世なおし倶楽部

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ヨガと禅とむすびと瞑想

2009-09-14 02:10:17 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
本日手稲区民センターで総合ヨガ指導員養成研修がありました。ヨガに興味を持って35年画過ぎましたが、ヨガの意味が「むすび」出あることを師から教わり、そのことがきっかけでヨガの単純さに惹かれてここまで飽きずに、懲りずに来ました。
 米のごはんが飽きないのは味が淡泊だからであり、人体にもっとも相応しい食物であるからでしょう。生理的人体、身体の栄養効果が優れているばかりでなく、環境、生態学的、社会文化的にみても、米は食物中人間の主たる食物として、一番に違いないと思うます。

基本の原理は単純なものです。今日のヨガ研修の主テーマは「禅 ジャンナ」」でした。世間では、それはそれは難しく伝えられている「禅」ではあります。
 私の持論は「権威の普通化」です。難しく、いかめしく云われ伝えられていることを、できるだけ、簡単な言い回しで表現することに、すごい興味とやる気が起きます。それで、今回の「禅」のテーマはわくわわくするテーマでした。

 権威あるものの足をひっぱて、その尊厳をおとしめるのが目的ではありません。そんな了見の狭い気持ちから、そうしているのではありません。もともと、単純なことの理解は、分かりにくい面を持っているものです。理解というか、単純簡単なものは重要性の認識が忘れられやすいと云う方が的確かも知れません。
 そんなこんながあって、自分としては、性癖と思いますが、無性に、難しい抽象概念を具体的な言葉に置き換えたい気持ちが、子供のころよりずっと続いてあります。

一般に、ヨガのイメージには「神秘」があると思います。それは、あまりにも単純で、応用、変化が広いからであろうと思います。実際にはヨガは「科学的、実証的」な面も大きくあります。その両面があるからこそヨガが歴史的に伝えられ、、そして、今日ますますその有用性が認められてきているのだと思います。

さて、今日の研修のテーマであった「禅」についてですが、日本では中国の漢字文化との関わりで、「禅」の字を使っています。日本では、本来の禅の語源の意味は忘れられて、「座禅」の代名詞の用に狭義になってしまっています。はなはだ遺憾なことではあります。ちょっと気をまわして漢字辞典など調べれば、その奥義にすぐに触れる事ができます。

「禅」の中国的意味は、「天、山川を祀る」「天子の位を譲る」「自然との調和」というほどのものでした。
インドの「ディヤーナ ジャンナ」の意味は「完全なる安定」「総合統一」というほどの意味です。
人としての感性があれば、禅とディヤーナは「同じこと」であると直感できるでしょう。
もう一歩すすめれば、日本語の「むすび」の語意と結ばれます。結ばれると言うことは、「ヨガ」という言葉ともつながると言うことでもあります。

難しい「禅」と言う概念は、「むすび」という、単純な概念の言葉に置き換える事が出来たのです。単純であればこそ、それは、いろいろな言葉、概念に発展、派生していきます。

ヨガという言葉は「ユイ」と言う言葉のインド地方の訛りでした。ユイは結いです。MUSUBIの母音はUIです。何となく耳障りの違うゆいとむすびですが、母音でみると同じ響きとして認識出来ます。

ヨガ ユイ 結い むすび ユニバース ユニーク uni We 禅 全 然・・・・これらに共通のイメージは「永遠の循環」と想うのは私の勝手です。

ご訪問の皆様方にはどのように想えることでしょう。

dasoku:
瞑想は個人的心身の健康の為の行であり訓練、冥想は世界の平和の為の天地人の調和の為の命がけの生活すべて。


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