ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

ビューティフルネーム

2014-09-11 07:00:00 | つれづれ日記

 紀子妃殿下

お誕生日おめでとうございます 

私もそうですけど、子供の歳に+40っていうのは結構きついものがありますわ。

無論、上の子供達は年齢相応ですけどね。

でも紀子妃殿下はいつも美しく若々しく、本当にうらやましい

これからも国民の為、無理せずお務めを果たされますように

 

 デング熱の危険がひたひたと迫っているような気がして怖いです。

今の職場は回りが畑と林なんですもの

縄文時代、竪穴式住居とか土器とかが発見された場所らしくて、夜になるとあたりは真っ暗。

草は生え放題、トカゲもいるし・・・・・

新興住宅地なので、忙しいのは忙しいけど。

代々木公園から始まって、新宿御苑、明治記念公園・・・・いわくありげに感じて。

「花子とアン」・・・・子供達が窓ガラスを割った時点で視聴中止。

もう耐えられない

「はだしのゲン」がモチーフなんじゃないの?中園さん

私は、自分の名前が非常に平凡だし、親がつけた名前ではなかったので

コンプレックスがずっとありました。

だから子供達の名前はそりゃあ考えに考え抜いてつけましたよ。

でも、今時の「キラキラネーム」には負ける

一体、どこからそんな漢字を持って来たの?というくらい、難しくて画数が多い漢字を好む。

若いお母さん程、そういう傾向があるみたいですね。

かっこいいからつけるのか?みたいな?

それはいいとして。

ネットを始める時、ハンドルネームを決めなくてはならず、色々考えた結果

「ふぶき」にしました。

高嶺ふぶきの「ふぶき」です。

その時は別にとりたててファンというわけではなかったけど、あの綺麗な顔とか

フランツ・ヨーゼフのかっこよさとか、あやかりたかったのかなと思います。

あれから14年くらいですか。

すっかりこの名前は自分のものになったと思います。

まあ・・・いつか私がメジャーデビューしたらっ♪

その時は、すっごくキラキラしたペンネームが欲しいわ

 

ハンドルネームって重要だと思うんですよ。

名は体を表すと言う通り、顔が見えないネットの世界で人柄を推し量るのには

ハンドルネームやその文体を見るしかありません。

あたかも平安貴族が「手蹟」を見て人柄をはかるようにね。

だから、出来るなら「名無し」はやめて頂きたいです

まあ、「名無し」名前のない人の文章をまもとに受け取らなければいいじゃないかと

思う人もいるでしょうけど、そう切り捨てる事も出来ず、今に至っています。

その「名無し」さんが、私の子供のハンドルネームをああだこうだいう権利はないんですけど。

昔、私が宝塚関連のHPを持っていた頃、子供は二人しかおらず

子供達のハンドルネームは「ジュニア」と「姫」と決めました。

その名前にすら、けっこういちゃもんをつける人が多くて驚いたものですけど

「ジュニア」はアメリカ風に「・・・・ジュニア」の意です。

「姫」は「我が家の御姫様」だからです。

そして2004年に3人目が生まれました。

ブログを始めた頃であり、一体、何を書こうかな・・・育児日記にしようかしら?などと

考えて登場させたのが「ヨンジュナ」です。

2004年といえば、「冬のソナタ」が大ヒットして、ペ・ヨンジュンが来日しましたよね。

私の辛い妊娠期間、癒してくれたのはペ・ヨンジュンの微笑みでした。

ドラマの中のチュンサンやミニョンさんもさることながら、NHKに出演した時

39度の熱を出しながらもにこやかに笑って話をし、さらに視聴者の手紙に泣いていた姿。

あの時が一番「韓国」という国を身近に感じた瞬間だったかも。

韓流ブームは「太王四神記」の終わりと一緒に下火になっていきましたけどね。

ヨンジュナ」はヨンジュンの愛称です。

今さら、ウイリアムだのダニエルには変えられませんって(笑)

どんな時代になってもペ・ヨンジュンは特別だと思うから。

そしてハンドルネームも、一度つけたらころころ変えるわけにはいかないと思います。

私の恋の残照ですわ。

 

というわけで、別に大きな意味があるわけじゃありません。

我が家のヨンジュナは立派な日本人ですし、日本語しか話せません。

しかし、時々ママを「チュンジョンマーマー」(王妃様)と呼ぶので

怒っています。おねだりしたいといつもこう呼ぶので。

生まれた時から韓国ドラマと宝塚歌劇を子守唄にして育っています。

先が心配。

日本語とハングルの発音の違い位はわかるといいね。

今やそこに中国ドラマも加わって・・・・・そのうち私を「娘娘(にゃんにゃん)」と呼ぶようになるんじゃ?

「蘭陵王」オープニングテーマ曲が大好きで、時々真似してくれます。

でもそれでも私にとって「ヨンジュナ」は「ヨンジュナ」です。いつまでも。

 

孫が出来て、それが男の子だったら「ウイリアム」とか「シャオフォン」とか

そういうのにしてあげる 

「ランリンワン」でもいいけどね

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」165 (衝撃のフィクション)

2014-09-10 07:00:00 | 小説「天皇の母」161-

マサコがアイコを連れて東宮御所に戻ってきた時、にこやかに迎えたのは

皇太子ただ一人だった。

侍従も女官も、ただ黙って頭を下げているだけだ。

お帰りなさいませ」と小さく女官長が言った。

決して歓迎している風には聞こえない。

マサコは腹を立て

帰って来たくてきたんじゃないわよ」と言い捨て、部屋に入り、大きな音を立てて

ドアをバタンと閉めた。

ドアの向こうから「妃殿下。とりあえずお着替えを」という女官の声が

聞こえたが無視した。

もう誰かに命令されるのは沢山だった。

静かな部屋の中でマサコは孤独だった。

這い上がるような孤独に寒さを感じる。

どうして自分が今孤独なのか、何をどうしたいのか・・・もうわからない。

ただ一つ言えること。

それは、この東宮御所で生きていく為には切り札が必要である事。

皇位継承権舎を産めなかった自分にとっての切り札は・・・・アイコだけだ。

アイコを立太子させなくては。

アイコを天皇の座につけなくては、自分はまた誰かに支配されてしまう。

命令されてしまう。

したくない事をさせられてしまう。

もう嫌だ、嫌だ、いやだ!

思い出すのはいつも独身時代の事。

自由に外で遊んで飲んで恋をしていた頃の事。

(私が失ったのは永遠の自由なのだ)

マサコは心から自分を可哀想に思った。可哀想で悲しくて

辛くてしょうがなかった。

誰もこの苦しみはわかるまいと・・・・・

マサコは思い切ってドアを開けた。

びくびくと立っている女官がいた。

今すぐアイコに食事をさせて。アイコはイタリアンが好きなの。

パスタ以外は食べないから」

慌てて走って行く女官達。

少し溜飲が下がった。

これからは全てこの手で行こうではないか。

 

その一方で。

ヒサシの計略は着々と進んで行った。

毎週のように出る雑誌や新聞には「女帝論」が登場するようになり

アイコ内親王に皇位継承権がないのは男女差別ではないか」との議論を強調する。

ヨーロッパのほとんどの王室が「女王」を認めている以上、日本だって・・・・というのが

こちらの言い分。

戦前の家父長制の否定。夫婦同姓の否定、そして男女である事の否定。

先進国は女性の大臣の数が多いのに、日本は最下位であるとか、封建制が残っているとか

それはもう、書きたい放題書かせている。

男女雇用機会均等法世代のマサコが心を病んだのは、全てにおいて

旧弊な皇室による差別意識が元になっていると。

コイズミ総理はその気になっている。

彼は拉致被害者を5人帰国させたことで大手柄を上げた。

この調子で皇室典範改正まで着手すれば大いに株があがるだろう。

 

さらにヒサシはセツコの夫に条件を出す。

もし離婚しないでくれたら、外で女を作ろうが黙っている」と。

そして「こちらの言う事を聞いてくれる精神科医を知らないか?出来れば

後ろ暗い過去を持って、いつもびくびくしているような・・・・

紹介してくれたら、君の将来は保証しよう」と持ちかける。

ヒサシにとって、娘の嘆きも悲しみも大したことではなかった。

とにかく、今、離婚されたら困るのである。

何事もなくひっそりと夫婦生活を続けて行って貰い、さらに言う事を聞かせるには

「そっちの自由も尊重」とエサを播くしかない。

そして報酬と言う名の人参を与えて、こちらに心酔させるのだ。

ヒサシにとってマサコ以上に大事な「皇太子」と「アイコ」だ。

なにせ、全ての資金は「皇太子が即位したら」「アイコ天皇が誕生したら」

という信用貸しに他ならないのだ。

何が何でも実現しなければ身が危ういのである。

 

ヒサシはヨーロッパ歴訪記者会見をする皇太子の為に、記者達の質問に対する答えを

用意していた。

でも殿下。これは侍従や内舎人に見られてはいけません。推敲もさせてはいけません。

もし、出来上がった原稿を見せて欲しいと東宮大夫が言ったら、こっちの方を出して下さい」

皇太子は、何だかドキドキした。

自分が実際に読む原稿と、東宮大夫らに見せるものが違うなんて

今まで一度もなかった事だ。

そんな事をして、後から色々言われないか心配だった。

ご心配には及びません。皇太子殿下は東宮御所のトップですよ。殿下に逆らう方が

悪いのです。もしあれこれ言われたら、その時は毅然と対処なさってください。毅然と」

その「毅然と」という言葉が非常に心に響いた皇太子は、大きくうなずき

湧き上がってくる高揚感に震えた。

自分は今、大きな事をしようとしている。

もしかしたら歴史的にすごい事かもしれない。

 

皇太子は、その原稿を受け取ると、入念に隠す。

無論、言われた通り、東宮大夫には偽の原稿を見せた。

自分がやっている事が、後々どんな影響を与えるかなど考えもしなかった。

ただ、マサコが可哀想で仕方なかった。出来上がった文章を読むにつけ

どれ程の人がマサコを傷つけたのかと、腹が立って仕方ない。

これは言わなければならない。

自分が言う事によって突破口を開くのだ。

それこそが自分とマサコを救う道であると・・・・皇太子は信じていた。

 

その日。

集まった記者達はいつものように記者会見場に入り

いつものようにカメラをスタンバイした。

皇太子が外国へ行く。対して珍しい事ではない。

ただ、今回は一人というだけだ。

あんなに外国へ行きたがっていたマサコ妃を置いてヨーロッパに出発する事に対して

皇太子はどんな感慨を持つのだろうか。

部屋に入ってきた皇太子は、これまたいつものように記者達を一瞥し席に座った。

おもむろに原稿を開く。

出来上がった質問。出来上がった答え。

単純に今回の訪問についてどう思うかと質問したのだが、記者達は皇太子の答えに

ふと違和感を持った。

ところで,5月1日にEUは25か国に拡大されました。

今回の3国は従来からEUの加盟国ですが,これらの国々が新しいEUの中でどのように進んでいくか

ということも今回感じ取ることができればと思っています。

また3国とも伝統的な海運国でありますので,私の専門としています海上交通あるいは河川交通の

面からも何か新しい知識が得られればと思っています

ヨルダンについては,

9年前に訪問しておりますけれどもその際は日程を大幅に短縮することとなりながら,

当時のフセイン国王陛下を始め大変心のこもったおもてなしを頂きました。

その後フセイン国王陛下には残念ながら亡くなられ,

ご葬儀に参列させていただいたことも大変感慨深く思い出します。

その意味でも,日本で以前にお会いしたこともあるハムザ皇太子殿下のご結婚に伴う祝宴に出席して,

そしてお祝いをお伝えすることができればと思っておりましたけれども,

今回は諸般の事情で訪問することができずに誠に残念です。

お二方の末永いお幸せをお祈りするとともに,お会いする機会を楽しみにしています

これは本当に皇太子の言葉なのだろうか。

今まで政治的な事に触れた事はなかったのに。EUを出してくるとは。

しかも・・・「葬儀に参列させて頂いたことも大変感慨深い」?

そういえば、今回の言葉には「ありがたい」という言葉がいたる所に散らばっている。

 

記者達は少しざわめいたものの、冷静さを保っていた。

しかし、部屋の後ろ側では東宮大夫が血相を変えていた。

今回,皇太子妃殿下のご訪問については,ぎりぎりまで検討されましたが,

最終的には見送られました。

殿下お一方でご訪問されることに至った経緯,結果についての殿下,妃殿下のお気持ちをお聞かせください。

妃殿下の現在のご様子,ご回復の見通しについても改めて伺えればと思います」

そらきた・・・・

皇太子は、回りをぐるっと見渡すと背中をぐぐっとそらせた。

今回の外国訪問については,

私も雅子も是非二人で各国を訪問できればと考えておりましたけれども,

雅子の健康の回復が十分ではなく,お医者様とも相談して,私が単独で行くこととなりました。

雅子には各国からのご招待に対し,深く感謝し,体調の回復に努めてきたにもかかわらず,

結局,ご招待をお受けすることができなかったことを心底残念に思っています。

殊に雅子には,外交官としての仕事を断念して皇室に入り,

国際親善を皇族として,大変な,重要な役目と思いながらも,

外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました

今回は,体調が十分ではなく,皇太子妃としてご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを,

本人も大変残念がっております。

私も本当に残念で,出発に当たって,後ろ髪を引かれる思いです。

私たちには,ヨーロッパの王室の方々から,いつも温かく接していただいており

フレデリック,フェリペ両皇太子殿下とは,限られた機会の中ではありますけれども,

楽しい思い出が多くあるため,今回のことはとても残念に思っているようです。

雅子の長野県での静養のための滞在は,幸い多くの方々のご協力を得て,

静かな中で過ごすことができました。この場をお借りして,

協力してくださった皆さんに雅子と共に心からお礼を申し上げます。

雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと申しておりました。

長野県での滞在は,とても有益なものではあったと思いますが,

まだ,雅子には依然として体調に波がある状態です。

誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分を一生懸命,

皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,

私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。

それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

最近は公務を休ませていただき,以前,公務と育児を両立させようとして苦労していたころには

子供にしてあげられなかったようなことを,最近はしてあげることに,

そういったことを励みに日々を過ごしております。

そういう意味で,少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども,

公務復帰に当たって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには,

今後,いろいろな方策や工夫が必要であると思われ,

公務復帰までには,当初考えられていたよりは多く時間が掛かるかもしれません。

早く本来の元気な自分自身を取り戻すことができるよう,周囲の理解も得ながら,

私としてもでき得る限りの協力とサポートをしていきたいと思っています。

今後,医師の意見によって,公務復帰に向けては足慣らしのために,

静かな形でのプライベートな外出の機会を作っていくことも必要であるかと考えています。

引き続き,静かな環境を保たれることを心から希望いたします」

 

突然、天井に笑い声が響いたような気がした。

記者達は水を打ったように静かになった。

それは・・・まるで魔法にかけられたかのような静寂。

笑い声は最初は高らかに、そして次第に低くなり、さらに長く長く続いていた。

誰かが天井を見上げたけれど、そこには何もいなかった。

記者達の沈黙に、皇太子は静かに笑みを浮かべた。

誰かがやっと・・・質問する。その声は震えていた。

殿下,大変,ちょっと失礼な質問になってしまうかもしれませんが,

先ほどお答えになった時にですね,妃殿下のキャリアや人格を否定するような動きがあるとおっしゃいましたが,

差し支えない範囲でどのようなことを念頭に置かれたお話なのか質問させていただきたいのですが」

皇太子は少し考えた風に答える。

そうですね,細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど,

外国訪問もできなかったということなども含めてですね,

そのことで雅子もそうですけれど,私もとても悩んだということ,そのことを一言お伝えしようと思います」

意味がわからなかった。

「キャリアや人格を否定する動き」と「外国訪問も出来なかった」の間には何の繋がりも見いだせなかったから。

それでもマサコが外国に行きたがっていたという事はよくわかった。

 

東宮大夫は真っ青になっている。

殿下は何だってあんなことを・・・・誰か、今日の原稿を見たか

誰も何も答えなかった。

もう止められない。公に発表してしまった以上、発言を取り下げる事は出来ない。

目の前に大きな闇が広がるのが見えた。

これは・・・終わりの始まりではないか。

深い絶望があたりを覆っていった。

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硬い話になるけど

2014-09-09 17:00:00 | つれづれ日記

 錦織圭の快挙に嬉しい って思いました。

あの粘り強さはすごいね。アスリートってやっぱり只者じゃない。

まあ決勝は残念でしたが、それでもやっぱりすごいっ!!

NHKさん、あっさり決勝は放送したのね。

 キャサリン妃、第2子懐妊だそうで。おめでとうございます。

英王室はなんだかんだいって後継ぎに恵まれてますねーー

「私は子産みマシーンじゃない」なんて屁理屈こねないから。

さて、本題。

「花子とアン」がいやだ・・・・という記事に対してぴよこさまがこんなコメントを下さいました。

今日はちょっとだけおうかがいしてみたいことがあってコメントさせていただきます。

蓮子様の「お国の為に戦うことが良いことと思ってしまう」という台詞に、それの何が悪いのかと

ふぶき様は書かれていて…それは、ふぶき様は「お国の為に戦うこと」は良いことと思って

いらっしゃるということですか?

ご自分の子供さんが徴兵されて戦場に行くことになっても、お国の為なら喜んで送り出せると?

なんというか、今時そんな風に思う方がいらっしゃるとは思えなくて、どういう意味なのかなと思ってしまったもので。

蛇足ながら、「花子とアン」だけに限らず、今の時代の戦争に対するスタンスは、否定的であって

当たり前だと思うのですよ。

何故なら、仕掛けておいて悲惨な負け方をした戦争であった訳ですから、

そこにどんな大義名分があったにせよ、そもそも戦争なんかしなければ…ということになるのは当たり前です。

馬車馬的に国民の視野を狭めて戦争に突っ込んでいったあの時代が否定的に描かれるのは当然ですし、

そういう「あの時代のやり方は間違っていた」という反省は忘れてはならないことではないでしょうか。

ドラマにおいて、時代考証の細かいところが気になることは私もよくありますが、

大局的な視点としてズレてはいけないということもあると思います。

蛇足が長くなってしまい、失礼しましたm(__)m」

大変貴重なコメントであると受け止めました。ありがとうございます。

今回はこの事についてちょっと触れたいと思います。

かつて。昭和40年代から50年代の時代劇は『勧善懲悪」な内容でした。

水戸黄門」「大岡越前」「江戸を切る」「桃太郎侍」「遠山の金さん」・・・・・・

まあ、「鞍馬天狗」だけはちょっと変わりダネだったけど

「勧善懲悪」の内容は決まっています。

 悪を善がやっつける

 身分が高い人が弱い庶民を助ける為に頑張る

 世直し

ここでいう所の「悪」とは、

 人を騙す・殺す人間

 搾取する人間

ですよね。知識も権力も持たず、けれど正直に一生懸命に生きている「庶民」を「悪」から守るのが

正義の味方の役割でした。

 

今、ふと思うんですけど。

円谷プロが作った「ウルトラマン」

あれは一体何者なんだろうかと。

M78星雲から来たウルトラマンが、何で何の関係もない地球の人を守る為に戦うのか。

もし、ウルトラマンがいなかったら地球はどうなってしまったんだろう。

地球防衛軍はやたら弱くて、すぐに飛行機が墜落し、みんなパラシュートで逃げていますしね。

ウルトラマンは、当時の日本におけるアメリカ的役割だったのかもしれません。

自分の国なり星なりを異星人に守られて、それが「普通」だと思っていた感覚がおかしかったのかも

無論、ウルトラセブンには侵略する側の心理も描かれています。

でもセブンは、あくまで「地球人」の味方です。

もし、セブンがメトロン星人に共感しちゃったら地球は終わっていたからです

 

仮面ライダーは「悪」が生み出した「善」です。

「普通」の人間たちの中で、一人だけ「異形」であるというのはどんなに辛い事でしょうか。

誰に悟られてもいけないし、見返りを求めてもいけない。

ライダーには仲間がいません。仲間である異形の連中は「敵」だからです

「敵」であるショッカーは「世界征服」を狙っています。つまり、全てを「異形の世界」に変えようと

しているのです。そうはさせじと仮面ライダーは歴代に渡って戦っているわけです。

誰の為でもない。私達の為に

 

宇宙戦艦ヤマト」は地球滅亡まであと1年という時、イスカンダルに旅立ちました。

イスカンダルのスターシャがコスモクリーナーを提供してくれると言ったからです。

妹まで派遣してくれたスターシャの恩義に報いようと、ヤマトは発進するのです。

ガミラスは地球の侵略をたくらんでいました。

でもそれはガミラス星自体に限界が来ていた為でもあります。だけど、自らの星が滅びるから

といって他の星を奪っていいと言う話はありません。

それゆえ戦いが起きるのです。

ガミラスとの戦いに勝って、次は白色彗星との戦いでしたが、最後の最後、古代進はヤマトと

ともに特攻を試み、地球を救うのです。

 

昭和時代、「人の為に戦う」事は普通の思想でした。

けれど、その事に疑問を呈する時代がやってきます。

機動戦士ガンダム」の登場で、今まで、ただ「悪」でしかなかったような人々にも血肉が通っており

感情があって、誰の為とかいうのではなく「生き延びる為」に戦う事になりました。

アムロもシャアもセイラもララアもみな、それぞれ同じ立場の人間で、それぞれの信条に伴って

戦いに参加しているというだけで、そこに「地球の為」とか「ジオンの為」とかいう大義名分は

非常に薄かったように思います。

 

「正義」が正義でなくなったら物語は続きません。

勧善懲悪型のドラマは姿を消し、「必殺仕事人」のようなドラマが受ける時代になりました。

僅かな金と「義侠心」によって、人を殺し恨みを晴らす事を目的とした「末法の世」の到来です。

エヴェンゲリオンまで行くと、もはや「敵」が何だかすらわからないし、なぜ戦っているのかもわからない。

仮面ライダーも理屈っぽくなりました。戦隊物も勢いを失い、子供達が一番好きなのは「妖怪」です

妖怪ウォッチに登場する妖怪たちは、普通の人々の中にある「怠惰という悪」を掘り起こしていくのです。

だけど、毎回、解決しているのかどうかもわかりません

とりとめのない事を書いてきましたが。

ぴよこさま。

まず、太平洋戦争についてですが

「しかけておいて悲惨な負け方をした戦争」ではありませんでした。

馬車馬的に国民の視野を狭めて戦争に突っこんでいったあの時代を否定するのは当然」との

事ですが、私はそうは思いません。

あの時代が間違っていた」というのは、どこでそう思うのでしょうか?

戦争に負けたからですか?勝っていたら違うのですか?勝った方が正しいのですか?

それとも日本が侵略戦争をしたと本気で思っておられるのでしょうか?

70年の平和は憲法9条のおかげだと思っていますか?

以前も書きましたけど、日本は戦後も戦っていたのですよ。

「経済戦争」という大戦を 

だけど、その戦いに勝つために大切なものを失ってきました。

それは

 国民のプライド

 国民性

 日本人としての歴史

この3つです。今、中韓にやりたい放題させて、それでも何も出来ない日本の姿というのは

まさに「敗戦」によって、その後の経済成長と引き換えに失った「日本」のなれのはて。

それでもまだ怒る人々がいる。

抵抗しようとする人々がいる事に救われています。

もし、これが「戦争をしたくないから領土は全部中国にくれてやろう」派が大勢をしめたら

日本はなくなってしまう。

日本が平和を維持してきたから世界に愛された」わけではありません。

日本が自らを犠牲にして様々な国に奉仕してきたからこそ愛されているのです。

そしてその奉仕の精神は戦前から変わっておりません。

もし、違うと思ったら調べてみてください。

 

ぴよこさま、私の息子達が徴兵されたら喜んで差し出すのかとお尋ねでしたね。

もし、本当にその時が来たら、それは仕方ないと思います。

若者が徴兵されて戦場へいく事態というのは相当な場合です。

国の存亡がかかっている、私達の存在が全否定されるかいなか、国民が総じて殺されるか

奴隷になるか否かの事態なのです。

その時、子供達が家族を守る為に戦うと言った時、私は否定できません。

今だって。

災害救助の場面では、救う方が「死」に直面する事もあります。

それを「そんな危険がある所へは行くな」と言えますか?

災害と戦争を同レベルで語るなと言われそうですが、今時の「天災」はそれくらい危険です。

だからこそ、備えるのです。

平和維持というのは「備え」です。

その為には憲法を守るだけではいけません 

突如、災害のように押し寄せる「武器」から身を守る必要があると私は考えます。

 

宝塚の作品の中に「追憶のバルセロナ」というのがあります。

2002年、絵麻緒ゆうの退団公演でした。脚本を書いたのは宝塚屈指の

「平和主義者」である正塚晴彦。

フランスに侵略されたスペインを守ろうとゲリラ戦を戦うフランシスコ。友人のアントニオは

スペインの敗北と同時に「生き残る為」にフランス側につきました。

この二人の会話で非常に考えさせられる場面がありました。

アントニオ   ;国とは人ではないのか。人が集まればそこに国が出来る。

フランシスコ ;だがスペイン全土が一つになる為には、ここを愛し守り抜く意志が必要だ。

         我々はそれを踏みにじられた。とりもどす為に戦おうとする者がいるのは

         当然のことだ。

アントニオ  ;たとえ、誰の血が流れても。

フランシスコ ;自らの血をもってあがなうしかない。

アントニオ  ;死んでしまったらなんの意味もない。

フランシスコ ;意志を捨てて生きる事に何の意味がある。ただ今日の命の為に将来から

         目をそむけることは卑怯だ。

 

私が「蘭陵王」を好きな理由は、その少女漫画チックなストーリー展開もあるけど

昔懐かしい「勧善懲悪」の姿がそこにあるからです。

斉の武将、蘭陵王がなぜ戦うか?それは「民」の為です

そういえば聞こえがいいけど、

皇帝が蘭陵王の兵士に

「朕と蘭陵王、どちらの為に死ねるか」と聞き、兵士が

そんな事態になったら自刃します」と答える。

怒った皇帝が蘭陵王にその兵士を殺せと命じるのですが、蘭陵王は

兵権を返上するので兵士を許して欲しい」と頼みます。

兵士一人の為に兵権(蘭陵王の生きがい)を捨てるわけか」と皇帝は驚くのです。

また、皇帝は常に民に愛される蘭陵王が憎くて仕方ないので、

死んでくれ」と頼みます。その時の蘭陵王は顔が一瞬、固まってしまったものの

私が死ぬことで陛下が明君になるなら」と承諾するのです。

そこに「自己」はないですよね。

誰も自分の為には死ねないんですよね・・・・・と実感しました。

 

それはどこの国も同じでしょう。

自由の国、アメリカだって国民である限り「国家への忠誠」が義務です。

それを堂々と口に出します。

そういう事を堂々と言えない国は日本くらいなものです。

ぴよこさまが否定した「戦前」の日本の美徳は現代のアメリカにも残っている・・・などと言ったら

言い過ぎだけど、結局そういうものなんですよ。

どの国も自分の国が一番大事。

自分の国の利益が一番大事。ウルトラマンはありえない。

でも、日本は日本以外の国を大切にする気風があるから「ウルトラマン」が作られたのです。

だったら自分の国ももっと大事に守っていかないといけないのでは?

 

戦争を賛美しているわけではありません。

しかし、平和を守る為には「闘うこと」も必要です。きれいごとではやっていけないのです。

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ミスリードされる「美智子皇后」は虚像か本質か  2

2014-09-09 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 山下晋司ー強い思いで慣例を乗り越える美智子皇后

   「改革の55年」

 皇后陛下が「続けてきた努力」の一つに文字通り

 「陛下を守る」場面が数々あった。

 ・ ひめゆりの塔事件のおり、妃殿下が片手をあげて殿下を守ろうとした。

 ・ 陛下のがんなどの治療にも積極的で医務主管や医師から説明を受ける

 ・ 自分の膝が痛いのに陛下の健康の為にテニスを続けている

 皇后陛下の献身

 両陛下の火葬の件。

 陛下が「合葬」も視野に入れたいとおっしゃったら、皇后陛下は「あまりにも畏れおおい」と固辞。

 「自分が先だった場合、陛下の在世中に御陵が建てられることになり、それはあってはならない

 陛下を支える為、時に周囲や古い伝統と闘ってきた皇后陛下の歩みは、国民のために

  皇室の前例をこえていくこととなる。

 東日本大震災ー被災地の体育館で皇后は自らスリッパを脱ぎ、裸足で被災者に駆け寄ると

  膝を床につけて、被災者と同じ目線ではなしかけた。

 時には、悲しみの底にある女性や子供たちを抱きしめることもあった。

 慈母のごとき皇后陛下に抱きしめられた被災者は心の底から癒され、励まされたことだろう。

 「国民に寄り添う」姿は皇太子妃時代から続く宮内庁職員との「対話」により生み出された

  ものではないか。

 皇后陛下は「国民とともに歩む皇室」を実現する為に、女性ならではのきめ細やかな心配りを

  続けてきた。

 例えば、行事などにおける警備の在り方やお出ましを並んで待つ国民の待機時間まで

  気にして、相当職員に直接考えを伝えるなどしてきた。

 皇室と接する国民に威圧感や「壁」を感じさせないよう、腐心してきたのだ。

  たとえ「慣例」でも「違う」と感じればそのままにせず、職員と話し合うー直接のコミュニケーションが

  行われるからこそ、職員も心をひとつに皇室を支えることが出来るのだ。

 2013年10月の誕生日文書。

 皇后は「五日市憲法草案」に触れた。

  明治憲法公布以前に、民間人が憲法を熱く語り、立派な草案を作った事に

 「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来に

 かけた暑い願いに触れ、負かい感銘を覚えた」

  政治的発言と受け取られることのないように配慮しながらも、現代の国民が憲法に対して

 どれだけの思いを持っているかと問いたかったのだろう。

 「皇室」の姿勢を国民に伝えるためにはたとえ前例がなくとも旧来の慣例を超える

   「理由」や「重い」をもって実現する。そうした強い意思が、「国民とともに歩む皇室」を

めざし陛下とともに歩んだ皇后陛下の55年を貫いている。

 全てが皇后陛下の「実績」だというのは、ちょっと言い過ぎのような気がするんですけど。

  政治的な発言を避けつつも、やんわりと政府にもの申す・・・というのは、思惑はどうあれ

  そう見られているというのは問題では。

 テニスまで「・・・の為」とか言われるとちょっとひきますよね。

  伝統を守っているだけでは皇室の姿勢は伝わらないんでしょうか?

 皇后陛下はご自分の事が、このように左翼に利用されている事をご存じでしょうか。

  能動的に活動する事は悪い事ではありません。

  だけど、皇室の主体は「天皇」である事を忘れてはいないかと。

  あからさまにミスリードしていく側にネタを提供するような事はしないで頂きたいです。

 

 小林よしのりー美智子皇后の戦いの始まり

 昭和33年11月27日、正田美智子嬢の婚約内定。

  その9日後の12月6日。後楽園ホテルに集まった右翼ら70名。

 「このご婚儀はカトリック教の世界的大陰謀である」

 「小泉信三もカトリックだ」

 「日清製粉のお嬢さんが皇后ではどうも天皇護持も今後は考えなくちゃいかん」

 「そもそも天皇が恋愛騒ぎをするとは何事であるか」

 「皇太子さまに御退きになって頂いて義宮さまに立って頂こう」

 (よしりんのつぶやき・・・今も似たような非難がされているな。東宮家に対して)

  この席にいたのは柳原白蓮。

 柳原白蓮は旧華族の出。松平信子と一緒になって猛烈な「美智子妃反対運動」を繰り広げる。

(よしりんのつぶやき・・・「旧華族」は今なら誰に似ているか。

 自称愛国者こそが天皇を困らせる。今も昔も変わらんな)

 「平民の血が入ると皇統はおしまい」

   「女系を認めたら皇統断絶だ」

  単なる旧弊・因襲に固執したがる右派や旧華族のような存在は今もうごめいている。

 55年前には「旧弊固執」が伝統ではない事を知り、天皇のご意思が全てであると考える

   右翼がいた。

  ところが、現在はそれが全然みあたらない。

  55年前の首相、岸信介は「旧弊固執」の自称愛国者の声をものともせず、大御心に沿って

  尽力したのに対して、その女系の孫である安倍晋三は「旧弊固執」の自称愛国者の

  支持が欲しくて天皇のご意思に反し、首相に就任するや真っ先に女性宮家創設を潰したのだ。

 美智子皇后陛下の戦いは、その後も「旧弊固執」舎との戦いとして続いていく。

 伝統と旧弊・因襲の違い、伝統と皇室の関係、伝統と社会の関係を、われわれも皇后様の

   闘いから学びたいものだ。

 当時、本当に保守派の方々の会合があったのでしょうか?

  これだけ「カトリック」が問題になったという事は、相当な「何か」があったのかもと

  思ってしまうんですが

 柳原白蓮のセリフは

 「皇太子殿下ともあろうものが たかがこなやの娘にほれて騒ぐとは

 外国にきこえでも恥ずかしい。皇后様は皇后様とあがめられるようなお方でなければ

 私共は皇后さまとは戴けない

皇太子妃なんだけど、すでに「皇后」と読んでいたのねーー?

 「皇后様とあがめられる様なお方」≒血筋が正しい人 という解釈なんですよね。

 義宮を皇太子に・・・・なんて話は聞いた事ありませんけど。

 要するに「旧弊固執」に「果敢に戦いを挑む改革派の象徴」が美智子皇后陛下という事です。

  昔から「なるちゃん憲法」「自ら子育てをする」等々、そういうきらいはありましたけど、ついに

  ここまで来たかという感じです。

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ミスリードされる「美智子皇后」は虚像か本質か   1

2014-09-08 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 何だか非常にまず状況になって来たと思うんですよ。

リベラルな両陛下。とりわけ皇后が「女帝派」の急先鋒になりつつあること。

こういう風にリードしていくのはマスコミだけの責任でしょうか?

つけいるすきを与えたのではないかと。

先週発売の雑誌から「美智子皇后」に関する部分をちょこっとレポ。

 

 週刊新潮 「皇后美智子さま」秘録ー工藤美代子

 昭和20年8月15日、皇太子明仁親王は日記にこう記す。

今度の戦で我が忠実な陸海軍が陸に海に勇戦奮闘し、殊に特攻隊は命を投げ出して

陛下の御為笑って死んでいきました

 今上陛下が皇太子時代、わずか10歳の頃に書いた終戦の日の日記です。

 本文はもっと長いのですが、どうしてもこの一節が気にかかって仕方ない。

 何でだろう・・・・陛下のリベラルはすでに芽が出ていたんですね。

 そりゃあ・・・日光の疎開先にまで海軍やら陸軍やらが来て、戦況報告をするんですよ。

  いい話ばかりじゃないけど、軍としては「陛下の御為に命を賭して」と言うでしょう。

  そういうセリフが皇太子にはたまらなく嫌なものだったろうという事は想像できます。

  「勝てるとか勝って見せるとか言う前に勝てるもんなら勝ってみろよ」的な思いがあったのでは?

 精神論だけで乗り切ろうというのがあざといとか、「陛下の為、殿下の為」とか言われるのが重いとか。

 普通に考えて「笑って」死んで行く筈がなく。

  すみません。どう解釈していいかわからないのです。この「笑って死んでいきました」の部分。

  心底、そんな風には思ってないように感じられて。

  痛烈な天皇批判のようにも思えて。

 

 SAPIO 10月号 「闘う美智子皇后」

高橋源一郎・・・誰よりも自由に書くことを禁じられた皇后のメッセージを読む

 平成10年の第26回IBBYニューデリー大会基調講演の引用。

 ケストナー「絶望」

  ソログローブ「身体検査」

 「思い出すと、戦争中はとかく人々の志気を高めようと、勇ましい話が多かったように思うのですが

  そうした中でこの文庫の編集者が「絶望やこの「身体検査」のような話を、なぜここに選んで乗せたのか

  興味深いことです。

・・・(略)・・・

世界情勢の不安定であった1930年代、40年代に、子供達の為に

広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時lこれらの本を手にすることの

出来た日本の子供達にとって幸いなことでした。

この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、また、人間の悲しみ喜びに触れつつ

さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう。

・・・・略・・・

当時私はまだ幼く、こうした編集者の願いを、どれだけ十分に受け止めていたかは

わかりません。しかし、少なくとも、国が戦っていたあの暗い日々のさなかに、これらの本は

国境による区別なく、人々の生きる姿そのものを私に垣間見させ、自分とは異なる

環境かにある人々に対する想像を引き起こしてくれました。

・・・・略・・・・

 この文章に対して。

 戦後、この国は、その進路を巡り、揺れ続けてきた。戦争と平和について語ろうとするなら

そのことに目をそむけることは出来ない。だが、誰もが知っているように、皇室の方々は

「政治」について発言することをきんじられているのである。

そのとき、この国で、誰よりも、自由に書くことを禁じられている人間は、どうやって書けばいいのか。

私の美智子妃への関心の一つは、そこにもあったように思う。

 高橋氏の文章。2、3回読んだけど意味がわからず。私って本当に読解力がないと自信喪失。

 1930年代、1940年代の日本が、いさましさの対極にこのような作品を編集したというのは

   素晴らしい事ではありますよね。

 高橋氏が一番言いたい事は「皇后陛下は平和メッセージを世界に向けて発信した」という事だと

  思うんです。

  そういう政治的な事が出来ない立場にありながらニュアンスにまぜこんで発信する。

  まさにそれが「闘う皇后」なんでしょう。

 

 佐野眞一・・・「見えない国民」に寄り添い語りかけてきた美智子皇后の「祈り」

             - 手を振られた瞬間、私は畏敬の念を覚えた -

 2008年4月。両陛下は館林に行啓。

 自動車部品工場で働く日系ブラジル人労働者たちと懇談するため。

 館林市役所では、皇后と疎開生活を共にした20名の同窓生との懇談会が開かれた。

  しかし、そのスケジュールはどこまでも秘密にされた。

 宮内庁幹部

 「2008年は日本からブラジルへの移民が始まってちょうど100年目にあたります。

 ところが、海外の日系人について監督ケアする組織がない。

 両陛下はその空白部分を担うということをいつも強く自覚されています。

 皇后陛下が同窓生との懇談会について発表を控えさせたのは、大きく報じられると

 本来の目的である日系ブラジル人への表敬訪問が薄れると思われたためだと思います

 皇后はいつもそこまで「政治」に抵触しないよう気を配りながら行動されていたのか。

 皇后は市役所前広場を埋め尽くした群衆一人ひとりに向かってにこやかに手を振ったが

  手を振られた群衆は、誰もが自分だけに向かって手を振ってくれたと思った筈である。

 美智子皇后と「交感」したという体験は、いつまでも心の奥底に刻まれる。

 美智子妃はいうまでもなく、日本の歴史上初めて誕生した民間人出身の皇后である。

 しかし、国民がミッチーブームにわくなか皇族たちから美智子妃に注がれたのは

 民間からの嫁入りを歓迎しない矢を射るような視線だった。

 小山いと子箸「美智子さま」の一節。

 皇太子夫妻が伊勢神宮に結婚の報告をしたとき。

 「祭主に向かい、ていねいな会釈をなさって顔をあげると、老婦人の刺すような視線に

 ぶつかった。美智子さまの心臓は凍った。

 鋭い刃物で、胸の奥を刺し貫かれたようだった」

(当時の伊勢の祭主は北白川房子。皇太子妃候補の一人だった)

 美智子皇后バッシング。

 これら痛苦な体験をくぐりぬけ、美智子妃は「国母」といわれるまでの存在になった。

  声を失ってからまもなく、美智子妃と親しい関係者は

  「今の自分なら、あれぐらいで声を失うことはなかったと思う。あの時の自分は弱かった」という

  告白を聞いている。

 阪神大震災の時、皇后が体育館の床にひざまずき非難した被災者と同じ目線で人々を

励ます姿を目にしたとき、近代約150年の皇室の歴史のなかで、最も重要な役割をはたしてきたのは

日本を近代化させた明治天皇、戦争と繁栄の二つの世を一身に生きた昭和天皇、そして

美智子妃だと確信を持った。

 戦後日本の平和を維持してきた憲法に抵触する動きに、美智子妃が賛成するとは思えない。

 まず。

  日本の歴史上初めての民間出身の皇后というのは、正確には間違いであると思います。

  歴史上初めての民間出身の皇后、それは光明皇后です。

  光明皇后 → 藤原不比等と県犬養三千代の娘。

             聖武天皇の母、藤原宮子は異母姉。

             聖武天皇の妃となり、基王子と阿部皇女を産むが基王子は早世する。

             聖武天皇には男子が他にいたが、阿部皇女を皇太子に立て、光明子は

            皇后となる。

 それまで「皇后」はいわゆる皇族出身者だったわけですが、その前例を

 覆して「皇后」に立てられた・・・

 小山いと子なる作家の本「皇后様」を高校時代に読んだことがありますが、後々、この作家は

  信憑性に欠けるとの説があります。

  いわゆる「友納尚子」風味だったのでは?

  そう考えると美智子妃の伊勢参拝のシーンは、「プリンセス雅子妃物語」によく似てますね。

  そこまで旧皇族を悪者にしなくてもいいじゃないかと思ってしまいます。

 だけど、この小山いと子が書いたようなイメージを私達はずっと持っていたことは事実です。

  どんな時でも「美智子妃=被害者」で「旧皇族=悪」だった。

  「旧弊で過去の栄光にすがりたい旧皇族・旧華族にとって美智子妃は許せない存在だったので

  いじめた」と。

  そして美智子妃が行った「改革」こそ「善」であると。

 宮内庁関係者のいう「同窓会を秘密にした理由」もよく読むと、おかしいような気がします。

  そもそも日系外国人への監督ケアが云々なんて両陛下の考えるべきことではないでしょう?

  最近、よくテレビでやってる「なぜ?そんなところに日本人」では、よく「日系〇〇人」が出てきます。

  ほぼ100%、彼らは「国捨てられた」と言います。

  移民させるだけさせておいて、あとは知らんぷりされた歴史がそこにはあるわけです。

  そういう人達に心を寄せる事は立派です。

  かつて貞明皇后は「灯台守」に心を寄せて、何度も行啓されています。

  だけど、そういう活動を通して「政府」に働きかけようという動きは皇族らしくないのでは

  「豊かな海作り大会」への出席も、確かそんな意図的なものだったと記憶しています。

  本当にそう思っているかどうかは別として、そういうふうに「解釈される」事が問題なんです。

  しかも、自分のプライベート報道をされたらそっちが大きくなるからって・・・少し自意識過剰な気が。

  いえ、とにかく少しでも「批判」される事が嫌で嫌でたまらないんだろうなと。

  という事は何か良心の呵責がそこにあるんでしょうか?

 「声を失った」事に関しても、「あの時は心が弱かった」とおっしゃったそうです。

   その意味がイマイチわかりません。

  「心が強かったら」倒れなかった?声を失わなかった?それとも抗議したって事ですか?

 手を振ること → 交感

  完璧な人格

  明治天皇・昭和天皇と並び称される程の功績

  もはや人間じゃないのかも?皇后陛下って。

  そんな完全無欠の皇后陛下が「憲法改正」を喜ばないだろうと示唆されています。

  皇后陛下がそう考えるのだから、それが正しいといわんばかりです。

  確かにここまで影響力を持った「皇后」は光明皇后以来なんじゃないかと思う程です。

  そのうち、紫微中台が出来ちゃうんじゃないかと。

  そういえば、光明皇后も逸話として「施薬院」などであかにまみれた人を風呂に入れたとかいう

  「美談」がありますね。壮絶な「上げ報道」はこの時代からあったのかも。

 闘う皇后 → 反戦メッセージ

            国民の前に跪き、心を寄せる慈愛の人

            旧弊な皇室の改革者

 何だかとっても政治的なにおいがするのは私だけでしょうか?    

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皇室ウイークリー

2014-09-07 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

8月29日・・・天皇陛下 → 通常業務

9月1日・・・両陛下 → 人事異動者に会釈

               新旧警視庁警衛課長に会う

       天皇陛下 → 認証官任命式

9月2日・・・天皇陛下 → 通常業務

                 インド首相と会う

        両陛下 → 新任皇宮護衛官に会う

9月3日・・・天皇陛下 → 赴任大使に会う

                 認証官任命式

       両陛下 → 赴任大使夫妻らに会う

               勤労奉仕団に会釈

9月4日・・・両陛下 → 地方行啓について説明を受ける

     天皇陛下 → 認証官任命式

 

皇太子同妃両殿下

9月4日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                  海外青年協力隊に会う

   両殿下 → 赴任大使に会う

 

秋篠宮家

8月29日・・・眞子内親王 → ろうあ連盟から進講を受ける

8月30日・・・眞子内親王 → 第31回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト出席・懇談

9月1日・・・両殿下・眞子内親王 → 人事異動者に会釈

9月2日・・・秋篠宮殿下 → 第1回ツーリズムEXPOジャパン2014開会式について説明を受ける

9月3日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議

         両殿下 → 「ポポル・ヴフ マヤ神話」書籍完成発表会出席

                 朗読・コンサート・レセプション出席

9月4日・・・秋篠宮殿下 → 生き物文化誌学会シンポジウム出席

 まあ・・そもそも東宮家は本来9月3日まで静養予定だったので、お仕事がないのも

  頷けますけどね。毎年の事ながら夏は働かない東宮家です。

 9月1日、東宮御所で行われた避難訓練に皇太子と愛子内親王が参加したそうです。

  雅子妃は欠席。須崎へは行けるのに庭先の避難訓練には出られない不思議。

  というか、毎年9月1日は那須にいたわけで。久しぶりなんじゃない?

 9月6日。愛子内親王は始業式に出席。「不登校」とまで言われた1学期ですが

  東園理事長いわく「休むこともあったけどそう多くはない」レベル・・・・だそうです

  試験を受けなかった事は大きいと思いますけどね。

  少なくとも国体を観戦出来る程元気だったのだし、2学期はさぞや皆勤賞で。

 秋篠宮殿下のお仕事がまた一つ増えたようで。

  ツーリスムEXSPOっていうのねーー

  もうすぐ眞子様は留学しちゃうし。ちょっと寂しい。

 

 

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悠仁殿下8歳に

2014-09-06 07:10:46 | 皇室報道

 悠仁殿下

  お誕生日おめでとうございます 

本日、8歳になられました。

 楽しく学校へ通い、宮邸では野菜の収穫も。

 

野菜をご覧になる悠仁殿下・眞子内親王・佳子内親王

悠仁殿下は幸せ者です。

なんたって美女お二人をひとりじめ

 成長著しい貴公子ぶり

屈託のない笑顔がなんともキュート

 なんと大人っぽいスタイルの殿下

動画では眞子内親王に体をぐぐっと寄せるシーンなどあり、ちょっと甘えん坊かなと。

そして末っ子はよくしゃべる。

きっと生意気盛りになりつつあるので、お姉さま方も笑顔の裏でひやひやしているかも。

背丈も随分伸びました。

立つと眞子内親王の胸まで来てますよね。追い抜かすのもそう遠くはないでしょう。

面倒見のいい佳子内親王。王者の風格で見守る眞子内親王。

去年より、少し大人になられた悠仁殿下。お姉さま方は追いかけるのをあきらめた?

元気すぎちゃって、ついていけないのーー的な? (経験上)

 チェックのシャツを着ていても姉妹で微妙に

着こなしが違う。佳子様はやっぱりおしゃれです

眞子様はグラマラスなのが引き立ってます。

悠仁殿下はいかにも「おぼっちゃま」風で。

でも、野菜を見つめる目は専門家みたい。

まだ熟してないんだよね」なんて はい。殿下。あと少しでございますな・・・・てきな?

「水やりは朝か夕方なんだ」はい。殿下。その通りでございます。

 

可愛いのも今年まで。来年からはいよいよ「ギャング世代」突入

眞子様が留学からお帰りになる頃には、とてつもなくわんぱくになっておられるでしょう。

 

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ニュアンスの違いじゃない?

2014-09-05 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 あんみつさま、名無し様、資料をどうもありがとうございます

早速使わせて頂きます。

すみませんねえ・・・コメントを下さる方々に「ネタ」を頼るふぶきの未熟さをお許し下さいまし。

 

さて。

軍用犬」テルの話。

これは村岡花子作の「アンのゆりかご」に載っているお話だそうです。

実際に読んでいないので、一言一句を引用することは出来ないのですが

ドラマも原作も昭和13年のお話になっているようですね。

 ある日、美里と妹が帰って来ると、鎖と首輪からテルがすっぽり抜けていなくなっていた。

 花子は美里に

 「兵隊さんが来て、テルに「僕と一緒にお国の為に働きませんか」と言ったら、テルが

 「ぼく行きます」と言って行っちゃったと説明。

 ラジオで軍用犬の話をした時、名前のない犬を「テル」と言ってしまった。でも、ラジオ局

  では何も問題にならなかった。

・・・・という事でいいのかな?

ゆえに「事実」という話になるんですよね。

 

 軍用犬

 シェパード・ドーベルマン・エアデール・テリア

 手紙を運んだり、兵隊さんのお友達になる

 戦争末期の食糧難の頃には毛皮や食料になったケースも。

体型がよく利口な洋犬じゃないと、軍用犬にはなれない。犬のエリートだったわけです。

一般家庭のテルのような雑種が軍用犬として徴用される事はなかったそうです。

そもそも軍用犬はドイツが戦争で用いた事が始まりで、日本でも歩兵学校で

研究が始まりました。

ある意味、当時としては「旬」な話題だったんですよね。

 

では、なぜ花子は美里に「兵隊さんと一緒に行っちゃった」と言ったのでしょうか。

私、思うに、テルは逃げちゃったんじゃないか?と。

でも、逃げちゃったって言ったら「テルは美里が嫌いなの?」って泣かれるから

「兵隊さんに誘われて行ったのよ」という事にしたんじゃないでしょうか

前述したとおり、軍用犬は犬のエリート そこらそんじょの犬がなれるわけではないのです。

もし、選ばれたとしたらそれこそ「自慢」になった筈。

そういう名誉を与える事で、美里を慰めたのではないかと・・・・・

 

現代から見ると、犬を軍事的な事に使用するなど「可哀想」だし「残酷」だと考えるのかも

しれませんよね。

でも、被災地で被災者を探す災害救助犬だって可哀想だし、残酷といえなくもない。

犬は可哀想で、ハトや馬ならいいのか?って話でもないし。

 

「事実」を読むとき、作者が書いた年代とか社会背景を知る事も重要だし

そこに作者の「思想」を読み込むことも重要です。

「花子とアン」の脚本家はそれが出来ていないのです。

昭和13年の話であれば、13年当時の「考え方」で物語を進めなくてはならないのです。

それを21世紀の考え方を昭和13年にあてはめるからおかしくなる。

この回でNHKが言いたかったことは

一般家庭の可愛いペットである犬さえも奪い取ってしまう日本軍の残忍さ」であると思います。

だけど軍用犬は兵隊さん達にとって「殺す材料」ではなかったし、いくら軍でも

昭和13年に一般家庭から犬をもぎとっていくような真似はしていないでしょう。

当時の世相を知りたければ

「ひと目でわかる戦前日本の真実」(1936年ー1945)(水間政憲著)

をお読みくださいまし。

 

  追記 

本屋さんで「アンのゆりかご」を立ち読みました。

これは村岡理恵さんが書いたものですよね。

軍用犬テルが「徴用」されたと解釈したのは理恵さん。

軍国主義の足音がそうさせた・・・・とあります。

花子自身は何も書いていません。

つまり、花子の文章を読んで理恵さんがそう「解釈した」という事なんでしょう。

でも、ごめんなさい。

花子の原文を読んだだけで「徴用」と解釈すること自体がおかしいんじゃないかって。

どうみても犬が勝手に逃げちゃっただけでしょ?

なんで、そう解釈したかというと、やっぱり「兵隊さんに誘われて「僕行きます」と言って行った」という

文章なんですよね

花子はここの部分を「慰め」に書いているんです。

ラジオでテルを「テル号」と言った事に娘達は大喜びしています。

「テルよりテル号の方が偉いのよ」って。

そこに「軍用犬」の悲惨さはありませんでした。

 

 

 

 

 

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「花子とアン」がいやだ

2014-09-04 08:20:00 | ドラマ・ワイドショー

 最近、昭和10年代に作られた映画「少年航空兵」というのを見ました。

海軍の飛行機乗りを目指す二人の少年。一人は海軍に、もう一人は試験に

落ちてしまって、新聞社の飛行機乗りに。

その新聞社というのが「朝日新聞」

戦前の朝日新聞はちゃんと軍の国策映画に協力していたという事ですよね。

国策映画とはいっても、いかにも「プロバガンダ」というわけではなく、単純明快に

「空を飛びたい」という少年の夢を扱っていて、軍がどうのとかいうシーンはありません。

何と言うか、のどかだけど背筋がしゃきんとする映画です。

その当時の「朝日新聞」と今の「朝日新聞」は似て非なるもの

いや、全く別物でしょう。

いうなれば、体と頭を乗っ取られたアンドロイドなのかもしれませんね。

 日本の新聞でありながら日本の悪口ばかり書く

 間違いを認めても謝罪はしない。責任もとらない

 間違った事を人のせいにする

心を奪い取られた、みかけだけ「日本人」が君臨する新聞社。それが「朝日新聞」なんですね。

笑い事じゃありません。

この新聞社のような事が、日本全土に広がって浸食していったらどうなるのですか?

 日本人の顔をした異民族が住む列島

 日本人の悪口しか言わない

 中国と韓国に日本を売り渡したい人しかいない国

SF映画のような事が本当に起こりつつあるんだということ。

国民が自覚して動かなくてはならないのでは?

 

しかも、朝日新聞自体がどんどん北朝鮮化しているし・・・・・

 木村伊量社長のメール

全社員に送ったメールだそうです。

長年にわたる朝日新聞ファンの読者や企業、官僚、メディア各社のトップ、

 ASA幹部の皆さんなど多くの方から「今回の記事は朝日新聞への信頼をさらに高めた」

理不尽な圧力に絶対に負けるな。とことん応援します」といった激励をいただいています

慰安婦問題を世界に広げた諸悪の根源は朝日新聞」といった誤った情報をまき散らし、

 反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいきません

朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない

衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ」

 まてまて。「衝撃の事実の連打」って「衝撃の嘘の連打」の間違いじゃないの?

 さらに「理不尽な圧力に負けるな」じゃなくて「朝日新聞解約します」の間違いでしょ?

 

 文春広告掲載拒否、池上彰論文掲載辞退・・・そして

新潮の広告を黒塗りで掲載

ですってよーー まるで・・・・まるで共産主義・社会主義国家のマスコミみたいだーー

あんなに嫌っているものにそっくりとはっ

いや、でもよくやってくれた。

お花畑の国民もやっと「朝日新聞」の国賊ぶりに気づくのではありませんか?

 LALAの「蘭陵王」が終わっちゃった・・・・・

一体、何を支えに生きて行けばいいの?

といいつつDVDを借りてしまった私。そのうち、絶対に買うからっ

DVDを見直してて、雪舞のおばあちゃまのセリフが胸に刺さりました。

蘭陵王は民のもの。独り占めは許されない

これはやきもちをやいた事から壮大な夫婦喧嘩に発展し、さらに命まで危うくなった

雪舞に対する戒めです。

雪舞は素直だから「わかった。私はもう自分の事なんか考えない。蘭陵王を守るわ」と言い切るんですが。

これこそが「無私」の「お妃」だよねーーと

なぜか心が現れるようです。

姫と一緒に「もし蘭陵王を宝塚でやったら」と考えたんですが。

OGなら

蘭陵王 → 紫苑ゆう

雪舞 → 白城あやか

宇文邕 → 麻路さき

安徳王 → 稔幸

暁冬 → 絵麻緒ゆう

鄭児 → 州悠花

 いいかも・・・・ってちょっと古いよね。

そこで。同じOGでも

蘭陵王 → 水夏希

雪舞 → 白羽ゆり

宇文邕 → 彩吹真央

安徳王 → 音月桂

暁冬 → 彩那音

鄭児 → 凰稀かなめ

いやいや

蘭陵王 → 真飛聖

雪舞 → 桜一花

宇文邕 → 壮一帆

安徳王 → 愛音羽麗

暁冬 → 未涼亜希

鄭児 → 花野じゅりあ

現役で考えねばっ!!現役で。

蘭陵王 → 柚希礼音

雪舞 → 夢咲ねね

宇文邕 → 紅ゆずる

安徳王 → 真風涼帆

暁冬 → 礼真琴

鄭児 → 壱城あずさ

 

このドラマは70年代の時代劇みたいです。絶対に日本では作れないと思います。

女子高生が見たらひくかも。

でもね、「壁ドン」も「お姫様抱っこ」も山Pや福士君よりかっこいいよ・・・・

こんなロマンチックなお話が書けたら幸せなのにと自己嫌悪に陥る私です。

で。本題。

 ドラマというのは矛盾をはらんでいるものだと思います。

つじつまのあわない所が多少あっても、それはご愛嬌・・・だと思う。

韓国ドラマや中国ドラマを見てれば、そういう「矛盾」になれっこになります。

なぜって、それ以上に面白い展開があるから。

だけどまあ、日本は時代劇をやる場合、すごく時代考証に拘っていると思います。

拘りすぎて「平清盛」みたいにかえって「うっそー」に見られたりするけど。

(だって、その時代を生きた人が一人もいないんだし)

つまり時代劇における「時代考証」というのは、大昔からの「伝統」のようなものなんですよね。

 

ちなみに、郡山宮夫妻は1週間のうちで見るドラマは

花子とアン」「軍師官兵衛」+BSプライムの韓国ドラマ。あとは「朝イチ」だけ。

お昼の韓国ドラマは民放で見ているらしい。

とはいえ、たったこれしかドラマを見ないわけで。

新聞だってほとんど読まなければ雑誌にも興味なし。

そんな人がドラマから受ける影響は計り知れないだろう・・・と私は思っています。

平清盛」を見れば、あの時代はみんな「天皇家」を「王家」と呼んでいたのかと思うし

篤姫」を見れば、篤姫の打掛は本当にあんな赤色をしていたんだろうと思う。

「花子とアン」もしかりです。

そもそも、「花子とアン」の時代考証ってかなりいい加減だなあと思っていました。

言葉遣いとか服装とか。

ちょっとしたことだけど、加代がカフェで働くシーン。

ウェイトレスのような気分で働いていたと思うんですが、あれは立派な水商売。

未婚の若い女性がカフェで働くというのは、なかなか社会的に容認されていなかった筈。

まして自分でカフェを開くなんてーー

花子が結婚する時、両家の親が反対したけど、あれは本来

花子の家事能力云々というより、身内に水商売がいるって事を問題にすべきだったかも。

それでもまあ、展開は早いし、見飽きないしいいかなと思っていました

歩が亡くなった時など、本当に泣けたし。

 

でもね。

軍用犬」テルの話。あれはいけなかったと思います。

村岡家に引き取られた子犬のテルが、軍用犬として徴用された。

それも割烹着姿の婦人会の方々の手で。

お国の為に働くんですから」と。

美輪さんはナレーションで「ひよわなテルが軍用犬として役に立つ筈はない」と言ってましたが

まさにその通りで、あのような犬が軍用犬として徴用される筈がないのです。

しかも国防婦人会が何で出てくる?

要するにこの話は

小さい子供が可愛がっている犬をも取り上げられ、戦争に駆り立てられた時代」を強調したいのでしょう?

嘘はいけないですよ。嘘は。

どうしてNHKはこうも反日的なシナリオになると突如生き生きとし始めるのか。

 日本が中国を占領するにあたって、可愛い犬すら犠牲に

 厳しい思想統制

ゆえにあの時代は全てにおいて「間違っていた」ことを言いたいのだと思うのですが。

戦時中、子供で田舎に住んでいた郡山宮夫妻はリアルな戦争体験はあまりないです。

せいぜい、郡山の軍需工場に爆弾が落とされた・・・・という話くらいで、空襲で逃げ惑ったとか

疎開したとか。

そんな二人が「軍用犬」テルの話を見たら、そのまんま信じてしまうでしょう。

そもそも戦後民主主義の教育を受けて、その考えに凝り固まっている人達に「軍用犬」テルの

話は、「日本が悪い」と渡りに舟。溜飲が下がる思いになるでしょう。

 

蓮子さんは

お国の為に戦う事がいい事だと子供達は信じてしまう」と案じていたけど、それの何が悪いのか。

まさか、自分がこのセリフでこんな風に思うとは思わなかったです。

一昔前なら蓮子さんのセリフに共感し、感動していたでしょうから。

だけど、「お国の為に戦う事をよしとしない国民」が大半を占めたら、国はどうなるんでしょう。

NHK及び脚本家は、「日中戦争と太平洋戦争は日本が引き起こした侵略戦争」という意識が

あるから、このようなセリフが出てくるんですよね。

逆でも言えるんでしょうか

 

戦争論は横において。

ドラマにおける「ご都合主義」を否定したりはしません。

だって、そうでもしないとストーリーが続かない事っていくらもあるから。

刑事ドラマで、すぐにタクシーがささっとやってくるとか、時代劇で一人で大勢と戦っているのに

なぜか全員やっつけられるとか。

だけど、そういう「お決まり」とは違う「超御都合主義」が「花子とアン」には見えるのです。

視聴率をとれればどうでもいいの?ストーリーの整合性なんて知ったこっちゃない。

主人公の人柄がぶれていくのもその表れでしょう。

確かにジェットコースター展開で視聴率が高いのはわかります

15分の間に事件を起こしてびっくりさせて、ほっとさせる・・・というのは大変だと思うし。

でも、その為にありもしないエピソードを入れたり、時代的におかしいんじゃないの?というような

事を言わせたり、させたりするのはどうかと。

だってこれはドラマなんだし」と脚本家は言うかもしれないけど、そういうものを鵜呑みにする

大衆」の存在を忘れてはいけません。

責任があると思います。

破天荒なストーリー展開、でもその裏付け、思想は一貫していないといけないのでは。

軍用犬を描くなら、その背景とかどんな犬が徴用されたのかとか、戻ってきた犬はいるのかとか

そういう事をちゃんと調べてから書くべき。それって常識じゃないの?

テルは戻ってこないと決めつけているけど、ちょっとネットでぐぐっただけでも

戻ってきた犬がいる事は証明済み。

NHKでは沢山の資料を提供してくれる筈だし、助けてくれる人もいるんだから、ちゃんとして欲しい。

プロなら・・・・・

 

プロは、頑張ってもチャンスがなくてなれなかった人達の魂を背負っているわけだしね。

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典子女王、伊勢神宮参拝

2014-09-04 07:00:00 | 皇室報道

 典子女王が伊勢を参拝されました。

 

9月3日。久子妃と一緒に伊勢神宮参拝。

結婚の報告をされたそうです。

神宮参拝は成人式以来2度目と報道されていますが、小学校の時には来てないの?

お二人のアイボリーシルクのドレスは、皇太子妃への嫌味のようにも見えますね。

(特にウエストからお腹にかけて)

このお写真からわかること。

 一般人がいる

 ドレスは新調もしくは保存状態がよい

末端皇族といえど、きちんとした伊勢参拝に見えます。

間違っても伊勢エビカレーは食べないだろうなあ

 

典子女王といえば、女性週刊誌には「完璧すぎる姑」の記事が載っていました。

千家家の当主夫人の礼子さんは小野家のご出身。

小野家といえば・・・・ヅカファン必見、小野篁の子孫。大和和紀ファン必見「イシュタルの娘」

そう、あの小野家出身。

その歴史は出雲とどっちが古い?という程?

気さくで気が利いて完璧な「姑」を持って典子女王が雅子妃のようになってしまうのでは

ないか・・・というような記事でした。

笑えるなあ

出雲は遠いから、そうそう高円宮家に帰って来るわけにはいかないし。

とはいえ、久子妃は行こうと思えばいつでも出雲に行けるでしょ?

周囲が考える程堅苦しい印象はないけどな。

というか、仮にも「宮家の女王」が「降嫁」するわけだし、今後は「完璧な嫁」になって

くれないと困るでしょうに。

出雲に嫁ぐという事は神道の祭祀を積極的に行うということ。

もはや俗世への欲などお捨てになっていますわよ。ね。

 

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