プラティヤハラは、意識と身体、理性と感性のむすびを体得する段階ですが、これを制御、コントロールつまり、自分の都合の良いように操るためのこつが「呼吸」でしょう。
呼吸は意識と身体がセットになって機能する「生きている現象」の基本です。ここでいう呼吸とは、空気の出し入れと、身体全体、あるいは細胞の膨張収縮と、気分的な緊張弛緩の全部を云います。
俗に言う呼吸と、真の呼吸の違いを理解しないと、ヨガの面白さに気づかない。
瞬間瞬間を「生きている」と自覚出来ている理由・事由は、「死ぬこと」の想像の反作用でもなく、いわゆる空気呼吸の刺激でもなく、それらに共通のもっとも基本的な「膨張収縮、循環」感覚であろう。
真理の体得は難しいことのようですが、それは、簡単なことを甘く見るからでしょう。簡単、単純なことの中に真理を見出すのは簡単ではありません。難しいのです。
生きている自覚即ち「命の自覚」は「有無 つまり空」の瞬間自覚です。
瞬間にせよ、無限にせよ宇宙は「循環して閉じている」と考えるのが妥当です。
命の自覚、自分自身の自覚は
大なる自分と、小なる自分とが存在するからともいえる。
「1」、単一のものがそれ自体を客観視できるのは
単一でなく「複数であるからです。
「1」が1であるためには「そもそも複数の要素が必要」なのでした!
「1」より先に存在するのが「0」です
「0」は「空 くう 空っぽ」の概念です
「空っぽ」とは「有るものが、無い」という概念です
有無、否定肯定の以前に
存在があります
存在は、時的存りと、空的在りです
生きているという自覚は
時空的、宇宙的存在感を
生物的感覚で人間が言葉で表現したものに過ぎないのでしょう
呼吸は意識と身体がセットになって機能する「生きている現象」の基本です。ここでいう呼吸とは、空気の出し入れと、身体全体、あるいは細胞の膨張収縮と、気分的な緊張弛緩の全部を云います。
俗に言う呼吸と、真の呼吸の違いを理解しないと、ヨガの面白さに気づかない。
瞬間瞬間を「生きている」と自覚出来ている理由・事由は、「死ぬこと」の想像の反作用でもなく、いわゆる空気呼吸の刺激でもなく、それらに共通のもっとも基本的な「膨張収縮、循環」感覚であろう。
真理の体得は難しいことのようですが、それは、簡単なことを甘く見るからでしょう。簡単、単純なことの中に真理を見出すのは簡単ではありません。難しいのです。
生きている自覚即ち「命の自覚」は「有無 つまり空」の瞬間自覚です。
瞬間にせよ、無限にせよ宇宙は「循環して閉じている」と考えるのが妥当です。
命の自覚、自分自身の自覚は
大なる自分と、小なる自分とが存在するからともいえる。
「1」、単一のものがそれ自体を客観視できるのは
単一でなく「複数であるからです。
「1」が1であるためには「そもそも複数の要素が必要」なのでした!
「1」より先に存在するのが「0」です
「0」は「空 くう 空っぽ」の概念です
「空っぽ」とは「有るものが、無い」という概念です
有無、否定肯定の以前に
存在があります
存在は、時的存りと、空的在りです
生きているという自覚は
時空的、宇宙的存在感を
生物的感覚で人間が言葉で表現したものに過ぎないのでしょう