コメントの中に「伝統は現代と融合すべき。側室や女官がいない今の皇室で妃に男子を産むプレッシャーを与えるのはよくない。ゆえに女性宮家と女性天皇を認めよ」
というのがありました。
荒らしだからほっておくことも出来るんですが、私は、意外とこんな風に思っている人は多いのではと思います。
こう思っている人っていわゆる「雅子さまおかわいそう」派なんですよね。
「好きでもない人と無理に結婚させられた雅子様は世継ぎのプレッシャーで適応障害になった。なのに秋篠宮家には男子が誕生した。愛子さまは天皇になれない。お可哀想」って。
でも、皇統は「男系の男子が継承する」と決まっています。
なぜならそれは2000年の伝統があるので。
伊勢神宮がなぜ今も毎朝「火起こし」から仕事を始めていると思いますか?
なぜ20年に一度式年遷宮があるのでしょう?
それはまさに「伝統」と神道という考え方から来ているから。
天皇は神社の長ですから、自ら伝統を破壊してはいけないのです。
今回の皇后の「扇の持ち方」にしても、こんな簡単な間違いも皇后たる人が堂々とやっていったらいつかそれが「正しい」ことになる。それはいけないことなのです。
世界中の王室がこの問題を抱え、譲るべきところ、守るべきところきちんとわきまえているのです。
まず天皇皇后に正したいことは「プレッシャー」と言う程、努力をしたのか。
昭和天皇もまた男子が生まれず悩んだ人です。
昭和天皇と香淳皇后の縁はお二人が小さい頃に決められました。久邇宮家が多産系であった事も大きな要因でしょうし、戊辰戦争の折に賊軍になった事に対する贖罪の気持ちもあっただろうと言われています。
確かに香淳皇后は多産系できっちり2年ごとにお子様をお産みになられ、昭和天皇もそれに応えられた。その結果2人の親王に恵まれたのです。
当時は側室を持ってもよかった時代。でも昭和天皇はそうはしなかった。ということは、心の中で必ずや香淳皇后との間に男子を・・・と言う思いがあったと感じていますし、もしダメだったとしても秩父・高松・三笠の3親王がいましたから、それほどの危機感は持っていなかったかもしれません。
「皇后は女腹だ」と悪口を言ったのは政府関係者で、これこそマタハラですよね。
戦前、皇室は親王が子をもうけることが出来る体かどうか、性的思考がどこにあるかなどわりと把握してお妃選びをしていたのではないでしょうか。
秩父宮殿下が病気で早く亡くなるというのは予定外だったかもしれませんが、秩父・高松の両妃に子供がいないからといって肩身の狭い思いをしたり、精神的におかしくなったという事例はありません。
皇室の中では「子に恵まれる宮家がそれを担う」という通常の考え方があったと思います。
上皇のお妃に正田美智子が選ばれたのも、上皇の好みだったということではなく、生物学的にみて子供が産める身体であること、兄弟に男子がいる事も加味されたことでしょう。
徳仁親王は上皇の結婚の翌年に生まれています。
不妊であったり避妊もしなければこれは自然な流れで、ダイアナ妃もキャサリン妃もメーガン妃も同じように1年ないし2年以内にお子が産まれている。秋篠宮夫妻も1年目には眞子内親王が生まれています。
つまり、「皇族の結婚」に必要なのは本人の好みではなく「男子誕生の確率」がどの程度あるかどうかでした。
小和田雅子さんは、そういう大切な検査を自ら拒否しました。
そして上皇も徳仁親王もそれを許してしまいました。
伝統云々以前に、この時点で皇族としての自覚がないと思いませんか?
しかも、雅子妃は「3年間は子供はいらない」と言ったのです。
当時29歳。今でこそ普通ですけど当時は高齢出産間近の年齢で、欲しいなら早くした方がいいと言われたものです。
なのにご本人は「3年は子供はいらない」と言ったのです。
その間、紀子妃は佳子様を懐妊。
すると、「子供を産まない」と言った筈の雅子妃は泣き顔で公の前に出てきてしまった。自分が産まないんだから誰も産んじゃいけない・・・そういう考え方ですよね。
以後、秋篠宮家は壮絶な産児制限を課され、出産可能年齢が限界に近づいたところでお許しが出て大変な思いで悠仁親王を出産されたのです。
佳子様と悠仁親王の年齢差は12歳。
産児制限をかけたのは上皇后です。「佳子ちゃんが生まれた時のようになったら可哀想」と言った・・・つまり紀子妃は佳子内親王を出産した時、相当な意地悪をされたわけです。
皇室は産める女性に産ませないという究極のマタハタをやってのけました。
何の為に?小和田雅子さんが悲しまない様にする為です。
これって、よく不妊治療をしている女性が、子供が生まれましたという年賀状を受け取って「私に配慮してない。許せない」と怒る心境と同じですね。
なぜ上皇后がそんな思想を受け入れて雅子妃を庇ったのか。
一言でいうと、紀子妃は「出来すぎお妃」だったから。
虐めても怒っても切り返してくるし、絶対に折れない。いつの間にか妃としての威厳も美しさもアップしている。「皇室の顔」「皇室で一番美しい私」を自任している上皇后にとって、自分の地位を脅かす存在だったから。
どんなにプレッシャーをかけても切り抜けて出産する女性。白雪姫紀子妃と、「鏡よ鏡」のまま母の対比ですね。
結婚5年目についにしびれをきらした上皇が「国民みなが待っているからね」と言ったら「私の友達にそんな事をいう人は一人もいません」と言い返した皇太子妃。
本当に泣きたくなかったら、最初に子供が産めるかどうか調べて無理だったら諦めるのが筋。でも、彼女は「ありのままの自分を受け入れてくれない皇室が悪い」と思ったのです。
当然皇統の危機が叫ばれ、不妊治療を行うことに。
やっと懐妊したと思ったのにそれを隠してベルギーへ行き、寒いのに外に出てワインをがぶ飲み。スクープした新聞に「流産」の責任を押し付けるというありさま。
8年目にやっと生まれた娘は障碍者だったけど、それを隠し通して「ご優秀」伝説を広め「だから天皇になれる」と言っている。
一方の紀子妃は「お許し」が出てから懐妊。マスコミの犯罪的なマタハラをも、前置胎盤をも乗り越え無事にご出産。
ネット内では「前置胎盤」と発表された途端「生まれるのは絶対に親王」という話が広がりました。そういう科学的根拠があるみたいですよね。
私自身も39歳で妊娠しましたけど、初産が39歳と違って辛さが3倍くらいあります。色々体調にあれこれ出てくる・・・でも我慢の一筋。1人目2人目の時はあんなに楽だったのになんで?といつも思ってましたが、紀子妃も同じだったようです。
前置胎盤の為に入院後、人知らず泣かれた事もあったとか。
おかげ様で42年ぶりに直系男子が生まれたわけです。
今、「女性天皇」「女性宮家」を検討する本当の理由は「悠仁親王に子供が出来ない可能性がある」「悠仁親王が早死にするかも」といった根拠のない理由なんです。
わずか13歳の皇族に諦観して「だから伝統を現代に融合させる為に女性天皇・女性宮家」というのはおかしい話です。
「天皇」という地位は不可侵のもので職業ではない。
職業ではないけど21世紀の今、賢さや気遣いや思慮深さが求められます。
今上は即位したけど、これらのものが全く備わってない為に言い間違えが多いし、おかしな宗教に取り込まれる結果になっています。
皇后も立ち居振る舞いや表情の一つ一つに皇族としての使命感がなく、まさに「ありのまま」で即位しました。
今は宗教団体がくっついているから人気でしょうけど、そのうち国民はその存在をわすれることでしょう。
「女性宮家」というのは民主党は発案した言葉です。
皇室では女性が当主になることはあり得ません。
それは平等意識がないからではなく、皇統はあくまで男系で繋いでいかなくてはならないものだからです。
伝統を破壊すれば、アイデンティティが失われます。国が消えるのと同じです。
ところで・・・
こんな動画があります。
本当かどうかわかりませんけどね。
最高の医療技術を駆使してようやくようやく生まれたのが愛子内親王であり、年齢的限界まで引き延ばされ「じゃあ、産んだら?」とお許しが出て、まもなく誕生されたのが悠仁親王。そもそも年齢も体質も問題があったのに、妊娠を個人のプライバシー侵害的な感覚で抵抗していた雅子妃と、それをどうにもできず奥方にかしずくことが最重要事だった皇太子。このお二人には、皇統が預かりものであり、連綿と継いでいくのが第一義という認識が完全に抜け落ちていたとしか。
今並んでいる女性週刊誌に、各国の王位継承者の王女たちの写真を満載し、「どうして愛子様ではダメなの?」といった問いかけをしているのがありますが、「じゃあ、そっちの国に行けば?」です。(それにしても、同年代のプリンセスと比べ、愛子様は幼すぎる)
ブッチャケのブッチャですけど、なかなか言えないことのまとめ ありがとうございます。
解りやすすぎるダブルM子様は、女性ツートップとしては2000年以上の伝統の国には所詮、向かない国民共々
今と為っては、お互いに失われた年月だったかも知れません。
上に立つ人は、古今東西、「解りやすいお方」とか、「お里が知れる」とか見透かされるお方は、向いていないよう。
どんなに強圧的であっても、「王様はハダカだ」のアンデルセン童話のようにバレてしまう。
リアルでは、「パンが無いなら お菓子を食べたらーー」のアントワネットは解りやすすぎでしょうか。
今の皇后陛下は、ノブレスーーの遥か手前のお方のようーー ご病気、体調?を、錦の御幡でエクスプリーズするしかないのでしょうか?
お手振り、スマイルも娘を宜しくね のフェイクに見えてしまいます。
出産って病気ではないにしても、ホルモンバランスが崩れて湿疹や、重症のつわり、めまいなど個人差がありますが、様々な症状があります。
私は末っ子を出産したのが35歳で、上ふたりは20代の子でしたので心配はいろいろありました。
皇后が結婚したのは29歳、すぐにでも子どもをと思われても仕方ないのに、それを女性蔑視だのフェミニズムだのすり替えて議論して、おまけに次男夫婦が配慮しないといけないだなんて時代錯誤もはなはだしいです。
先ほどヤフーニュースで、「雅子さまと清子さまの確執」の記事を読みました。
小姑にあたる清子さまがいろいろとアドバイスしたけれど、しんどくて距離を置いただのなんだの。
まともにきちんと読んでないので正確でないかもしれませんが、皇室のルールをアドバイスするのは当たり前でしょう。
とにかく、なんでもかんでも環境不適合のせいにして、今度は清子さまを悪く言う風潮なのかと腹立たしいです。
いつから皇后は素晴らしい人格者、努力家、ベストドレッサーになったのですか?
宝塚某娘役じゃないけれど、あの絶賛にいくらもらってるの?と下品なことまで考えてしまった私です…。
簡潔にまとめていただき、ありがとうございます。
まるごと同意いたします。
「出産を迫られたマサコサマはおかわいそう」という人たちは、産めるのに産むなといわれた紀子妃はかわいそうと思わないのでしょうか。
覚えておられるでしょうが、当時、紀子妃の出産予定日の数日前にマサコヒは「私的に」オランダ静養に出発することになっていました。眞子様が海外ホームステイに行っておられたと思います。紀子様は眞子様のお帰りを待って、親子4人の記念写真を撮影され、入院なさいました。それが、マサコヒのオランダ静養出発の前日。
それを、当時の「週刊女性」(立ったと思います)には、「政府高官夫人」のコメントとして、「翌日には、コウタイシヒが出発なさるというのに、ご無事に出発なさってから入院されればよいのに、たった1日くらい待てなかったのでしょうか。」と書かれました。
一方は命にかかわる入院。親子の写真を撮影しての、覚悟の出産です。もう一方は、いわばレジャー。どちらが優先されるべきかは言うまでもありません。私は、あのコメントは許せません。
オランダ静養はだれもとがめなかったものの、弟の家で、命にかかわるような状態での出産がおこなわれるときにヨメについてニコニコと海外旅行にでかけるナルヒトさんって、どうなんでしょうか?
あまりにも情が薄いのでは。
そういったことは誰もとがめず、当時の報道は馬車小屋でアイコさんが笑った、ばかりでした。
あのような一家が今、天皇家になったのだと思うと、まったく敬意は持てません。
その時紅いトンボが愛子さまの左手の甲に留まり・・・
オニヤンマ?違うアキアカネだわと愛子さまがおっしゃるとインタビューしていたテレビ局の女性が、トンボの事お詳しいんですね?と聞き返しましたら、雅子さまが仰るには、子供の頃から那須に来てトンボは沢山見ていますので、自然に詳しくなるんだと思います。確かにアキアカネでした。
愛子さまは子供っぽい感じは有りますが、天皇のお姫様と考えれば普通かな?と。多分噂になるほどの障碍は成さそうな感じです。勿論18歳という年齢ならもう少しキリッとしていて当然ですが、回りから求められないと中々自発的にするのは普通は無理か?と思いました。
また好く観察するとあの痩せていて愛子さまと現在のふっくらした愛子さまと確かに似ていると言うか(笑)そっくりなところがあり、あれは本物だったんだと安心しました。
道理でほくろの位置が皆一緒で不思議には思っていましたが同一人物なら当然か(笑)
何れにせよ天皇家のスタッフさん達ご苦労様ですね。一応これで大きな行事は終わりました。
責任を被ろうとせず、不確かな情報を拡散していますよ
ふぶきさんはきちんと筋道立ててたものを考えることのできる方なのですから、そういうことはやめましょうよ