世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

整体元祖リトリート見学と体験

2010-02-06 20:50:39 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済


これぞヨガ、と云う一つの技があるわけではないとの持論です。

精神統一するためには、肉体が統一されていなければなりません。静あれば動もありです。食するにも技があり、食べない技もあります。食べた以上に出す技もあります。などなど、生きるに必要なあらゆることを総合する「概念と実践」がヨガでした。

個々の技はヨガではありませんが、それらの技がなければ、ヨガも成り立ちません。

総合する精神をもって、個々の技を習得、修得し生活に活かし、社会に貢献する、という生き方が「ヨガ」であり「世我」なのです。

ということもあって、本日、某整体法のリトリート見学に参加してきました。この整体法は野口整体の流れのものでした。(野口整体=野口晴哉発明、野口三千三=野口体操とは別物)

日ごろ、「気」と云うコトバを使いながらも、短気なせいか厳かな気の働きを充分に活かせないでいます。このたびのリトリートであらためて、野口整体は調気を基本とした整体であることを再認識させていただきました。全体的にゆったりとした流れで整体の技を施していきます。

野口整体の治療の原則は「本人の良能を発動させること」による治療であることは言うまでもないのですが、その良能を引き出し発動させる技として、あらためて、本日体験できたことは望外の幸運でした。

総合的技、こころのヨガですが、中身のない総合ではいけません。と云うことで、今更との上座心をたしなめての見学でしたが、今後の世我活動のために大いに役たつことになると思います。野口整体の技の作用、効果がことのほか良く体感できたのです。具体的には、左の脚の重さ、だるさが軽減し、楽になったのです。

各種治療にせよ、整体にせよ「本人の良能 生命のはたらき」をいかに効果的に引き出し発動させるかがポイントです。そのための、技はいろいろあると思いますが、施術者と患者との相性、共鳴作用の良し悪しが結構重要な条件であり、その条件を整えるのも技の一部であろうとつくづく思いました。

ヨガに魅かれるのは、なんとなく、ヨガは神秘であり、科学的合理性ももっている、その深く広い雰囲気が、人をおおらかな癒しの世界にいざなってくれるのでしょう。


そもそも、人間がいきていることその普通のことが神秘でもあるのです。「神秘」な気持ちになることが「癒し」であることに気付いて久しいですが、その神秘な気持ちを持続継続させる技を瞑想ともいうのだろうと、最近思うようになりました。最近といっても20年以上経ちますかね。

とにかく技は色々あります。効果的な方法なら商売になります。効率の悪い遊び的技も捨てられない魅力があるものです。

世我では、強引な技、ばかばかしい技もいつくしみます。

バランスのいろいろ

2010-02-05 14:14:13 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
宇宙は時空のバランス存在、とひと言で理解出来れば、余計な計らいは不要でしょうが、
何かと、云いたくなり、嫌でも聞かされるのが人の世の付き合いです。

バランスのいろいろ

1.陰陽 明暗 寒暖 夏冬 春秋 重い軽い
2.質の違い
3.形の違い
4.動きの違い
5.喰う側から、喰われる側へ 公平に交代


豚の話に盛り上がり、
豚を捌いて、食べる幸せシーンを見ていて、しみじみ
いずれは、自分が豚になって喰われる側にまわるのだろうなあと思った。
バランス、公平が宇宙の掟きてとすれば
それが正しい認識でしょう。

金、金の亡者の跋扈するこの世情を見て感じるのは、
その亡者たちの、「ご苦労のバランスシート」のこと。
結構、命がけで金を追いかけています。
バランスとれているのでしょうか・・・

見識の、広く深いのが「大人」

2010-02-05 11:15:35 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
見識が広く、なるか・・・


世と我のむすび

人間であるからこそ悩む。野生の自然生物に悩みはあるのだろうか。
人間は、猿の未熟児であるといわれている。
人間は未完成な生き物なのだろう。
だから、学習して一人前になろうとする。しかし、なかなか成り切れないで悩む。

野生の生物は、野生自然と調和して生きている。
あるがままに生きて成熟する。
高等生物は多少の生活学習をするようだが、
ほとんど「自然」の成り行きに同調して生きることで、生きることが完結している。
遺伝情報、本能に逆らうことなく、与えられた生き方に逆らわずに
淡々と、黙々と、何の疑問も持たずに生きているように思える。

野生生物はことさらに、出来ないことに挑戦しない。
出来ることをする。本能的に仕組まれている能力以外のことは
やらない。出来ない。無理してやれば、身体を痛めかねない。

人間の身体は、そういう生き物の身体と変わりない。
その身体の上に「大脳」を発達させたのが人間。
大脳は、情報処理のコンピュータのようなもの。
仮想現実・バーチャルの妄想の達人である。

非現実を想像する。

出来ることだけを考えるのではない。

大脳は、出来ないことでも考える。肉体の能力の制限を無視して想像を拡大する
底に、人間の不幸の根源がある。

不幸の根源でもあり、無限の幸の享受の根源でもある。

大脳の妄想癖と、現実的で律儀な肉体との分裂が矛盾を作り出す。

人間であればこその矛盾感覚である。

俗な生き方に徹底できる生物は幸せである。
聖なる生き方に徹せられる人も幸せである。

さらに聖俗のバランスのとれる人は最高に幸せである。

しかし、めったに居るものではない。

世と我のむすびは、
聖俗の調和をめざしているのか。


dasoku:
肉体訓練は動物の調教と同じセンスで行うのがいいようです。肉体は、動物的であり、嫌な事は原則やりたがらないものです。無理矢理やらせようとすると、潜在意識に強い拒絶意識を固定させてしまいます。命を脅かすような「痛い刺激、出来ないこと、不得意な事」にたいして、潜在意識は「拒否」し命の安全を保とうとするのです。幸せを求めすぎて、無理な聖俗調和の訓練「世我」を実践することには、最新の注意が必要です。
 大脳の欲する「妄想的幸せ感」と肉体の求める「現実的で地道な喜び」との調和が図れれば、人は、最高の喜びを得ることができます。一般的には、肉体的喜びは俗欲のイメージで捉えられていますが、そうとも言い切れない心境の今日この頃です。大脳の妄想思考はとても聖なる営みとは思えないのです。

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