スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

今の日本の政治に求められるのは果たしてリーダーシップなのか?

2011-06-27 00:50:45 | スウェーデン・その他の政治
「リーダーシップ」という言葉が日常茶飯事に使われている。菅首相にはリーダーシップがないと言われるし、それまでの自民党政権でもリーダーシップの欠如がたびたび問題視されてきた。震災後には「リーダーのあるべき姿」論があちこちで議論された。

では、今の日本の現状とは正反対の、「政治がリーダーシップをバリバリ発揮する政治」とはどのような政治なのだろうか? カリスマのある一人のリーダーが、反対勢力を押し切りながら、是が非でも大きな改革を実行するような政治だろうか? どのような事態においてもアドリブや機転を利かせながら柔軟に対応して、難所を乗り切っていける人生哲学を持ったリーダーが率いる政治だろうか?

しかし、もしそのような政治を頭に描き、そのようなリーダーが登場すれば日本の政治が良くなると期待しているのであれば、その願いはいつまで経っても叶わないだろう。今の日本の政治が抱える問題は一人の強いリーダーが登場すれば解決するような問題ではないと思うからだ。

戦国時代の名将を描いた時代小説はたくさんある。よくある主題は人間同士の駆け引き危機に際しての名将の決断だ。そのようなドラマから「リーダーにふさわしい人物像」とか「リーダーに必要とされる人生哲学」を抽象化して導き出し、それを現在の日本の政治に当てはめようとする論評などは何度も目にしてきた。しかし、あまり大きくない規模の企業経営であれば、それが通用するかもしれないが、複雑多様化する社会に対応する為に様々な政策を実行し、ありとあらゆる危機に対処していかなければならない一国の政治となると、一人もしくはトップにいる少数の人物だけにすべての望みを託して、それでうまく行くとは思えない。一握りの人間だけで様々な問題に対応できるほど、今の社会は甘くない。その上、政治がうまく機能しない場合に「トップに立つ人間が悪いのだから、別の人物に替えれば良くなる」という安易な発想に陥ってしまいがちだ。その繰り返しがこれまでの日本の政治をダメにしてきたのではないだろうか。さらに、たとえカリスマのあるリーダーがトップにしばらく居座って、大きくて困難な改革を成し遂げたとしても、世論の幅広い支持を得ないまま、反対意見を無理に押し切って実行したのであれば大きな問題も孕んでいる。

共著で昨年11月に出版した『スウェーデン・パラドックス』では、スウェーデンが高負担にもかかわらず安定的な経済成長健全な財政を達成するとともに、年金制度改革や環境税導入など重要な改革を成し遂げてきたことなどについても触れたが、出版してから間もないうちに「スウェーデンの現在の経済や政治を作り上げることに貢献した、代表的なリーダーは誰ですか?」という質問を複数の人から頂いた。おそらく質問を下さった方々は、スウェーデンではリーダーシップをうまく発揮できる特定のリーダーがいたからこそ、今の成功があるのではないか、という期待を持っておられたのかもしれない。確かに、スウェーデンのこれまでの首相の中には良くも悪くもカリスマを持ち、党内外での求心力を発揮した人物も少なからずいる。

しかし、スウェーデンが刻々と変化する現代社会の様々な問題に対処するために、例えば、他国に先駆けて年金改革に着手し実行したり、男女平等の促進や出生率向上のために育児休暇制度を充実させて男性にも育児の一部を負担させるようにしたり、気候変動対策のために早くも1991年に環境税・二酸化炭素税を導入したり、1990年のバブル崩壊に伴う金融危機で公的資金の注入や銀行国有化を迅速に進めたり、その他、様々な問題に対処するための政策を導入することができた理由は、一人もしくは少数のリーダーの活躍のおかげというわけではないカリスマなりリーダーシップなり求心力は、安定した政権を運営していくための必要条件ではあっても、他国に先駆けて意欲的な政策を導入したり、危機に迅速に対応して的確な政策を実行していくための十分条件ではないように思う。

では何が鍵を握っているかというと、政治のビジョンをしっかりと描きそれを実行に移していくためにリーダーを支えるブレイン集団が存在すること、社会が抱える様々な潜在的な問題を早い段階で政治のテーブルに載せ、それに対処するための政策の選択を専門家がきちんと洗い出し、どれが最適かを議論したり、社会を構成する様々な人々の意見を聞きながら実行していくためのプロセスが制度としてしっかり確立していること、そして、そのプロセスが透明性を持っていること、候補者の人気投票ではなく政策議論を中心とした選挙を可能にする選挙制度があること、研究実績も博士号も持たない肩書きだけの「教授」や御用学者ではなく専門知識に長け社会を良くしようというやる気に満ちた学識研究者が歳に関係なく自らの能力を政策決定に反映できること、大学で専門知識を学んだ人がその能力を生かせる行政の職場に就き、エキスパートとしての立場から行政を行ったり政府に対して意見や提案を行えること・・・。スウェーデンの政治や社会を見ていると、以上のような「制度」の確立のほうが特定の個人のリーダーシップの有無よりも非常に重要な鍵を握っているのではないかと思う。

だから「スウェーデンの現在の経済や政治を導いてきた代表的なリーダーは誰ですか?」と尋ねてくださった方々には申し訳ないが、「こんなリーダーがいたから、今のスウェーデンがあるんですよ」と一言で述べて、その人物のリーダー哲学を説明してあげることはできない。私の答えは、上に示したように、一言では言い切れない。スウェーデンで政治に携わったり行政のアドミニストレーションに携わったりする人に求められるのは、心を動かすようなリーダー論や人生哲学ではなく、むしろ組織の中での効率的なマネージメントの能力やコミュニケーションの能力、他人とのグループワークの能力といった「地味」で実務的な能力だ。大学教育の経済・経営などに関する教育課程でもそういった要素が重視されているし、他の学生と一緒に一つの課題をこなすというグループワークは他の教育分野でも一般的だ。

6月初めに日本に滞在した際に気になったのが「菅政権や官僚、東京電力の人間はマニュアル通りに動くことはできても、マニュアルが想定していない事態が起こると何もできない」といった主旨の批判だった。未曾有の事態に遭遇してあたふたし、失敗ばかり繰り返していることに対する批判だ。しかし、想定もされず対処のマニュアルもない事態に際して、あたふたもせず臨機応変に対処できる人間なんて、果たしているのだろうか、と私は何度も考えた。そのような超人がごく稀にいるのかもしれないし、そうでないとすれば、たまたま試してみて運よく成功した、という結果論に過ぎないのではないだろうか?

私が思うに、マニュアルなしにはうまく動けないのはある意味当然のことであり、むしろ批判すべき点は万が一の事態を想定せず、マニュアルも作らず、準備を怠ってきたということだろうし、リーダーが適切な判断を下せるように、きちんとした情報や知識を提供してサポートできる組織や制度が整っていなかったことだろう。健康被害を未然に防ぐために専門家としての適切な見解とアドバイスが求められるときに「子供も年間20mSvの被曝まで大丈夫」などという浅はかな判断をきちんと議論もせずに簡単に出してしまい、あとは若い官僚を怒る市民の前に送り込んで頭を下げて弁明させ(もしくは、うつむいて沈黙を保ち)、組織としての面子をなんとしてでも保とうとする「専門家」集団や官僚組織を抱えていては、たとえ能力のあるリーダーがいても、実力を発揮することは難しいだろう。

国を運営するというのは一人や少数の人間だけでできるものではない。だから、菅政権だけを叩いてもしょうがない。谷垣政権でも結局、未曾有の事態に対しては右往左往し、同じように叩かれていただろう。だから、菅首相や菅政権といった特定の人物のリーダーシップを云々と議論するよりも、そのリーダーを平時から支え、有事への備えをするシステム・制度・組織のあり方に焦点を当てて議論することのほうがよほど意義があるのではないかと思う。ただし、そのような議論や改革に向けた作業は地味なものであるし、「あいつが悪いから切ってしまえ」というような単純で分かりやすい議論とならないためマスコミも飛びついてはくれないだろう。しかし、その部分にメスを入れないことには今の政治はどうにもならないと思う。

政治に関して言えば、「政治主導」という言葉が叫ばれて久しいが、副大臣や政務官の数だけを増やしても何も変わらないし、「マニフェスト選挙」などと言っても党内でろくに議論も重ねず、また実行可能性について吟味することなく選挙前にありあわせで作るのであれば、絵に描いた餅だ。必要なのはビジョンを描くことができ、その実行のために具体的な政策を立案し、いざ政権に就いたときには専門家や官僚、社会を構成する様々な主体の声を聞きながら実行していける政策集団を政党の側にしっかりと備えていくということだと思う。

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7 コメント

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ヒーローを望むマスコミ、経済と政治を区別できない世論 (katute)
2011-06-28 14:10:25
政治が全てを決めてしまうと、これまでと何も変わらない。政治はこれまで丼ぶり勘定で利害を決済してきたのだから、あるいは、より以上に悪化するだろう。
経済もこれまで業界が救済策を講じてこなかったから、これまでの論調で行くと自業自得な場面なのだが、泣きっ面に蜂だから、堪えているのかと思う。
国のあるべきデザインを怠ってきたツケなのだ。
日本国憲法がお飾りであった証拠で、人々の幸福など追及してなかったのを、今回いきなりやってみろと言われても、この国にそういう仕組みが無いのだから、時間だけが徒に過ぎて往くと思われても仕方が無いだろう。手探りで一歩一歩前進するしか。

ということで、政治がリーダーシップを発揮しても、一部に言われるような日本再占領を完成できるとも思われない。
なにしろ、復興財源を税金に求める限り、実施できるまでに税収が確認出来るほどの時間が掛かるのだから。

各地方自治体ごとに「ふるさと納税」で空からの救援は出来ても、復興というような国としてのグランドデザインは残念ながら見えてきそうにない。
日頃思っていることを (yasu)
2011-06-29 10:21:00
 大変ご無沙汰しています。
 ブログの記事等に関連して、メールをさせて頂こうかと思ったこともあったのですが、忙しさにかまけ、ついつい不義理をしていました(ここのところ、ここ20年くらいで最も多忙です・・・)。日本の政治状況に関して、まさに私が日頃思っていることを書いておられたので、忘れないうちにと思い、コメントさせていただきます。

 今の日本の「リーダーシップ」待望論は異常であり、大変危険だと思っています。現在、「リーダシップ」を発揮している人の代表が石原都知事であり、橋下大阪府知事ということなのでしょう。私からすれば、彼らは(個別には局所的には支持できる施策もあるものの)単に「俺の言うことを聞け。聞かないやつは許さない」と、非常に細かいことや個人の思想信条にかかわるところにまで自分の好き嫌いを基準に統制しようとしているに過ぎないように思えます。それを「リーダーシップ」があるともてはやし、それに比べて・・・という形で管総理を非難する。その一方で、例えば原発事故発生直後に東電に乗り込んで、第一原発から撤退したいという社長を叱責して撤退しないようにいった行為については「傲慢だ」、浜岡原発停止の「要請」については「唐突過ぎる」と非難する。もしこれを小泉純一郎がやったら拍手喝采されたでしょう。結局、空想的ヒーローを待望し、一方で「嫌い」「駄目」とひとたび評価されたら、「リーダシップがない」という、具体的には意味のよくわからない言葉で批判した気になっている、あるいは鬱憤をはらしているだけです。
 これでは管総理が変わったとしても、そして新首相が最初はある程度の支持を得ていたとしても、何かにつまずくと「リーダーシップがない」という批判が繰り返され短期政権に終わる、そのような事態が繰り返され、ますます「リーダーシップ」が渇望されるようになり、最後に本当の意味での独裁的な政治家が誕生してしまう・・・
 現在のリーダーシップに関する議論(にもなっていないと思いますが)を聞いていると、本当に上記のことを危惧します。
 私のようなものにも、スウェーデンとの対比を聞かれることがあったのですが、今度は「この記事を読め!」と言います。

 他にも色々申し上げたいことはあるのですが、長くなりましたので、この辺で。

Unknown (net)
2011-06-30 03:19:31
自分も英雄待望論的な今の日本の政治にはホントに気持ちが悪いと思ってました
小泉政権以降とくに気持ち悪かったのが党首が変わるたびに上下する政党支持率と
個人のスキャンダルが発覚するたびにでる「出処進退は○○氏個人が決めることだと思っています」
郵政選挙で日本の政治に失望していましたが
さらに失望するきっかけになったのがあれですね
あのころから日本の政治家がダメなのは選ぶ側の有権者の政治に対する意識だめだからだと思うようになりました

でも約一億人の有権者の意識を変えることは到底無理です
だからこそ前の記事のコメント欄にも書きましたが「制度」を変える、「選挙制度」を変えることが重要だと思います
個人を選ぶ小選挙区制、中選挙区制は今の日本の政治を良くする制度ではないと思います
前の記事のコメント欄で書いたように小選挙区制の死票や第一党に対する過剰代表の問題もそうですが
中小選挙区制は候補者個人を選ぶことに大きく比重が置かれていることが問題です
最近読んだ脳科学関連のニュースでは「人間の新たな情報への渇望は、局地的で、『個人的』なものに向かう傾向があるという研究結果が出たそうです
http://wired.jp/wv/2010/11/30/%e3%80%8c%e6%83%85%e5%a0%b1%e4%b8%ad%e6%af%92%e3%80%8d%e3%81%a8%e3%80%8c%e5%a5%bd%e5%a5%87%e5%bf%83%e3%81%ae%e3%83%91%e3%83%a9%e3%83%89%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%b9%e3%80%8d/
つまり日本人に限らず人間は難しい政策論ではなく
政治家のより個人的なもの極端な話「好きな食べ物」のようなどうでもいいことに興味をひかれやすいそうで
小選挙区制や中選挙区制のように制度までも個人を前に出すと
あまり政策論争には発展していかないのではないかと思います

スウェーデンのような修正サン=ラグ式の比例代表制は
比例代表制ですので当然、選ぶ際には政党が全面に出ていて必然的に政党の政策に目がいきやすくなり個人は比例名簿の修正程度
議席を獲得するたびに得票数を奇数で割っていくことで議会第一党に過剰代表を与えにくくし(常に第一党の社会民主党ですら単独過半数を獲得したのは史上二、三回程度しかないらしいですね)
第一党が単独過半数を容易に獲得し議会運営をおざなりにするということが起きくく
政策ごとの政党間協力や連立政権が前提となる穏健なる多党制で
得票数を初めに一律に1.4で割ることで泡沫政党の乱立を防ぎ議会が混乱しないようある程度配慮されていて
かといって5%と13%?ルールで極小政党にもチャンスを与えている

スウェーデン人の政治に対する意識もそうですが
スウェーデンのこのすぐれた選挙制度からも日本は学ぶことがあるのではないかと思います

これも前のコメント欄で書きましたが
残念なことに日本では「議員定数削減」「比例削減」などと言うより不毛な方向にむかっているようで…
Unknown (Yoshi)
2011-07-01 01:45:49
Yasuさん、ご無沙汰しています。

石原知事や橋下知事の例、菅直人の東電への乗り込み、など例示をしていただいて助かりました。ありがとうございます。


選挙制度に関する指摘は、その通りだと思います。
>残念なことに日本では「議員定数削減」「比例削減」などと言うより不毛な方向にむかっているようで…

そうですよね。同感です。


>政治が全てを決めてしまうと、これまでと何も変わらない。政治はこれまで丼ぶり勘定で利害を決済してきたのだから、あるいは、より以上に悪化するだろう。

ただ、業界や官僚にすべてを任せたとしても、彼らが間違わないという保証はないでしょうし、間違えた場合にその責任を誰が取るのか。「政治」がこれまで舞台の裾野のお飾りであったとしても、これからも常にそうあるべきだ、とは思いません。市場のルールを整備したり、社会の進むべき方向性を示し、動かしていくといった役割を担っていくべきですし、そのための政策議論や最終的な決定は、業界や官僚へのお任せではなく、政治側が行っていかなければならないと思います。確かに、今の政治・政治家・選挙制度のままではダメですが。
リーダーシップとは? (makuto)
2011-07-01 04:20:37
初めまして、半年程前から時々ブログを拝見させて頂いてます。

今回の震災みたいに迅速な政治の意思決定が必要な状況になると世論はリーダーシップを求めたがりますが、リーダーシップとは何なのか?と改めて問われると上手く答えられない国民は多いと思います。だから
石原や橋本のような暴君タイプの指導者に支持が集まるのかなと考えています。

自分は今の政治制度は色々問題を抱えていると思っていて選挙制度はもちろんなんですが、参議院の存在は無視できないでしょう。世界でも最強の部類に入る(と僕は思ってます)上院に対し、ねじれ現象が起きたときに上手く応対出来る政治家なんているのでしょうか?世界の著名な政治家でも難しい筈。
個人的には一院制ではなく衆参の役割分担が必要だと思いますが、鞍替えが常態化してる現状では難しいでしょうね・・・

ところで一つ質問があるのですがよろしいでしょうか?
スウェーデンでは政府と与党の関係はどうなっているのでしょうか?日本では昨日決定された「社会保障と税一体改革」の論議に見られるように政策決定において政府の原案が与党によって修正(あるいは骨抜き?)されることがありますが、スウェーデンではどうなのでしょうか?イギリスのように政府と与党は一元化されているのでしょうか?それとも二元体制ではあるが政府と与党の間に適度な緊張状態が保たれているのでしょうか?
勉強不足で申し訳ありませんが、是非教えて頂きたいです。
Unknown (Yoshi)
2011-07-02 09:02:43
>スウェーデンでは政府と与党の関係はどうなっているのでしょうか?

とても良いご質問だと思います。日本では「政府」と「与党」がイコールではないことは、以前から非常に滑稽なものだと感じていました。

簡単に答えますと、書いておられるイギリスの例と同様、スウェーデンも一元化されています。

改革に向けた議論を始めたり、そのための調査委員会を設置して学術専門家や行政エキスパート(官僚)の意見を集約したりするのは、政治主導で行われており、最終的に提出される改革案なるものも「与党」の案として一元化されて出されます。「与党」の案と平行して「政府(官僚?)」の案が提示されたり、後者が出された後に前者が出されるということはありません。

スウェーデンの行政制度は、行政の監督や法案作成を行う「省」と、実際の行政を執行する「庁」とが分離した「エージェンシー制」です。与党が「省」をがっちりとコントロールしている一方で、「庁」は政治が絡むことが許されない専門家集団です。(与党・政治家が「庁」の行政に口を挟みたい場合は、「省」が発する指令や予算配分を介したチャンネルを通さなければなりません)

官僚が政策通という立場から物事を提案するという意味では、日本でいう「政府」はスウェーデンの「庁」に相当するのかもしれません。確かにスウェーデンの「庁」は、現状の行政の問題点を「政府・省」に指摘したり、改革のための提案を行ったりしますが、あくまで諮問的な役割を担っているにすぎません。

以上が、私が把握している範囲内で答えられるところです(間違いもあるかもしれません)。何かありましたら、また追加で訊いてください。
特になし (大和撫子)
2012-09-22 19:04:50
日本の政治のことを真剣に考えると中国のような分裂国家に思えてきます。なぜ国民を惑わせるのか?      橋本さんは政治家に依存しないで自立するようなこと言ってたような気がするが、国民が政治家を育てていることを忘れないで欲しい!日本人はそういう人間なのです。  だから、真剣に日本の事を考えて代表になろうとする人を応援するし自分達も多少のことは我慢しようと思う。

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