2008年10月1日 琉球舞踊鑑賞
一旦緩んだゴムは決してもとには戻りません。
一旦緩んだ時間の感覚や行動様式は決して元には戻らないのです。
「皇室」というものへの適応を諦めた段階で、誰もが口をつぐみ、誰もがアドバイスをしなくなり、雅子様は何となく周囲から浮いているような気がするものの、決してその行動を改めようとはなさいませんでした。
けれど、小山女官は、愛子様まで同じではいけないと、必死に躾け直しをしようとしました。
朝はきちんと起きて遅刻をしないようにする・・・食事の時間を守らせる。食器を正しく使う、挨拶などです。
しかし、それを片っ端から壊していくのが福迫女官であり、また愛子様の頑固さでもありました。
小学校に入ってから半年の間にもう半分もお休みをしている愛子様。
大抵は「風邪」「お疲れ」と発表されましたが、静養ではお母さまに引っ張られ、行きたくない所にも駆り出され、勉強する時間などありません。
皇太子様がいらっしゃる時は、わりと時間に正確になっている愛子様も、お父様が海外に行かれている時は途端に夜更かしになって、朝、起きられず、夕食は夜の10時。当然、学校へ行く事も出来ません。
「愛子様のようなお子様は、これからきちんと躾けてちゃんとした大人にしないと」という小山女官のセリフを、だんだん雅子様はうざったく感じて来ました。
「別にあなたにそれをしてくれとはいってないわ。あなたは愛子の面倒だけみてたらいいの」
雅子様は勢い余ってテーブルの上にあったペン立てを投げつけました。
「私に説教しないで頂戴。愛子の事は私が考えます」
失意の小山女官を「それみたことか」と笑って見送る福迫出仕。
宮中では「三猿にならないとやっていけないわよ」と誰かに言われた事がありました。
そうは言っても「諫言」は悪い事なのでしょうか?
ご自身が外交官の娘だというのに、雅子様はどうしてこんなにだらしないのか。
普通に学習院を受けたら落ちるような家庭だったと言う事に、小山女官は絶望したのでした。
そして、毎年恒例の運動会がやってきました。
しかし、この年は皇太子の重要な公務「全国障害者スポーツ大会」とぶつかってしまいました。
今年は大分へ行かなくてはなりません。
雅子様は当然の如く「私はいかない」とおっしゃいました。
「でも、八大行啓の一つですし、無視するわけには。愛子様の運動会はあくまでプライベートな事ですから。どうか大分行きを優先して下さい」と東宮大夫に泣き疲れたのですが、雅子様は無視しました。
当然、皇太子様は「雅子がいかないというならそれでいい」と一言。
ああ、またこれで宮内庁が悪く言われる・・・・東宮大夫も侍従も、広報課も宮内庁のどこもかしこも理不尽な記者達の言葉に耐えなくてはいけないのかと思うとぞっとします。
官僚というのはある意味「いじめ」の世界でもありますし、パワハラ、モラハラに耐えつつ、乗り越えて仕事をする必要があるのですが、さすがにこの所は宮内庁の中でも体調不良者が続出し、病気療養に入る職員も少なくありません。
何とかごまかしつつ、人事院からの「異動」を待たないとやっていけないと思うのです。
2008年10月12日 学習院初等科運動会
運動会では愛子様は、リレーの選手に選ばれて見事な俊足を発揮しておられました。
その様子を生き生きとカメラで追う雅子様の表情には「重要公務を休んでしまった」との後悔などみじんもありません。
おかしい。どうみてもおかしい・・・・誰もがそう思ったものの、「病気」を印籠代わりに好き勝手する雅子様に意見する者など誰もいません。
気まぐれな雅子様は、突如「外食したい」なとどおっしゃいます。
高級なレストランは当日に予約など出来ませんが、そこをなんとねじ込んで予約しても、
出発の時間を守る事が出来ない雅子様はいつまでお部屋にこもっています。
皇太子様は、周囲がせかすのを無視して、「愛ちゃん、ママが降りてくるまで遊んでいようね」と車寄せで鬼ごっこなどを始める始末。
5分や10分などでなく、それが1時間になろうとも、皇太子様は決して雅子様の様子を見にいかせたりはしません。
黙って待っているのです。
「おかしい。この夫婦」と侍従達が思っても、夫である皇太子様がそういう態度でである以上、何もいえません。
つまり、このような形で東宮御所の平和は保たれていたのです。
2008年10月20日 皇后誕生日の為参内
2008年10月25日 日本橋三越「皇后さまと子どもたち」写真展を鑑賞
2008年10月28日 NHK放送センター日本賞授賞式にドタ出
妻が突然「行きます」「行きません」そういっても、否定するわけでもなくそのままにする皇太子様。その胸中に流れるのはいわゆる「無気力」です。
ご自分の母君が強いタイプなので、黙って従うのが平和の根幹と思っているのです。
何の野心もなく、希望もなく。
2008年10月30日 チャールズ皇太子夫妻 東宮御所で夕食会
チャールズ皇太子とカミラ夫人がいらした時は、普段は出ない玄関先まで出て来た雅子様。
それはもう得意満面のお顔でした。
「英語が得意」ですから、通訳を介さずひたすら喋りつづける雅子様に、チャールズ皇太子は戸惑いをみせ、「何でこの女はこんなにハイなんだろう」と思っていたでしょう。
雅子様的には世界でもっとも有名人に会える喜びというか、そういう特権を持った自分に酔いしれていたのです。
2008年11月10日 スペイン国王夫妻来日
スペイン国王夫妻がいらした時にはわざわざ飛行場までお出迎え。
カーティシーをしたのですが、がつんと頭が国王陛下にぶつかってしまいました。
しかし、晩さん会は出席せず、これで終わりかと思いきや
「両陛下と国王夫妻がお茶するなら私も出たい」と突然雅子様が言い出したのです。
周囲は慌てました。
雅子様は両陛下主催の晩さん会にも、国王夫妻主催の答礼晩さん会にも出席していません。
しかも12日は、国王夫妻は両陛下とつくばにおでましで、その後の正式な茶会です。
ドレスコードはロングドレスです。
雅子様が入る余地などなかったのです。頭に来た雅子様は
「外務省に電話して、入れて貰って」と言い出しました。
どうせ皇后陛下に直談判しても断られるだろうから、第三のルートを使ったのです。
このようにして、雅子様はお茶会に入り込みました。
しかし、服装は普通のスーツ。
突然、茶会への出席を知らされた両陛下は愕然としてしまいました。
しかも、お客様より後に入って来た雅子妃を見て、またも愕然としてしまいました。
「ご紹介しますわね。皇太子妃です」
皇后陛下は震えがちにそうおっしゃいました。
国王夫妻もちょっと驚いた様子で、「夏に皇太子殿下がいらした時は同行されませんでしたね」とおっしゃいました。
雅子様は「はい。病気療養中なので」とにこやかに答え、椅子に座ります。
下手な英語でそんな風にお答えになったので、「?」となっている国王夫妻にスペイン語の通訳が一生懸命に説明し、天皇陛下はなるべく雅子妃に会話がいかないように気を遣い、皇后さまもまた同様に、静かに静かにセーブしました。
結局、会話のしどころがない雅子様は、出て来たお茶とケーキを食べるしかお仕事がなかったのでした。
後に、皇太子様は天皇陛下から大目玉をくらいましたが、ただただ笑ってやりすごしたのでした。
2008年11月12日 両陛下とスペイン国王夫妻の茶会にドタ出
2008年11月20日 ニューオータニで開かれたPTA60年式典にドタ出
美智子様は好きではないけど、やはり皇太子妃時代の写真と雅子様を並べちゃうと、月とスッポン、ダイヤと里芋くらい違いますね(里芋に失礼)
結婚当初からキチンと妻をコントロールできていれば、ここまでの惨状には至らなかったと思います。
残念な夫と残念すぎる妻。
人前に出て写真も撮られるという事を分かっていてコレですから。
特に娘さんの運動会での顔つきは醜いです。
この旦那さん以外は嫁の貰い手はなかったでしょうねw
一派の方ともし結婚しても、プリンかなんかやらかして慰謝料払わされて離婚してるイメージしか浮かばない。
良かったじゃないですか…何しても離婚出来ない方が貰ってくれて(呆)
「適応障害発症の理由」(by宮内庁幹部)ですって。
もう聞き飽きたわの感。
イギリスではメーガンの話題が沸騰中のようですが、雅子さまは立場や方向性が違うものの、日本のメーガンのような気がして仕方が無い。自己中な人間性が似ているような。
小和田家も礼子さんならまだマシだっただろうに、雅子さんを片付けたかった?箔の付く所へ。まるで、皇室が金ぴかのゴミ箱かのように。
日本国民が見ない様に、視界に入らない様にしていた、下天皇と下皇后。
もっと美しくて若い紀子妃の美しい姿を見たかったです。