披露聡秘哲学の冷徹な目で見ると、真っ正直な庶民は少ないと思われます。
人間同士で嘘をつかない、つきあわないという基準だけでは、哲学的判断はできない。もっと、広く自然世界に対して、人間は嘘をついていないかを考えると、結構、ほとんどの人間は、無意識に真実とは違う認識で生活して居ることに気づきます。
自然世界をの真実を誤解、錯覚しているのも「嘘生活」とみなす披露聡秘哲学では、ほとんどの人間は嘘つきになります。だから、正直者がばかをみているのではないと判断するのです。
いかに自分で正直者と思っていても、知らず知らずの内に悪げのない「純粋なうそ」をついているものです。そのことを理解して謙虚になれる人間なら、「真の正直もの」と呼べるでしょう。人間同士では特にうその付き合いが多いでしょうが、自然世界に対してもうそっぽいことして居るのが人間である、との自覚がなければ、人間の進歩はないでしょう。
人間が、人間らしく生きる生き方が「正直な生き方」と定義しましょう。
で、人間が人間らしく生きるとは、実際どんな生き方なのでしょうか、そこが問題の本質でした。
続きは、世なおし倶楽部ブログに載る予定ですので、見落としのなきように。