世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

人面猿の考察 佳境

2012-02-24 11:21:07 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済

人面猿の考察 いよいよ佳境

 

世なおし倶楽部のテーマは

 

人の健康、世の平和についての、

 

真の哲学的考察です。

 

人の営みのすべてが考察のテーマとなっています。

 

それも、真の哲学よる考察です。

 

真の哲学です。

 

一般にはびこっている、机上の学問的哲学は

 

真の哲学ではないという気づきがあって、

 

また、哲学は最も人間臭い営みとの直観もあり、

 

哲学的営みにこだわり、その究極には

 

人の健康、世の平和の実現があるとの、確固たる信念が

 

あるので、考察を執拗につづけているのです。

 

その過程であいまいな学説など整理され、正誤が正されて、

 

矛盾も解決されてきました。

 

20世紀の大発見は「潜在意識」の存在でした。

 

つまり、ばかばかしいかな、見えない世界の認知を

 

学者がやった、ということにすぎません。

 

原始人の時代から、人間は、見えない世界を感じ取って

 

生きていたに違いないのですが、学問的に、客観的に、

 

科学的に認知し、証明できたというところに、

 

大きな意味がありますので、大発見として祭り上げるのも

 

一つのご愛嬌と笑っておきましょう。

 

なにを言いたいのかというと、

 

真の哲学の営みは、学問だけのものではないということです。

 

哲学に真も偽もないのが本来ですから、

 

哲学といったら真の哲学をさすとして話をすすめます。

 

現在の人面猿学者の哲学観は「西洋、ギリシャ哲学」に偏向

 

しています。インド、中国の哲学を排除しています。

 

これだけでも、哲学の足元に唾を吐いているようなものです。

 

哲学の基本精神がくるっています。

 

西洋の分析的偏向の哲学も、東洋の包括的哲学も、

 

その極端一辺倒は、そもそも哲学の精神ではないのです。

 

ヒロソフィアとは、「愛する、知識による論理的いとなみ」という意味でした。

 

なんと素晴らしい意味でしょう。

 

しかし、愛するとか、知識、論理的の真の意味がとらえられていなければ

 

哲学の営みは、空回りします。

 

論理的を合理的に言い換えても、

 

理とは何かが定かでなければ、

 

哲学の深奥に迫ることはむつかしいのです。

 

言葉の究極なる定義をするのも哲学のテーマです。

 

言葉を駆使して、考察するのも哲学です。

 

言葉の意味があいまいなまま、哲学の考察を続けるのは

 

大いなる矛盾でしたが、世なおし倶楽部はその矛盾を

 

克服しています。

 

そのことは何度も当ブログで述べています。

 

端的にいうとそれは、「ヨガ」のお蔭です。

 

哲学とは、ひろそふぃとは、

 

披露聡秘なのです。

 

「宇宙の、人生の秘密を聡かに、ご披露する、総合的営み」が

 

哲学の本質なのです。

 

ですから、哲学は

 

分析的であり、総合的でもあり、直観的でもあり、考察的でもあり

 

脳てきでもあり、皮膚感覚的でもあり、人間的でもあり

 

動物的でもあり、植物的でもあり、ブログ的でもあって

 

オールOKで然るべきなのです。

 

多少のそそうを叱るべきではありません。

 

 

さて、前置きはこのくらいにして、

 

究極の哲学の結論は、

 

1.宇宙は有限時空世界が無限に繰り返されているように感じ、見える現象。

2.地球型人間は猿の未熟児であり、地球環境に適応すると人面猿となる。

3.宇宙を理解する宇宙人的人間に進化するためには、知行合一「ヨガ」が必須。

4.ヨガとはなんなのか?物質的肉体(骨、内臓、皮膚、脳)と、精神作用との

調和です。脳が曲者なので、瞑想・冥想で制御するのです。それが世我です。

 

dasoku:

脳髄は、宇宙、哲学を理解するためのコンピュータ。肉体を制御しているのは自立神経(脊髄神経主体)。それらを調和する、「全体総合力」を訓練するメソッドが世我でありヨガ。

あえていうなら、「オールOK


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