宮崎知事、徴兵制発言で釈明 今度は「徴農制」必要(共同通信) - goo ニュース
いよいよ夜長の秋です。目先の太陽ギラギラもキライじゃないですが、陽が落ちたあとの夕げに火を囲んで、しみじみ、世の原点に心をよせて薀蓄を傾けるのも、ひとの大切な営みです。考える、哲学るは、人の「ヒト」たる所以でしょう。ですから、皆でとことん哲学を語って、生きる軸をいま一度しっかりと据えなおしませんか。
中途半端な哲学や理屈は、怪我の素。やるなら徹底しないと意味がありません。
しっかり、地獄の底まで行き、底に穴を開けて突き破って、向こう側に転げ落ち、気がついたら、藁の上に仰向けになっていた。目を開けたら、ニコニコ笑っている複数の顔が何か云いながら、こちらを見ていた。顔の後ろには白い雲と青空が見えていた。これくらいの体験をして、生きること、存在していることの必然とありがたさ、自然の寛容」を直感してものを語らないと、結論の出ない「他説の受け売りや愚痴と妄想」を語るそこら辺の張りぼて評論家の域を出られません。
地獄の底をつき破って、向こう側に出ても、自分の立ち位置を認識できないと、これまた救いようがないですが。
とにかく、「世界は永遠無限不滅」である絶対の直感・認識がないと、話は前進しません。しかし、ここが落とし穴なのです。哲学の落とし穴がここにあります。
つまり「無限永遠不滅」の定義を正しく認識理解していないで、哲学しても哲学にならない。少なくとも50%は理解しないと、結論が出ないで、堂々巡りを繰り返すと云うことです。おっ!堂々巡りだって!そうです、良くわからなくても、さりげなく無限、永遠、命、生命、宇宙を哲学っていると、天の声で「無限」とは「限り無い空間の概念ではなく、限り無く繰り返しているように、不思議に感じる概念だよ」と云っているような気がしてきます。
理屈は中途半端だと怪我します。屁理屈などと云われたりします。理屈が徹底すると物質化するようです。
理屈とは情報でしょう。情報の究極概念は「回転または、循環、波動」と云うことになりましょうか。そもそも理、理屈、真理とは「宇宙の存在とその仕組み」のことでしょうから、無限循環がすべての「原点」と云うことになります。
原点を明確に見据えて、物事の判断、分別にかからないから、無駄に悩み、八つ当たりで争い、金儲け、戦争に現を抜かすようになるのでしょう。
徴兵、徴農の発想は「存在の永遠性」の寛容、豊かさの直感が乏しい者のヒステリー症のように感じます。
生きている原動力は「脅迫」なのでしょうか。
生きているエネルギーは本来脅迫ではない。
「無限循環の弾み」で生きているのです!これを、脅迫観念でとらえるか、自由意志と捉えるかは、自由だ。
ところで、自分の生きる理由のはっきりしていないヒトが、かなりの数居るらしい。そういうヒト達が、暴力や欲望に脅迫されて、生きていて、環境を乱しているのも残念ですが現実でしょう。
中途半端な人間こそが危険だ。自衛のために短絡的に即「軍備」「徴兵」では人間の面白さの放棄でしかない。じっくり考察していると、脅迫する側の魂胆、ハラの内が解ってしまう恐れがあるのでしょう。考える余裕を与えないで、ドサクサにバタバタと命の始末をさせないと、金儲けが成立しないのです。
国を守る、個人の命を守る、会社の利益財産を守る、それぞれの方法があるでしょう。軍隊、軍備、兵隊、兵士、ガードマン、警察などいろいろの考え方があります。何を実践するかは、人間の賢さの程度に拠ります。
人体には自分の命を守る生理的な免疫システムがあります。軍隊を作りたいと画策する者の論拠に、免疫システムのことが引き合いに出されることがありますが、「バカじゃねえの」とその哲学の浅さにあきれてしまいます。
免疫システムは決して軍隊的ではないようです。限り無く「警察システム」に近いものです。
人体に限りません。生物の生命自衛システムは、決して「軍隊的」が基本ではない。と思いたい!
免疫システムを軍備正当化の根拠にするなら、それもよし。真剣に免疫システムを検討するなら、結論は「軍隊は幼稚なシステムだ」と云う結論に至るはずです。
軍備好きの戦略家には大いに、免疫を検討して欲しいものです。
免疫の根本は「食う、食われる」ことであることが、最近の研究で解ってきました。食うことは「自分自身」の至ってプライベートな行為です。他人任せの、徴兵でもないし、軍隊の殺戮行為でもありません。
命の始末はあくまでも「自分個人の責任」が原則であることの認識を改めない限り、軍隊、自衛などの問題の解決は無いでしょう。健康問題も同じです。
軍備、教育いじめ、医療費、環境問題を一括審議で解決する鍵は
皆兵、皆農、皆政治家、皆教師、皆警察、皆坊主の覚悟で、全部の責任をそれぞれ各自が果たす気概を持つことが根本解決の道でしょう。
その第一歩は「自主農」でしょう。「徴農」ではないでしょう。農の大切に気づいたのは立派ですが、脅迫して就農すべきではないでしょう。現在の一般的農業は
3Kです。汚い、危険、臭い。生命自然哲学に基づいた有機農法なら、安全、安心、きれい、芳しい農業が出来ます。あらゆる人間の営みの「原点」を学習・教育でき、環境保全にもなります。
自然の摂理に基準した有機農法の素晴らしさに気づいた人たちが、自主的に営む農でこそ、豊かな未来が展望できます。
徴農され、いやいややる農作業からは、ろくな作物は出来ない。
有機農法実行農園の拡大普及が、今の人類が抱えている諸問題を、もっとも経済的に合理的に解決する唯一の近道と思います。