このたびの選挙で、原発の廃止の流れはみえてこなかった。
国民の総意は、原発を認めているのであった。
少なくとも選挙に行って、投票した人達の考え方の多くは
原発肯定であると判断できる。
つまり、世の中のことに積極的に関わろうとする人達は、
原発の危険を冒しても、生きることに積極的である、といえる。
金儲けに積極的なだけではないと思いたいのだが、
原発を推進する、ウラは、真の人生積極心ではなく、
単純に、金の亡者が私利私欲におどっている、だけのよう思える。
踊っている、といえば、「舞踏」の、舞の字の読みが「ぶ」で
ぶが、訛って「ム」になり、
ない意味の「无」にすり替わって、ム→舞→無となって、
今では、無が「何もない」ことの字に修まっている。
无と亡とは、異字体で同じものである。
金の亡者とは、私利私欲のための金のみに
積極的に命を燃やす者のことであって、
真の、人生、命を積極的に生きているものとは
とうてい思えない。
真の積極心とは、消極心をも含むものもである。
山の天候が怪しくなったら、頂上を目指す積極心を押さえるのが、
山登りの掟である。
否定は、必ずしも消極心に非ず。
今、原発増設の暴走を止めないと、
間違いなく、消極の極の「破滅」を迎える事だろう。
それも、よしとしようか!がははは!
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