子どもの学校も、明日の11時で終わり。そして長い夏休みに入る。
ここ数週間、来学期担当するクラスを以前教えたことのあるインストラクターたちとアポをとり、資料などを見せてもらったり、アドバイスを受けてきた。
昨日ミーティングをしたのは、今度担当する「家族の多様性」を長らく担当してきた教授。彼女が授業で使ってきたビデオやDVDを10本程お借りし、視聴しているところ。。授業でビデオやDVDを見せたり、ゲストスピーカーに話してもらうのは、私の英語力や知識を補ってくれる強い味方。
見たビデオの中で印象に残ったのは、「A Class Divided」というタイトルの少し古いドキュメンタリー。Yale Universityが1986年に作成したもの。マスコミに頻繁に紹介された話題作らしい。
Martin Luther King が暗殺された時代に小学校の先生だったJaneがクラスの子どもたちを対象に、差別について体験、考えてもらおうと思い実践したプログラムが、小学校だけでなく、現職教育、社会人教育など幅広く取り入れられているらしい。
教育実践として紹介されているのは、白人ばかりの小さな田舎町の小学校のクラス。目の色が青色か茶色かということで、クラスの子どもたちを分割し、それに応じて特権と差別を与える(休み時間を10分余分に与える。校庭の遊具で遊んではいけない。ほめる、叱るを目の色によって使い分ける、など)。それによってクラスの子どもたちの間に次第に敵愾心、怒り、悲しみなどが生まれる。1週間後に、自分たちの体験をもとに、肌の色が違うことで人種差別することがどういう意味を持つのか、話し合う。
印象的なのは、その子どもたちが青年になって、もう一度小学校に集まり、その時の体験がその後の将来にどう影響を与えたのか、担任の先生とともに回想、省察するところ。
面白いのは、差別されている時の子どもたちのテストスコアは、特権が与えられている時のスコアよりもかなり低いことが分かったらしい。誰でも自分が認められ、受け入れられている時には、最大限の力を発揮することができる、ということなのだろう。
私自身、アメリカで生活しながら、差別されている面と差別する面の両方を意識化することがある。被害妄想に陥ることなく、現状を受け止めながら、自分に何ができるのか、考える機会になればと思っている。