世なおし倶楽部

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ヨガの究極の目的

2009-10-29 18:06:33 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
政治の世界では、政権交代で新陳代謝がありました。新陳代謝とは新旧が入れ替わることですが、ヨガの目的が文字通り「バランス制御」とすれば、政治の世界では新旧が入れ替わり、バランス制御の自然の働きが多少作用したとみていいでしょう。しかし、バランス制御にもいろいろあって、新旧交代だけではありません。中身の質のバランスも大切です。政権交代はありましたが、基本的政治理念でみると、あまりかわっていないのが実態です。

さて、この度は国際総合ヨガ協会の第2回合宿で高野山に行ってきましたが、山の開祖でもあり、大陸から瑜伽=ヨガを持ってきた空海について改めて調べ直すきっかけにもなりました。受験勉強的歴史知識のリセットデス。

ヨガの理念と高野山真言密教とは深いつながりがあるようですが、現実の高野山のたたずまいから受ける印象とは別にしても「一般的生活に機能する教え」という観点からは、現在の我々が標榜する総合ヨガと真言密教ヨガ=瑜伽とはかなりの違和感も感じます。

もっとも、真言密教は「宗教」としての認識であり、我々の実践している総合ヨガは「哲学」の要素の強いものですから、違和感のあるのは当然ではあります。

空海によって瑜伽が伝えられたのは、今から約1200年前ですが、仏教の伝来はそれ以前ということになっています。ここで、仏教と釈迦とヨガの関係をみますと、時系列が逆転しています。日本には瑜伽=ヨガが仏教の後に伝わったことになりますが、発生はヨガのほうが先で古いのです。ちょっと調べてみましたら、密教ヨガの創出は仏教衰退を阻止するための苦肉の策の面があったとか。単なる良き教えに形骸化した仏教を「真の人間性啓発」という基本にもどす目的で、各種の「行」と「ことだま マントラ 経の読誦等」の
実践を説いたのが空海の輸入した瑜伽とすれば、それはそれで理解できないことではありません。

政治の話にもどりますが、新政権の総理の所信表明が「抽象的で落第」のような批判が出ていましたが、お門違いという感じです。そもそも、リーダーが語るべきは「抽象的=絞られたエキス」の「夢」であるべきですから、抽象的所信で合格なのです。具体的なものはそのブレーンの実行部隊の仕事です。
空海も当時の政治と深く関わっていたとみるのが自然ですが、どのように関わっていたのかを深く調べる必要を感じます。高野山は真言密教の本山の様でもありますが「空海の墓」でもあります。真言密教の世俗的宗教活動の本拠地は「京都市内の東寺」であることを改めて今回調べて知りました。詳細はまだよく分かりません。

いいずれにしても、ヨガは、俗に言う政治でも宗教でもありません。むしろ真の政治でもあり、宗教でもあり、哲学でもあり、教育でもある「総合的人間、宇宙学」といえるのかも知れません。
ヨガに限らず、どの分野も、部外者、野次馬的視点からのイメージでは「らしさ、ぽさ」の範疇であり本当の姿は理解出来にくいものです。と云って中に飛び込んで見ても本質の理解はそう簡単ではありません。
むすびヨガの場合のヨガ理解は、言葉の理解から順番に理解しますから、もっとも合理的です。真言密教のレベルはもっと深いのでしょうが、とりあえず、むすびヨガ的理解をしてみて下さい。つづく

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