ふぶきの部屋

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祝!成婚30周年 雅子様語録     4

2023-06-01 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 1993年5月8日 皇太子の学友達にお披露目

皇太子様は学習院のお友達に雅子さんを嬉しそうにお披露目しました。

「小和田さんです」と。

お友達はみな「これが例の・・・」と思いましたが、とにかく殿下がお幸せそうなので本当に良かったと思いました。

けれど雅子さんは内心はあまりいい気分ではありませんでした。

ハーバード大出の雅子さんからすると学習院なんて下っ端過ぎて話す価値もないと思っていたのです。だからせいぜいにこにこしていようと、お酒を出されるままに飲んでいました。

でも皇太子さまと学友方の会話は雅子さんには少しもわかりません。

日本語が?いえ、話している事の内容もすですが、その話し方というのが妙にゆっくりでバカに丁寧で普段雅子さんが話している会話とは全然違っていたからです。

さあ、雅子さん、召し上がれ」と言われて「飯・・めしあがる?」と思い、「殿下~~嬉しいからと言ってきこしめしたらあとが恐ろしいですよ」

きこす?ってなに?そんな調子です。

雅子さんはご学友とのお付き合いはございますか?

「え?まあ、あります」ちゃんと答えるものの、なぜか自分が下っ端庶民に思えて仕方なかったのです。

雅子さんには皇太子殿下が住んでいる世界がご自分とは真逆である事にまだ気づいていませんでした。なぜって、自分は請われて皇室入りするのだから、全然相手に合わせる必要はないと思っていたのです。

そうは言っても、なんだろう・・・この違和感。

 

 1993年5月15日 家族旅行で箱根へ

家族最後の旅行は箱根へ。左端に写っているのが「チッソ」の会長です。

 

 1993年6月3日 嫁入り道具が2トントラックで東宮御所に

そして雅子さんは「結婚式」リハーサルに

結婚式のリハーサルは大変疲れました。

何であんな重い衣装を着けたり歩いたりしないといけないのか。

お父様にちらっと「そんな話聞いてないわ」と言ったけど取り合って貰えませんでした。

この頃、雅子さんはウエディングドレスを森英恵さんに作って貰う為、何度か寸法を測りに行かなくてはならず、それが苦痛でしょうがなかったのです。

なぜって・・・測るごとに「お直しを。少しお待ち遊ばせ」と言われて立ったまま延々とまたなくてはならなかったからです。

けれど、大変だったのは衣装を作る側で、寸法を測る度に雅子さんはなぜが太っていくのでそのお直しが大変だったのです。

しかも「首回りは絶対に隠して下さい」「袖をつけて」と難しい注文が入り、

せっかく華やかで美しいドレスを作ろうとしていたのに、どんどんデザインが縮小していく羽目に。

雅子さんは背が低いので、そんなに首回りを窮屈にしたら似合わないのに・・・森英恵さんは今回ばかりはお手上げでした。

 

さらに間の悪い事に、東宮御所に入れる筈だった箪笥が宮内庁からのクレームで送り返されて来たのです。

なぜか。それは総金箔をはった桐の箪笥だったからです。

「あまりにも派手なのはいかがなものか」とのことでした。

勿論箪笥が金ぴかなんて雅子さんは知りません。

だってそれは全部お母さまにお任せしていたんですから。

母の優美子さんは、この箪笥のいきさつを報じている最中のワイドショーに直接電話をかけて「うちが注文したものではない」とはっきり言いました。

生番組に電話がかかってきたのでワイドショー側はびっくり。

 箪笥は金沢にある「辰巳屋」のもの

 通常の桐箪笥よりもかなり安い100万程度

 小和田家が「頼んだ覚えがない」と主張するので、辰巳屋さんは「うちの独断で金箔を張りました」といい、お蔭でご主人は寝込んでしまいました。

辰巳屋さんは元々箪笥を作ってはいなかったのですが、小和田家のお知り合いだったので破格の値段で桐の箪笥に金箔を施したのだそうです。

小和田家では、他に田崎真珠から真珠のネックレスが贈られ、受け取ったのですが、宮内庁からクレームが来て返却したというエピソードもあります。

 

どれもこれも小和田家のご威光にすがろうとする輩のやった事で、雅子さんには責任はありませんよね。

けれど、雅子さんの金色好きはちょっと有名ですし、それがご本人の好みというか、お父様の好みだったとしてもやっぱり最終的には雅子さんに責任が行ってしまうのです。ああ、お可哀想な雅子さん。

 

 1993年6月9日 結婚式

その日は朝から大雨でした。雷もなり、土砂降りの雨がやみそうにありません。

「小和田家から離れるわけではないぞ」とお父様が慰めて下さったので雅子さんはちょっと安心してご家族に挨拶をされました。

妹君達は暗い顔して泣いていますし、後ろにはチッソの会長夫妻も控えており、見る人から見れば「何だか晴れがましくないな」と思ったでしょう。

ご成婚景気に預かろうとしたけど株価もどういうわけか下がる一方でしたしね。

参列した皇族方は少々お怒りでした。

それは、小和田恒氏が鳥居をくぐる時に一礼をしなかったからです。

天皇家と言えば神道の総本家。

鳥居の前では誰もが一例するのですが、雅子さんのお父様だけはそれをせず。

しかも大雨でせっかくのドレスが台無しに。雨音は止むどころか激しくなっており、寒くもなっています。みな、喜ぶというよりこの儀式を乗り切る方に目が向いたのかも。

それでも雅子さんは苦手な早起きもして、しっかり装束を身に着けて皇太子殿下のお妃になりました。

雅子様の誕生です。

洋装で「朝見の儀」に向かう頃には、緊張していた雅子様の心も段々弾んで来ました。

 ちょっと皇太子殿下の前に出てしまっても全然気になりませんでした。

森英恵さん作のローブ・デコルテ。これは上がジャケットになっており、作家としてはつけたくなかったろう前ボタンがついています。

とりあえず、首回りは花びらを広げたような形にして、何とか皇太子妃のネックレスを目立たせることには成功しました。

頭上にはキラキラと皇太子妃のティアラが。

ロールスロイスに乗り込む頃にはすっかり雨が上がって虹が出て来ました。

みな「皇太子ご夫妻のご結婚を祝福している」と思いました。

沿道には沢山の人が・・・・こんな気持ちは初めて!雅子様は有頂天になりました。

これが、これこそが皇太子妃になるという事なのだわ。

手を振るだけでみんながきゃーきゃー言ってくれる。

それは決して雅子様の実力ではないのですが。

ご本人は天が与えた運命なのだと思いました。

あまりにうれすぎて、「ねえ、あれ、みて~~~こっちも~~」と

皇太子様にあれこれ話しかけて、皇太子様はちょっと驚いた風。

だって、パレードの時ってこんなに話すかな?それって雅子さんらしいのかな。

「きゃ~~みて~~綺麗だわ~~」右を見ては大喜び、左を見てはさらに大喜び。

感動よ。感動だわ。私が主役になる日が来るなんて。

あまりに嬉しかったので、車を降りた時、つい立ち位置が逆に。

これでは雅子様が皇太子殿下のようですが、ご本人は全然気づかず得意顔。

皇太子様はあけっぴろげな「素」を出してきた雅子様にただただ狼狽するばかりでした。

 

 祝宴の儀

 饗宴の儀 2回目

乾杯だけすればよいものを、雅子様はつい飲み干してしまいました。

周りはびっくり。それでもまだこの時は「微笑ましい。さすがキャリアウーマン。酒くらい飲めなくては」と誰もが思っていたのです。

 饗宴の儀 3回目

さすが皇太子殿下ともなると、毎日共演の儀です。

その度にごちそうが並び、ドレスも真新しいものに着替えるのですっかりご機嫌になった雅子さま。みなひれ伏すし「こんなに待遇がいいならもっと早く来ればよかった」とおっしゃった程です。

 饗宴の儀4回目

森英恵デザインのドレスで。化粧が浮いてしまって首から下が大変な事に。

それでも雅子様は幸せでした。自分の一言で誰もが頭を下げていう事を聞いてくれることが。こんな風ににらみつけるような顔をしても「冷たそう」とは言わない。

でもお客様達は「雅子様ってころころ表情が変わるし、喜怒哀楽が激しい方なのね」と思っていました。皇太子殿下に対しても平気で話しかけるその姿が「キャリアウーマン」と言われたらそうかもしれないけど、ちょっと敬意が足りないのではと思ったものです。

 饗宴の儀 5回目

 

 饗宴の儀 6回目

 

 1993年6月21日 東京都体育館で行われた結婚祝賀記念式典

 1993年6月22日 結婚記念の茶会

雅子さま的には精一杯しおらしく、皇太子殿下の妻らしく、一歩引いてお辞儀をして・・それが実はとても「面倒」な事だと次第に思って来ました。

日々、時間を指定されて分刻みのスケジュールがきつい、着替えがきつい。次第にそんな風に思うようになりました。

どんなおいしいものも3日食べれば飽きます。ましてや皇室の料理は格式ばっていて、ちっとも豪華に見えない。

独身の頃はよかったな。

中華料理を食べに出かけたり、コース料理をじっくり味わったり。

なのに、人前では食べればじろりと皇太子さまが見ます。

「あまり食べ過ぎないで下さいね」と。

「話をしましょう」とも。 食べる時に話しをするってどういう事なのかしら?

雅子様はだんだん皇室のしきたりに矛盾を感じるようになりました。

さて、めでためでたの結婚式で、みんな幸せに・・・とはいかなかったようです。

実は影でちょっと辛い思いをされていた人がいました。

それは森村桂という方で、この方は皇后陛下のご友人で、「皇太子が結婚するのでウエディングケーキを作って欲しい」と依頼を受けました。

森村さんは張り切って干しブドウ入り7段重ねのケーキを作りました。

その事は、彼女の著書「皇太子の恋に捧げたウェデイングケーキ森のぷーさんが見た夢」に書かれています。

やったァ! アリスの丘の 最高けっさく

幸せのお菓子の7段重ね

7年ごしの恋なんだから。

リスさん がんばれ、山の頂は恋の頂
おふたりが立つところだよ

7人で一段づつ焼いたんだ。
ぼくはいちばん大きいの焼いたんだよ。

7段重ねの幸せのお菓子

粉ざとうをふりかけて雪と氷の山にみえるかなあ?

パイでつくった白ばらをかざって

こんなぐあいにデザインしたらどうかなァ……

エッサカエッサカすごいぞ!
世界一のケーキだ。

すごい!すごい!
ついにやった

さあ、町にいこう
お城にいくんだ
みんなびっくりするぞ

こんな大きな
こんなすばらしい芸術品
プーさんとアリスの丘のぼくたちにしかぜったいに
できない

あれっプーさんどうしたの?

あっ、小鳥さん……

皇太子さまにささげる
ウエディングケーキコンクール……

え、プーさん
何とかんちがいしたの?

いったいこれ、
だれがせきにんとってくれるんだろう

ヒッヒッヒこりゃあうまい

7年間じゃましてやってよかった。

やっぱりほしぶどうは
7年つけると幸せのお菓子の味も格別じゃ

いや、うまい。これだけうまいと
さすがのわしも、幸せなきもちになってくると
いうもんや。

ここらで、1回まほうでプーをたすけてやるか。

 

これはどういう意味かというと、森村さんが時間をかけて作ったウエディングケーキ。

でもお披露目する前に、皇太子殿下と雅子さまが食べてしまったということ。

納品されたウエディングケーキ。

そこに私達の為にあるのに食べてはいけないなんて知らなかったわ」と雅子様はいい、

皇太子殿下も「そうだね」と同意。

「という事なんです。おたあさま」と皇太子殿下がお話になると皇后陛下は頭を抱えてしまいました。

いくら自分達の為に納品されたとはいえ、回りの者に一言「食べてもいいものか」とお聞きになればよろしかったのに。

男性が真っ先にケーキを食べようというわけないわ。多分、雅子様が先に言い出した事で皇太子殿下は「ダメ」とは言えなかったのでしょう。

これだけの素晴らしいウエディングケーキ、まずはお披露目して森村さんの名声を高めて差し上げようという皇后陛下のお心遣いが全て無駄になってしまったのです。

皇后陛下の面子は丸つぶれ、仕方なく自ら電話をなさり、森村さんにはもう一つケーキを作って頂いたのです。

ご自分の著書で「だれがせきにんとってくれるの?」と書いてある事から、これはご自分の失態にあたるのではないかと森村さんは思われた事でしょう。

ご結婚する雅子様を責めるわけにはいかないからです。

しかも、心を込めて時間をかけて素材を集め作り上げたケーキです。

費用だってバカにならない筈。売り物なら「じゃあ追加注文」ですむけど、お祝いで差し上げたものを食べてしまったからもう一度作れとは・・・・・

 

このように雅子様は知らずに人を傷つけてしまう癖がおありでした。

何かを決める時、皇室であれば必ず殿下や侍従に聞いてから行動すると言うしきたりを無視してしまった事が災いになりました。

雅子さまの「皇族」としての始まりは決して順風満帆とは言えないものでした。

 

 

 

 

 

 


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12 コメント

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Unknown (れいこ)
2023-06-01 10:02:34
当時、私は中学生で紀子さまに憧れていた少女でした。雅子さんに対しては、「なんか変な人が出てきた。皇室にふさわしくないな」と思っていました。このご成婚は、国民にとっても、雅子さん本人にとっても、不幸の始まりだったと思います。
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Unknown (ゆうこ)
2023-06-01 10:07:04
シリーズMASAKOは大変面白いです。又昔の写真を見て、そうだったわね~と懐かしみ、飛んでもない話だわと心騒ぎ、まぁ大変な方を皇太子妃に迎えたんですね。未だ続きが有りそう。明日も楽しみにブログを開きます。
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Unknown (佐保)
2023-06-01 10:24:55
意外とこの頃は首元見せているじゃないですか
パレードの前でしたっけ後でしたっけ、扇をもたずに写真に収まってしまってミーアキャットになったのは
ケーキもね、大きなものをふたりで食べてしまったw美味しかったのでしょう、それはつくり手にとって誇ってもいい話
雅子さんが直々にお詫びをして結婚一周年にまたお願いしますとケアすれば笑えるエピソードになったのにね
最初からわかっていた、怪しんでいたという方もいますけどね、リアルタイムで見ていた人間のひとりとしてちょっといいたい
大変だろうけど頑張ってね、お辛い立場だろうけどって
応援していた人は沢山いましたよ
この頃は皆おとぎ話に無理矢理酔おうとしていたんです
砂の山が崩れていくように時間をかけて気持ちが萎えていったけど
残ったものは、顕になったものは‥‥
先走ってはいけないわね
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Unknown (山芙蓉)
2023-06-01 12:08:28
ウェディングケーキの週刊誌紙面も含めた、過去の詳細ブログ記事を読ませていただきました。
https://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/78a133c6d9625685ac39f2fac0fb82bc

森村さんは好きでは無いですが、こればかりはお気の毒でしたね。

自分たちのおやつ?と思ったって、量を考えたら分かりそうな物なのに・・・
どんな食べ方をしたのか、食べた後を想像してしまうわ(ゲロゲロ
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Unknown (MIIYA)
2023-06-01 12:08:33
沢山の懐かしい写真をありがとうございます。雅子様この頃はまだ若いし森英恵さんデザインのローブ・デコルテ素敵~って!確か朝見の儀に向かう後ろ姿の雅子様の背中に毛がみえる写真があった記憶が……忙しかったから背中の無駄毛迄気が付かないのね、お可哀想にー 当時の私はそんな風に思っていたのでしょうか
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Unknown (みしらず柿)
2023-06-01 15:13:16
雅子様改めて写真を見ると得意満面の顔ばかり、品がないと言うか皇族としての自覚があったのか、とにかく現在は下品でしたたか、意地悪で汚ならしい等しか思えないのが悲しい
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Unknown (スイトピー)
2023-06-01 19:38:40
小和田家をかばうつもりは毛頭ありませんが、キンキラペラペラと言われる振袖について、「写真集美智子さまのお着物」(朝日新聞出版)によると、「納采の儀に雅子さんが身につけたゴールドの振袖は、美智子さまが東京・日本橋にある『満つ本』にご注文されたお品だった。」とありますので、金の箪笥も美智子さんの関与の可能性があるのではないでしょうか。

真珠のネックレスについてですが、正田家が小和田家と同類なのではないかと思える話があるブログにありました。

>正田家が支払った代金を「ミキモト」は受け取ったが、その全額を美智子さまが関係する団体に寄付されたというのだ。
>皇后陛下が名誉総裁でおられる団体なのだが、美談と報道させなかったところがさすがということのようなのだ。

「『真珠ブーム』よ、もう一度・・・」 2013年06月30日
https://plaza.rakuten.co.jp/nishi0709/diary/201306300000/

正田家が払った代金を美智子さんが関与する団体に寄付って、結局は支払いをしていないってことなんでしょうか?
ご成婚にあたっての支度は、宮内庁で支払うことになっていたようですが、宮内庁が払って、正田家に還流していたとか?

小和田家のいかがわしさって、そんなところから嫁を迎えられる美智子さんが同類ってことが強調される気がします。
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Unknown (彩夏)
2023-06-01 22:39:25
スイトピーさまが書かれていた「満つ本」今はないのですね。こちらで拝見しました。
http://kusagusa.cocolog-nifty.com/dairy/2019/06/post-8f0f25.html
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Unknown (かぼちゃアイス)
2023-06-02 06:50:02
連日の特集記事をありがとうございます。もうコレでもか!という位面白いネタが満載で!
たった一日分の記事でもこんなにツッコミどころ満載な方はそうはおられませんね。

特に趣味の悪い金箪笥をオーダーして、御所から送り返されたら母親が逆恨みでワイドショーに生電話しただなんて、またもやドン引きでした。育ちの良いご家庭のする事ではありませんね。下品そのもの。騒動のショックで体調を箪笥屋さんのオーナーが気の毒でなりません。普通ならこれだけでも入内は辞退に相当するものだと思いました。

こんな女性を入内させた上皇后と今上の罪は重いです。
令和が不吉な事だらけも、おそらくこうした事が原因では?
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Unknown (いちご大福)
2023-06-02 12:50:51
紀子さまの嫁入り支度について、手袋ひとつも自分で買わなかったなどと言われていますが、コレは最初から実費だけ頂きますとお返事したからには購入した物を正確に伝えられただけの事。
一方小和田家は、どれだけ使うかは関係なく一括で貰いたいと申し出たそうで。
足が出たら再請求するつもり…否、あれでは足りないと言ったかもw
金ピカ大好きなのは今も変わらないから、タンスも振り袖も色は指定していたと思いますけどね。

どのシーンを見ても感情を隠さない、隠せない?小和田雅子さん。
パレードの時の手袋に穴があいている(ボタンが外れてた)のが気になって仕方なかったことを思い出しました。
初めての公務で居眠りは結構な人が覚えていると思いますw
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