キキ便り

アメリカ便り、教員・研究者生活、シンプルライフ、自閉症児子育てなど

レイチェル・カーソンの功績に関する論議

2009-05-06 00:36:45 | アメリカ小学校事情
娘が自分のプロジェクトの偉人にレイチェル・カーソンを選んだと知り、オットはむつかしい顔。理由を紐解いてみると、その功績がゆえに、数多くの人たちがマラリヤで亡くなったらしい。

カーソンについてまったく知らなかった私は、ウィキペディアの説明を読み、なるほどと納得。


(以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3より抜粋)


幼少時は作家を志していたが、学生生活を経てアメリカ連邦漁業局に勤務。1941年『潮風の下で』、1951年『海辺』、1962年『沈黙の春』等の作品を発表。当時まだ顕在化していなかった、州当局によるDDTなどの合成化学物質の散布の蓄積が環境悪化を招くこと等の啓蒙活動に取り組んだ。

特に『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書としてこれを読んだケネディ大統領が強く関心を示し、大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動が世界的に広がった。

ただし後の研究では、「DDTの危険性」には疑問の余地もあり、その禁止によりマラリア患者激増という事態を引き起こしたとされる。

『沈黙の春』の執筆中に癌宣告を受け、病と戦いながらの執筆活動であったが、1964年4月14日に癌により死去。


DDT禁止に関する議論 [編集]
カーソンは特にアメリカの保守層から批判を受けているが、特に標的となったのがDDT禁止問題である。この問題については1980年代にレーガン、ブッシュ(父)と続いた共和党政権時代から政治学者チャールズ・ルービン(Charles Rubin)らによって継続的にカーソンへの批判がなされてきたが、2000年代に入ると「カーソンがDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだ」という論法で、カーソン個人がそれらの死について責任を負うべきであるという批判がなされるようになった。加えて2006年にWHOがマラリア予防の方法として、年に1度、住居の壁面にDDTを塗布する使用法を推奨したこともあり、カーソンのDDT批判は完全に的はずれだったという主張もなされている。

一方、こうした批判に対しカーソンの伝記を執筆したライト(Mark Hamilton Lytle)は、たしかにDDT禁止に関する世界的な論議の中でカーソンが果たした役割は大きかったにせよ、様々な公衆衛生上の問題が複雑に絡み合っていたアフリカの状況を考えると、DDT禁止によるマラリアの蔓延が数百万人を殺したという表現には大幅な誇張がある上に[1]、カーソン自身、DDTの完全禁止を主張したことは一度も無いと指摘している[2]。

なお、DDTの使用は残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約において、マラリア対策用としてのみ使用可能とされたが、これに関し Malaria Foundation International(MFI)のアミール・アタラン(Amir Attaran)(オタワ大教授、法学)は、かつてDDTの農薬としての使用が禁止されたことは、マラリア対策という面では明らかに効果的であった(耐性を持つ蚊の増加を抑えることが出来た為)と評価している[3]。

また、DDTはその後の研究で発ガン性こそ疑問視されるようになったものの、環境汚染物質であることは疑い無いもので、その農薬としての大量散布が北米における猛禽類の大幅な減少(卵の殻が薄くなるなどの理由による)を招いた。また農薬として使われれば甲殻類や多くの魚種を殺してしまうことも知られている。

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Wax Museum:その4

2009-05-05 00:56:42 | アメリカ小学校事情
娘が書いたRachel Carsonの紹介。Wax Museumではこの台詞をすべて暗記したので、かなり大変~。でもこういうスピーチの機会が与えられていることで、人前で話すことにも慣れそう。

(Click) I am Rachel Carson. Sorry about the camera. I thought you wre something else. My eyes just aren't what they used to be.

I was born May 27 1907 into a family with three children. I was the third.

As a child, I spent most of the time outdoors hoping to see the ocean. I was a bright student and a talented writer. I entered my writing in a magazine and got a silver badge which was one of the best scores. In high school I had a major in writing and a minor in biology. I loved biology. I thought about changing my major to biology. Many said that I shouldn't. But... I did anyway.

After I graduated, I went to visit a biology teacher Mary Skinker who I by then had become great friend with. After that I went to the place I always wanted to go to. The ocean. At the ocean I felt at home. I visited the ocean many many times. The times I was not at the ocean I was somewhere else researching or at home writing.

During my research time I found out about DDF a pesticide. I found out that DDT was harmful to the wild life. I worked hard to get rid of it. I wrote a book called Silent Spring about it. My work paid off and DDT was banned.

One day at my house I passed away. May my love for the earth roam forever.
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Wax Museum:その3

2009-05-04 14:42:10 | アメリカ小学校事情
娘が選んだのは、Rachel Carsonという海洋生物学者。

http://en.wikipedia.org/wiki/Rachel_Carson
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Wax Museum:その2

2009-05-04 14:38:59 | アメリカ小学校事情
これは娘の友達のHちゃんが演じるガリレオ。
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子どもたち手作りのWax Museum (蝋人形のミュージアム)

2009-05-04 14:13:15 | アメリカ小学校事情
娘の小学校では、世界の歴史に貢献した英雄になりすまし、蝋人形に変装するというワックスミュージアムが催される。

それぞれの子どもたちが、演じてみたい世界の偉人を選び、調査レポートを書き、その成果を発表するというもの。

アインシュタイン、フロイド、宇宙飛行士のアームストロング、レオナルドダビンチ、ニュートンなどが勢ぞろいで小学校の廊下に不動のまま、入場者を待つ。

それぞれの手の甲に貼ってあるボタン代わりのシールを押すと、その人の生涯を説明するスピーチが流れるという具合。偉人の誕生から死まで暗記した子どもたちが、3-5分間のスピーチを聞かせてくれる。



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「I.O.U.S.A.」:借金国アメリカの現状

2009-05-03 08:49:39 | 映画・本・テレビなどを語る
昨日の午後は、大学総長による説明会と私が所属するカレッジの学部長による説明会を自宅でビデオ映像で視聴。

ドラマな一日を過ごしたオットは、解雇に関する衝撃から抜け切れず辛い夜を過ごす。。。

しかも昨日の夜は、家族皆で昨年製作されたドキュメンタリー「I.O.U.S.A.」(米国借金証書)を見てしまったから、さらにオットの気分が下降~

http://www.iousathemovie.com/

これは、アメリカの歴代の大統領が(一人を除いて)いかに借金国にしてきたかをデーターを元に説明。現在はその最頂点に立ち、これからの子どもたちや孫たちがその借金を背負っていかなければならない、という問題提起。

節約が徹底している中国などとは異なり、アメリカは国も国民レベルでも、貯金が非常に少なく、しかもますます減少中。私たちは経済問題ではまったく素人だが、このような危機感はアメリカ国民全体としてしっかり認識する必要があると思う。

ドキュメンタリー視聴後、オットの一言「日本に貯金あったよね~??」ちょっと考えすぎなのかもしれないが、アメリカ経済がますます悪化した時、万が一に備えて何かしておかなければという認識は必要なのかもしれない。
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大学の財政削減のドラマ

2009-05-02 04:51:37 | アメリカの大学で教える
大幅な赤字を抱える私たちの州では、高等教育で20-29%の財政削減というニュースが飛び交い、不安なうちに数ヶ月を過ごす。

今日ようやく大学の削減予算の分配が発表され、午後には、大学総長による通達と質疑応答が行われる予定。

管理職であるうちのダンナも、昨日上司より自分の部局の削減予算%と数値を伝えられ、スタッフを一人解雇しなければならないと聞き、覚悟していたとは言え、大ショック。しかも今日、その人に解雇の可能性を言い渡さなければならないという滅茶苦茶なタイムリミット。

私たちの大学では、370人の人員削減で、そのうち165は、定年などを理由に退職する人たちの代わりを雇わないということで成り立つらしいが、残りの205人は、強制的にやめさせられる教員や職員。

子育て真っ最中の人、シングルペアレント、病気の家族を抱える人、莫大なローンの返済を抱えている人、様々な事情の人たちが職を失うと考えると、胸が痛んでやまない。

大学だけでなく、学部生の授業料もこれから2年間、毎年14%ずつ値上がりするらしい。経済不況の中、アルバイトを掛け持ちしても払いきれず、学校を辞める学生、休学する学生もいるに違いない。

幸い私の所属する学部は、学生数が多いため人員削減は免れるそうだが、今回の予算削減の影響で職を失う周りの人たちのことを案じながら、無事に次の道が開かれるように祈ってやまない。
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ホームパーティに参加

2009-05-01 03:03:13 | シンプルライフに惹かれて
昨日の夜は、オットの新しい上司の歓迎パーティで、International Programsに属する6つの部局のそれぞれのディレクターとその伴侶が顔を合わせる。

オットの新しい上司は、Economic Development とGlobal Engagementの責任者で、Vice Presidentという肩書きで大変忙しい人。ところが彼は、私たちが今の大学へ移ったのと同時期に同じ大学から大学総長の目にかなって引き抜かれてきた人で、もともと知り合いだったのが不思議な縁。

私が7年前にリサーチアシスタントとして働いた時のスーパーバイザーが、彼の奥さんで、非常に親切にしていただいたので、そういうご夫婦とまたアメリカの違う地で会え、今度はオットの上司という縁で付き合えるのが嬉しい。

パーティーに家を提供してくださったのは、International Research and Development部局のディレクターとその奥様で、手作りのパエリヤ料理。簡単なグリーンサラダとバケット、そして3種類のパエリヤ料理と手作りのパイを用意してくださって、とても心温まるもてなし。

仕事がら海外に頻繁に旅行しているだけあって、家の中のデコレーションもミュージアムのようで、海外からのお土産や世界各地の楽器が形よく壁にディスプレーされていて、参考になりそう~

レストランを貸切にするんじゃなくて、こういう心温まる歓迎会っていいなぁ~









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