世界が永遠に存在する仕組みと理由
これが、哲学のテーマである。
40年前に、「世界は、永遠に存在し続ける」という直感を得た。
とりあえず、安心したのを覚えている。
生死を越える理の世界が存在していると思えた。
宗教的な直感と、哲学的直感の違いはない。
科学はこの直感を具体的に証明する。
証明できなくても、世界は存在する。
人間が考えるから、世界が存在するという哲学的認識があるが、
そう思えばそれでよし、しかし人間の定義があいまいなら、
その哲学的認識はナンセンスだ
宗教的に、絶対存在として世界の存在を、漠然と感じるのも
良いではないか。そのほうが、真に哲学的である!
人間とはなにか、の答えと
世界とはなにかの答えは、裏表である。
ヨガは、人間と世界の同時解明である。
だから、世と我であり、世と我のむすびを実践体得するのが
ヨガである。
無限繰り返しの有限現実世界の、むすびのからくりを
今日も考える。
心と身体の両方をあわせて同時に命を感じるのは当然のことである。
両方で感じる練習がヨガである。つまり生活であるが、
そのことに気付かずに、ヨガを実践しているひとが増えている。
人間は、ただ淡々と疑問なく生きている動物ではない。
これが、哲学のテーマである。
40年前に、「世界は、永遠に存在し続ける」という直感を得た。
とりあえず、安心したのを覚えている。
生死を越える理の世界が存在していると思えた。
宗教的な直感と、哲学的直感の違いはない。
科学はこの直感を具体的に証明する。
証明できなくても、世界は存在する。
人間が考えるから、世界が存在するという哲学的認識があるが、
そう思えばそれでよし、しかし人間の定義があいまいなら、
その哲学的認識はナンセンスだ
宗教的に、絶対存在として世界の存在を、漠然と感じるのも
良いではないか。そのほうが、真に哲学的である!
人間とはなにか、の答えと
世界とはなにかの答えは、裏表である。
ヨガは、人間と世界の同時解明である。
だから、世と我であり、世と我のむすびを実践体得するのが
ヨガである。
無限繰り返しの有限現実世界の、むすびのからくりを
今日も考える。
心と身体の両方をあわせて同時に命を感じるのは当然のことである。
両方で感じる練習がヨガである。つまり生活であるが、
そのことに気付かずに、ヨガを実践しているひとが増えている。
人間は、ただ淡々と疑問なく生きている動物ではない。