大会において一度辞職し、その上で再選を目指すというプロセスを踏むべきだ」と発表し、自らも来年の党大会で党のメンバーの信任を改めて問うことを表明した。しかし、彼女のこの動きは、当初の意図を越えて党内に大きな波紋をもたらし、党の内部では選挙での敗退の責任をなすりつける動きが始まっていった。大きな党であるだけに、一度混乱が生じ始めると収拾がつかなくなる。党の幹部の中には、負け組の一部にはなりたくないと保身に走るものもいて見苦しい。

次第にエスカレートしていく混乱を受けて、この日曜日には党の幹部と地方組織の代表による特別会合が開かれた。会合に向かう途中のモナ・サリーンはそれまで同様、今後も党を率いていくと表明していたものの、会合が終わってから記者会見を開き、来年の党大会では党首の再選に立候補しないことを発表したのだった。辞任表明ということだ。さらに、国会議員のポストからも身をひくことも表明した。


思い出せば、4年前、2006年9月の国政選挙の夜、社会民主党の敗戦が明らかになったとき、当時の党首であり首相であったヨーラン・パーションが辞任を発表し、その直後から次の党首探しが始まっていった。選挙で右に流れた風向きを変えて、4年後の選挙で勝利に導くことが次の党首に託された使命だった。

しかし、社会民主党の支持率は新しい党首に選出されるのを待たずして自然と回復。2007年3月に党首に選ばれたモナ・サリーンには、その回復基調を維持し、2010年9月の国政選挙において政権を奪還することが期待されたのだった。中道保守政権が失業保険改革などで不人気となっていたため、風向きが再び社会民主党に向かっていた当時の状況から考えれば、それは難しいことではないと思われた。

しかし、途中で何かが狂ってしまったのだ。それは次回に。


モナ・サリーン 25歳

1957年生まれのモナ・サリーンが国会議員に初めて選ばれたのは1982年、25歳のことだった。やる気に満ち溢れる若手議員で、中年のベテラン議員を相手に少し生意気そうに挑戦的な議論をふっかけることもしばしばだった。党内での評価も高かったし、若者や女性の支持が高かった。暗殺されたオロフ・パルメの後を引き継いだ党首イングヴァル・カールソンも彼女を認めて1990年に労働市場大臣に抜擢した。また、1991年の国政選挙を直前にしたテレビ上での公開討論には党首カールソンと一緒に出演し、議論に参加したりもした。

だから、カールソンが1995年に党首と首相を辞任することを発表した後も、その後継として当然ながら彼女の名が挙がり、有力視されていた(カールソン政権で副大臣も務めていた)。しかし、この時、彼女が国会議員という公務のためのクレジット・カードを使って私的な買い物をしていたことが明るみになり、このことが取りざたされて社会民主党初の女性党首(しかもまだ30代という若さ)の夢は潰えてしまった。このときの買い物というのは実はチョコレート程度で、法には触れないものだった。残念ながら彼女は人気が高い反面、敵もたくさんいたようで、彼女を好まない党の内部の者がメディアにリークしたのだった。

このチョコレート・スキャンダルで一度は国会議員の職を退いたものの、90年代終わりから次第にカムバックしていき、ヨーラン・パーション政権のもとで大臣職をいくつか経験した。パーション政権は2004年から2006年まで環境省を改めて「環境と持続可能な発展省」と呼んでいたことがあったが、モナ・サリーンはこの持続可能な発展担当大臣を務めたこともあった。

そして、ヨーラン・パーションの後継として2007年に党首となったわけだが、残念ながら時期として遅すぎたといわざるを得ないかもしれない。80年代・90年代のフレッシュさはあまり感じられず、のらりくらりとゆっくりしゃべる中年の女性というイメージばかりが強く出るようになっていた。

<彼女の28年間の政治家キャリアを綴るニュース動画>

モナ・サリーンが可哀想で仕方がない。1995年の党首選においてスキャンダルがリークされたために政治家としての一番よいタイミング(政治家としての旬?)を逃してしまったこともさることながら、2007年に晴れて党首の座についた時には、社会民主党は活力を失い、方向性を見失った党に化していた。また、相変わらず、党内部や労働組合の中に敵が少なからずいたため、彼らと戦わざるを得ず、余分なエネルギーを費やしてきた(前回の記事に関連することだが、社会民主党こそエリート化した議員の多い党で、権力争いに躍起になっている人が比較的多いことが有名だ)。そして、国政選挙のキャンペーンでは、支持率が伸び悩む中、疲れが見え始め、そのことによってさらに支持が低迷するという悪循環が生じていた。だから、そんな疲れが今、限界に達し、辞任の決断に至ったのだろう。

しかし、国会議員まで辞任してしまうのは残念だ。適切なタイミングと環境と良い仲間がいれば、もっと活躍することができただろうに。

グスタフ・フリドリーン 「議員が一生の仕事であってはならない」(その2)

2010-11-10 01:33:46 | スウェーデン・その他の政治
19歳で選挙に当選し、国会議員を1期4年間務めたグスタフ・フリドリーンは、2006年に国政から退いた後、ジャーナリストや講師、執筆などをしてきた。しかし、今年の国政選挙を前にし、再び立候補して政治の世界に戻ることを表明。そして、見事当選を果たした。

彼が再び国会議員になることを選んだのは彼自身の意欲によるものだが、もう一つの背景としては彼の属する環境党党首選びが挙げられる。「政治家が一生の仕事であってはならない」という彼の主張と似たように、環境党自身も「同じ人が党首をいつまでも続けるべきではない」という方針を持っており、党首の任期は最大8年と決めている。現在の2人の党首は2003年半ばから党首ポストに就いてきたので、来年には新しい党首が引き継がなければならない。そして、その有力な候補がまだ20代のグスタフ・フリドリーンなのだ。

(ちなみに、二人党首制を採用している環境党は男女を一人ずつ党首に選んでいるが、性別のバランスだけでなく年齢のバランスにも配慮しており、一人が中年ならもう一人は若い人を選ぶようにしている。現在の党首の一人であるマリア・ヴェッテルシュトランド(女性)も党首に選ばれた2003年当時は29歳だった。)

政治への復帰を表明してから、彼はメディア上において政治を巡る議論に参加するようになったが、ここでも政治と現実社会とのリンクの重要性を強調していた。その一つとして、テレビの討論番組のサイト上に面白い記事を寄稿していた。


「私がまだ国会議員の一期目を務めていたある時、フェアトレードのコーヒーの宣伝のために地方のスーパーの前にブースを作って、立っていたことがあった。すると若い女の子がやって来た。彼女は以前、同じ学校の高校生と一緒に国会議事堂の見学に行ったことがあり、その時に私を見かけたという。その時は、どこかの党の中年の女性議員に議事堂の中を案内してもらっていたらしい。そこを私が急ぎ足で通り過ぎて行ったと言うのだ。

ガイドをしていた女性議員は、私の姿が見えなくなってから高校生たちにこう言ったらしい。『あれがグスタフ・フリドリーンだよ。彼は私たち国会議員の給料を下げる提案をしているんだ。人間、年を取ればそれなりに高い給料を貰ってもいいってことが彼には理解できないようだ』。その女の子は女性議員に訊いてみた。『あなたは今何歳で、月にどれだけの歳費をもらっているの?』すると55歳で月に4万クローナ(50万円)貰っていることが分かった。女性議員に対する女の子のとっさの反応はこうだった。『55歳って、私の母と同じ歳。母は看護師をしているんだけど月にどれくらい稼いでいるか想像できる?』


彼は、この話の後で、チェコの共産政権に反対した活動家で民主化後に大統領になったハヴェルという人が「政治家となり大統領となったことで様々な特権を手に入れていくうちに、一般社会における現実感覚が次第に薄れて行き、権力の虜になってしまった」ことを自ら懺悔する講演を行ったことに触れている。

そして、「高校生を国会議事堂で案内した女性議員も、55歳の人すべてが月に4万クローナも稼げるわけではないことを知ってはいたであろうに、そんな自分の給料に不満だということを、何のためらいもなく高校生たちの前で口にできてしまったということは、一般の人々の現実感覚を失ってしまったことの現われではないかと思う。」と続けていた。


議会とは、社会を構成する様々な人々が自らの経験を出発点として政治を形作っていく場であるべきだ。若者として今どんな生活を送っているのか、最低保障年金しか受給できない年金受給者としてどう生きているのか、自営業者としてどのような苦労をしてきたのか・・・。そのような声こそ、専門家を自ら名乗る人々の声よりも重要なのだ。

保守党の広報担当の幹部はある時こう言った。『冷凍コーナーに並ぶ3つのメーカーのミートボールのうち、消費者はどれを選ぶのか? 政治とはここから始まるのだ』。つまり、保守党は有権者を、与えられた選択肢の中から受身的に選ぶだけの消費者としか見ていないのだ。

ある時、社会民主党のホームページを訪ねたことがある。自動的に流れてきた動画では、サッカーを応援するサポーターが観客席で歓声を上げていた。数秒後に、党首のモナ・サリーンが画面に突然現れ『あなたも社会民主党のサポーターになりませんか?』と誘ってきた。私は意味が全く分からなかった。今の政治が本当に必要としているのは、観客席で大声を張り上げるだけのサポーターや、今日は誰がどのようにプレーするかを偉そうに説明する解説者ではないはずだ。政治が必要としているのは、実際にボールを蹴るプレーヤーなのだ

民主主義とは愛情のようなものかもしれない。そこにあることが当然だと思っていると、いつの間にか姿を消してしまうものなのだ。」

――――――――――

理想論に過ぎない、と笑って済ますこともできるかもしれない。しかし、自分の理想を掲げ、それを実現したいと思う意欲を持った若者に、活躍の場がちゃんと与えられているという点が、私は重要なのではないかと思う。

グスタフ・フリドリーン 「議員が一生の仕事であってはならない」(その1)

2010-11-08 01:12:53 | スウェーデン・その他の政治
今回の国政選挙で18歳の国会議員が誕生したことは少し前にここでも書いたが、若者の政治への関与について語る上でどうしても触れておきたい人がいる。グスタフ・フリドリーンという27歳の若者だ。


振り返ること8年前、2002年の国政選挙において19歳という若さで国会議員に当選した男の子がいたが、それがグスタフ・フリドリーンだった。小さい時から環境問題に関心を持った彼は、11歳のときに環境党の青年部会のメンバーになり、党内でのアイデア形成に子どもの立場から積極的に関わっていった。そして、16歳のときにこの青年部会の代表に選ばれ、そして19歳から国会議員となったのだった。

ただし、任期4年の間に国会議員として様々な経験を積んだり、同僚の議員や他の党の議員と仕事をしていくなかで「国会議員という身分が一生涯の職となるべきではない」と考えるようになり、2006年の国政選挙では立候補しないと表明した。彼の考えは、政治という場はあくまで我々が生きる社会の現状を捉え、その社会を変革していくためのベースに過ぎないのだから、そこで仕事をする政治家は現実社会との接点を失ってはならない、というものだった。

過去の記事:2005-09-22:19歳の国会議員

理想的な政治のあり方とは、なるべく多くの議員が政治家という仕事それ以外の仕事の間を行ったり来たりすることだ。1期4年の任期を終えた彼は政治の世界から退き、それまで関心を持っていたジャーナリストという仕事に就くことを選んだ。そして、民放のテレビ局において社会問題を扱う番組の制作(Kalla fakta)に携わったり、ドキュメンタリー映画の制作を手がけたりした。中でも環境問題(飛行場・航空路線が抱える様々な社会的・環境的費用)を扱った作品は一定の評価を受け、環境ジャーナリスト大賞にノミネートされたりもした。

また、“民衆”高等学校(大学とは別に、議論や討論をベースとしながら社会的素養を身につけるための教育機関)で講師として働くための学位を大学で取得していた彼は、社会科や歴史の講師を務めたりもした。さらに、その傍らでは本の執筆も進め、2009年春に『騙された! - 歳出削減が生み出した一つの世代』として刊行された。この本のテーマは80年代生まれの若者世代だ。若い世代と中高年の世代との対立が常にそうであるように、80年代生まれの若者たちも社会の大人たちからは「新人類」だとか「怠け者の世代」だと冷ややかな目で見られてきた。そのような社会の目に対して、自らも80年代生まれであるグスタフ・フリドリーンは、自分たちの世代の声にも社会は耳を貸すべきだと声を上げたのだった。そして、この本のなかで、1990年代初めの経済危機とその後の歳出削減が80年代世代にいかに大きな影響を与え、彼らの明るい将来が打ち砕かれ、様々な問題が生まれたかを説明したのだった。まさに自分たちこそ大人たちに騙された(blåsta)世代だ、という訳だ。

このように様々なことにチャレンジできる意欲を持ったマルチな彼だが、2010年の国政選挙を9ヵ月後に控えた昨年暮れに、彼は国政にカムバックすることを表明したのだった。環境党に再び戻った彼は、党内での人気も高かったために支持をうまく勝ち取り、比例代表の上位に名前を連ねることとなった。そして、見事再選を果たしたのだった。(続く・・・)


少し生意気げにこうやって議場の席に座って討議に参加する若い議員がいてもいいでしょ?(5~6年前の写真)

18歳の国会議員の誕生

2010-10-20 01:12:57 | スウェーデン・その他の政治
前々回の記事で、国政選挙で当選しスウェーデン議会の議員となった人の年齢分布について紹介したときに、一番若い議員は22歳だと書いた。

しかし、保守党(穏健党)から立候補して当選した女性議員ストックホルム市議会の議員にもダブルで当選しており、彼女はフルタイムで市政に関わるために、スウェーデン議会の議席は辞退することになった。国会と市議会、もしくは県議会にダブルで当選することは珍しいことではなく、両方のポストに同時に就く議員も何人かいるものの、彼女の場合はフルタイムで市政に関わるために、国政への関与は断念することに決めたようだ。

(ちなみに彼女は、前回のアメリカ大統領選挙の際に、スウェーデンの新聞のインタビューの中で「共和党のマケイン候補を支持している」と発言していたのを覚えている。アメリカに比べると政治全体が左寄りに位置しているスウェーデンでは、保守政党の政治家を含めて大部分の政治家がオバマを支持していたため、たまに「マケインを支持している」と言う声があるとむしろ新鮮に聞こえるものなのだ。)

比例代表制を採用しているスウェーデンでは、ある議員が辞退した場合、比例代表名簿の次に名前がある人が繰り上げ当選することになる(これは、任期の途中で病気や出産・育児、その他の理由により議員職を休んだり辞めたりするときにもいえる。だから、補欠選挙というものはない)。

その結果、彼女の代わりにスウェーデン議会の議員をすることになったのは、18歳アントン・アベレという男の子だ。選挙権・被選挙権ともに18歳以上であるため、最年少の議員となるわけだが、彼の名前を耳にしたことがあるスウェーデン人は多いはずだ。

その理由は2007年10月に起きたある出来事だ。ある夜、ストックホルムの中心街の路上において、パーティーに参加していた16歳の少年が同年代の少年数人に暴行を受け、死亡するという事件が起きた。この事件はメディアでも大きく取り上げられ、少年による暴行や犯罪をどうやったら減らせるか、という社会的な議論が巻き起こっていった。当時15歳でストックホルムに住んでいたアントン・アベレは、犠牲者と同年代である自分たちも何か行動を起こさなければ、と考えて、ネット上のFacebook「私たちを路上での暴力から守ろう!」というグループを立ち上げた。このグループは大きな反響を呼び、一週間も経たないうちに若者から大人まで10万人もの人がグループに参加することになった。


そして、ネット上での活動だけでなく、実際にデモ集会を行って、暴力は許さない、という固い意志を賛同者とともに社会に示すべきだ、と考えた彼は、事件から1週間ほどが経った週末に、ストックホルムの中心にあるクングストレッドゴーデンという公園にみんなで集まろうと、Facebookのグループのメンバーに呼びかけた。すると、当日は1万人を超える人々がこの公園に集まってデモ集会に参加した。そして、呼びかけ人である15歳の彼は「暴力は許さない」と演説を行ったのだった。この集会がきっかけとなり、この後、スウェーデンの様々なNPOや団体、行政機関、警察が若者による暴力を未然に防ぐためのキャンペーンを展開していくことになった。彼自身も「路上暴力を止めよう」というNPOを設立して、3年間にわたって活動してきた。


演説し、暴力反対を訴えるアントン

今年の秋からストックホルム商科大学に通い始めた彼は、繰り上げ当選が決まった先日、メディアによるインタビューの中で「誰もが夜でも安心して路上を歩けるようにするためには、警官を増やしたり、刑罰を厳しくしたりすることが一つの解決策になると思う」と答えていた。また、ネット上での他人の侮辱やイジメ、誹謗・中傷といった問題にも取り組んで行きたいと言っている。「簡単な解決策はないが、みんなで議論して見つけて行きたい。ネット上で非常に深刻な侮辱が行われているのに、それをやっている本人は『言論の自由』を盾にして、自分を正当化しようとすることが多い。しかし、そもそも『言論の自由』が守ろうとしているのは、そんな恥ずかしい行為ではない」


今年の国政選挙のために彼が立ち上げたキャンペーン・サイト

----------


2007年10月のデモ集会で演説し、テレビに大きく取り上げられた当時15歳の彼は、非常に幼く見えたが、今でもそんな外見はあまり変わっていない。こうやって若い人が政治に関わることは、同世代の若者に関心を持たせるためにも、そして、社会をよりよいものにしていくためにも、非常に重要なことだと思う。