あけましておめでとうございます。
新年のご挨拶が遅れてしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
私と夫は、新年にアメリカに住む息子とベトナムで合流し、一緒に冬季休暇を楽しんでいました。しかし、到着した日の夕方、娘からのLine連絡で、石川県で大きな地震があったことを知りました。
私は慌てて、金沢市に住む母にLineで電話しました。母は、「こんなに怖い思いをしたことはなかった。机の下にすぐ隠れた。モノが落下しただけで済んだけど、大切にしていたワイングラスが割れてしまった」と言うことでした。
その後、ベトナムを去る1月8日の朝まで、私は毎日、毎晩、ローカル、国内、国外ニュースをチェックし、母に電話をしました。また私のアパートは、義理の息子がチェックし、写真をLineで送ってくれました。幸い、モノの落下だけで、大きな被害はなかったです。
私が所属する大学では、地震の数時間後には、学部ごとに教員と学生の安否確認のためにメールのやりとりが行われ、学生たちにはGoogle Formで無事かどうかアンケートに答えてもらうことにしました。同時に、各アドバイザーの先生たちが学生にメールを送りました。連絡が取れない学生については、何度も安否確認を行いました。
私が受け持つ9名の学生のうち、1人が階段から落ちて軽い怪我をしましたが、他の学生は皆無事でした。学部の学生の中には、避難所で過ごした学生も数名おり、食べ物が不足しているとの報告があり、心配しました。
大学は新学期の最初の週をオンライン授業とし、2週目から対面授業を再開しました。また、卒業研究などの締め切りもこのような状況を考慮して延期しました。
能登地区から金沢に戻ってきた学生もいますが、親御さんが避難所に滞在している状況や、水を届けに行っている学生もいます。
大学の同僚や近所の人々にも、能登地区の被災者がいるため、さまざまな困難な体験談を聞き、心を痛めています。
「避難所のトイレは、プールの水を汲んで使っていたけど大変だった」
「手洗い用の水がなかった」
「実家が全壊した」
「能登から金沢に来るのに、2日かかった」
まだ大学としてはボランティア活動に参加する体制を整えていませんが、そのような話題は議論されており、まずは能登に出入りする人々への物資や金銭的な支援を提供し始めました。
被害を受けた方々に、心からお見舞い申し上げます。