ひよりみっ!

ディープインパクトが三冠馬になった年からやってる日記

論点がいろいろあって、みんな違う文脈で主張し合ってるんだよな

2019-10-29 17:34:46 | 雑記
献血宇崎ちゃんポスターについてですけど、じょじょに頭の中がまとまってきたので、ここで整理。
論点はいくつかあります。

・そもそも、あのポスターに描かれている宇崎ちゃんは性的なのか
・あのポスターに描かれている宇崎ちゃんは比較的多くの人に不快感を催すものなのか
・その不快感が「性的なものが、自分も利用する公共の場にさらされたから」ということが原因であるとして、それに「セクシュアルハラスメント」という名前をつけてよいのか
・結局のところ、あのポスターは献血推進という目的にふさわしいのか

まずひとつめ。
あのポスターの宇崎ちゃんがエロいかエロくないかでいうと、私の主観では「エロくないことはない」です。
とりあえず、いくつかのレベルを提示しましょう。

レベル-1:むしろ女性のイヤなところを強調した表現がなされている
レベル0:外見的にはむしろ魅力がないということを強調している
レベル1:医学上女性であるという事実以上の表現はなされていない
レベル2:女性であることは表現されているが、描写的には内面性のほうに重きが置かれている
レベル3:「猫がかわいい」というニュアンスでのかわいらしさが表現されている
レベル4:「恋をしてしまいそうだ」というニュアンスでのかわいらしさが表現されている
レベル5:「セックスしたい」というニュアンスでの女性らしさが表現されている
レベルカンスト:女神をほうふつとさせるような完璧な女性らしさが表現されている

レベル1は、マンガとかでいうとモブです。
ぶっちゃけ、主要登場人物は悪役でないかぎり、読者に不快感を与えるような外見には描かれません。

レベル0は、ブサイクに描かれているキャラです。ギャグマンガとかにはよく出てきます。
恋愛脳で、自分の魅力を過大評価してるみたいなキャラもよく見かける気がします。

「この人、今私の裸想像してる!」
「してへんわ!」

とかいうやりとりを、吉本新喜劇で山田花子がよくやってた。

レベル-1は、やっかいさんですね。
だいたいツリ目で怒ったような表情をしています。口の形が歪んでるというのもよくあります。
美人に描かれて「人間、外見だけで判断してはいけない」と思わせるケースと、醜く描かれて「内面が外見に表れている」と思わせるケースがあります。

レベル2は、少女マンガの主人公や、その親友キャラのレベル。
北島マヤとか紅緒さんとか、そのへん。
もちろん普通にかわいいですが、まわりに明らかにより美人に描かれているキャラがいます。
あと、内面的に成熟しているいわゆる大人の女性もここに含まれます。マンガでいうなら、30代後半くらいの人気のある先生ポジション。
「空の青さを知る人よ」の相生あかねが例として挙げられるかと思います。
全体的に、性的な妄想をする余地が少ないのが特徴と言えましょう。
別に、妄想しなくても、現実にそういう「普通にステキな」女性はいるわけだし。

レベル3は、マスコットキャラ的かわいさ。おもに幼女がこのカテゴリーにきます。ケモナーもここですかね。
性的にはやや未成熟に描かれます。このとき、精神的にも肉体的にも未成熟にかかれる場合と、肉体的には成熟したようにかかれる場合があります。
のんのんびよりにおける、コマちゃんとほたるんの違いです。
で、ここに性的妄想を喚起するような要素をぶちこむと、往々にして「ロリコンキメエ」という感情を抱かせることになります。

レベル4は、恋愛シミュレーションゲームのヒロイン的かわいさね。
高校生のときにいたクラスメートを、より理想に近づけて属性とかを盛っていった感じ。
作中ではセックス要素は明示されません。が、妄想はしやすいように作られています。
というわけで、見る人が見ると「男にとって都合がいいだけのお人形ちゃん」みたいな感想になります。
なお、作品によってはエロハプニングまではあります。「ゆらぎ荘の幽奈さん」とか、「なんでここに先生が!?」とか。
私の見解では、宇崎ちゃんはこのカテゴリーにいます。

レベル5は、抜きゲーのエロキャラね。
はっきりとセックスの対象なので、そこを特化して盛られています。そこには「幼くする」方向性も含まれます。
内面は、読み手にとってはっきりと都合のいいものとなっております。

レベルカンストは、女性の姿をとった人間の完成形とでもいうべきもの。
ここまでいくと、おそれおおくてセックスとかとんでもないw


で、ここまで書いてなんですが、レベル3から5までの間の差は、ヴィジュアルのみでは理解できません。
ヴィジュアルには、しばしば「見た人に妄想を喚起させる要素」が含まれていますので、物語世界を知らない人にとっては、その妄想要素がそのキャラの中心要素になります。
わかる人にわかるように言うなら、

「艦これをエロ同人でしか知らない人と、ちゃんとゲームやってる人とのイメージ差」

があります。ほら、ぜかましちゃんとか、有明の女王とか。

そこで宇崎ちゃんに戻ります。
作品中の宇崎ちゃんは、桜井先輩のことが大好きだけど、ついつい上からな態度をとってしまう「かわいいやつ」です。
エロいことに関しては、トラブル的には発生しますが、それを企図することは、本人はしませんし、他人がやろうとしても失敗します。
その文脈を知ってる人にとって、宇崎ちゃんは「身体だけがエロい」子です。
しかし、それこそが妄想を生み出す源泉であり、ヴィジュアルもそれに沿って作られています。
それを感じ取ることができる人が多かったからこそ、作品として人気も出たし(人気がなかったらポスターキャラにならない)、性的だという反応も生まれたわけで。
このへんの反発を、比喩的に言い表すならこうなるんだと思います。

「なんでサキュバスを献血推進ポスターに使ってるのさ」

ここでの「サキュバス」とは、エロ妄想を喚起させる存在という意味でひとつ。
でまあ、宇崎ちゃんをサキュバス扱いされると「胸が大きいだけでサキュバス扱いかよ。現実に胸の大きい人に謝れ」と反発する人もいるでしょうし、そういう人からすると「自分の不愉快さに対してセクハラという言葉を使用し、主語を大きくして世論を味方につけようとしている」ということになるかと思います。
私の所見では、「環境型セクハラ」なんで言葉を使用しなければ、そんなにもめなかったと思うんですよ。

「こんなキャラクターを献血ポスターに使うなんて、ハレンチだわ!」

という表現なら、同意はしなくても理解は可能かと思うわけで。これなら、ただの個人の感想だからね。
それを、セクハラと定義してしまったら、

「じゃあ、お前の言うセクハラっていうのは、どこからどこまでを指すんだよ。説明できなかったら、単に『私が不愉快なものでエロいものは全部セクハラ』という線引きをしているものとみなすぞ」

という疑問を呼びます。
「彼方のアストラ」の篠原健太先生が、その線引きについてツイッターで議論してた。
実際、本屋でそれをするなと言われたら、表現の幅がすごく狭くなるからね。

ここまでの私の見解はこの通り。

「ポスターに描かれている宇崎ちゃんは、胸が大きいだけで露出度自体は小さい。それをもって、エロくないという人がいるのもわかる。
一方で、胸の描き方の技術が、エロ妄想を喚起しやすいようにしているのも間違いない。
そこで、私は『エロくないということはない』と表現した。
それを人を呼ぶための手段として使うのは、女性が身体を使って男性に頼み事をするイメージをもたせ、
ひいては、女性のイメージを悪くするのではないかという懸念もある。
ただ、環境型セクハラという表現は、定義があいまいすぎて、
何がそれにあてはまるのか、あるいは恣意的に表現を狩ることができる武器になりうるのではないかという逆向きの不安を呼んだ。
あのポスターに対して、不快感を覚えたという感情について理解はできるが、それを表現する言葉を、いわゆるパワーワード的なものにはしてもらいたくない」


で、ようやくふたつめ。
これについては、私自身「あの煽りはどうかなー」と思いました。
センパイというのは、もちろん桜井先輩なのですが、原作を知らない人からすると、自分が煽られているようにも思えますわね。
というか、ある程度そこは狙ってると思いますね。
それは、宇崎ちゃんとポスターを見た人との距離を縮めるという効果がありますが、
それもこれも宇崎ちゃんの好感度がどの程度あるかが重要で、嫌いな子との距離が縮まってもあまりうれしくはない。
だから、桜井先輩も入れて、あくまで煽られているのは彼で、なんだかんだで宇崎ちゃんも桜井先輩のことが好きというニュアンスが出てれば、もうちょっと印象はプラスになったと思います。
ただ人を煽るだけの子って、ガチでうざいし。

みっつめについては、ひとつめのところで書いたので。
セクハラまでいうと、存在がギルティくらいの強い意味合いをもってしまうので、言葉の扱いにはもっと慎重になっていただきたい。
表現の自由の立場から主張する人の懸念はここにあるのだし。

よっつめ。
献血を推進するという点で、というか「した」という点では、結果だけ見れば成功しちゃったことになるでしょう。話題になったからね。
ただ、あのポスターの「面白さ」を読みとけるのは、作品を読んでる人と、「宇崎ちゃんというのは、好きな人にウザい感じでからんでいくツンデレの亜種」というオタ文脈を理解できる人くらいで、そうでなかったらウザさとエロさだけが伝わってくるんじゃないですかね。
だから、私としては宇崎ちゃんを使うにしても、もう少しふさわしいやりようがあったと思ってます。
桜井先輩とのコメディチックな掛け合いにすればよかったんじゃないかって。むしろ、桜井先輩メインでいいよ。

一方で、そういうオタクというニッチ層をピンポイントに狙ったアピール戦略をとっているのはどういう理由かも考えたほうがいいかと。

「別の層を狙っても、反応が鈍くて効果が薄い」

と思われてるってことだから。
オタクについていうなら、京都アニメーションの放火事件があったあと、「支援しなくちゃ!」という声はえらいたくさんあったからね。
そういうフットワークが軽いのはオタクの特徴。同志のためなら、己の身を削ることにやぶさかでないのよ。
ついこないだ見たのは、艦これのイベントでタップダンスを演じた人が、世界大会参加のためのクラウドファウンディングを募集したら、あっという間に目標金額に達したってやつだね。
今回についても、献血参加者が増えたというのは、ポスターのやりかたに対して「あなたたちは間違ってない」というアピールをしたかったんだと思うのです。
それに対して、「あなたたちは間違っています」といって、献血ボイコットを呼びかけるという戦術をとるのは、正直感心できないですね。
他人に損をさせるという手段をもって、自分たちの利益を得ようとしているということだから。


ではまあ、最後に結論。

「血は恒常的に足りてないのだし、そこでアニメとかとコラボすれば気安く協力する傾向のあるオタク層をターゲットにアピールするというやり方は理にかなっていると思う。ただ、考え方によっては売血だし、その代価が『ちょっとエッチな感じの女の子キャラがかかれたグッズ』だとすると、不健全な何かを感じる。そこで、コラボについてはある程度表現に慎重になるべきではある」
「で、今回の宇崎ちゃんポスターが『エッチな感じがする』かと言われたら、否定はできない。それとは別に、煽っていくようなスタイルは不快感もあり、こういうところではあまりふさわしくないように思った」
「しかし、それに対して『環境型セクハラ』という言葉をあてはめると、それは『環境型セクハラ』という言葉の武器で、恣意的に好まない表現を切り捨てていく暴力に発展するのではないかという危機感も覚えた」
「人間、自分の考えが正しいと強く信じすぎていると、自分と違う考えを間違いと断じ、言い分を徹底的に否定しようとする傾向がある。人にはそれぞれの道理があるのだから、お互いに自分の道理を確認し、その問題点を洗い出して、己の道理をうまく修正することが『みんなにとって』有益なことだ」

あくまで「私の道理」に従って出した答えにすぎないので、他の人と一致しないのは当然のことと思います。
しかし、ここで出した答えにしても、他の人の意見で共感できた部分は取り入れてますので、問題が発生した当初の私とは違う答えが出ているはずです。
自分と自分との間で答えが違うんだから、正しいも何もあったもんじゃないですわな。
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