今日明日と、京都のほうで京アニの追悼イベントが開催されております。
私は行かないんですが。私の感覚からすると、なんか申し訳ない気分になるので。
献花でお参りさせてもらったけど、あれにしても現地をお騒がせしたという気持ちがある。
1か月くらい場所はキープしてたし、そのために人を頼んだんだよなあ。
そうしないと、現場が混乱して、やはり現地の人が、
「苦情を言おうにも、向こうこそ被害者だから言う先に困る」
みたいに思っただろうから。
それでまあ、京都アニメーションを思う気持ちを持つ人の、その気持ちのやり場を用意してくださったというのが今回のイベントでしょう。
私の考えはこんなだから、他の人と温度差ありすぎて、自分が現地でいたたまれない気持ちになったと思うんだ。
まあ、こうして「一般の人が参加できる」イベントをやらざるをえなくなったというのが、京都アニメーションのカリスマ性だと思います。
本来なら、2日に行われた関係者だけの追悼式典で終わるところ。
すばらしい作品は、このように人を動かすというのを目に見える形で示したということじゃないかな。
私は行かないんですが。私の感覚からすると、なんか申し訳ない気分になるので。
献花でお参りさせてもらったけど、あれにしても現地をお騒がせしたという気持ちがある。
1か月くらい場所はキープしてたし、そのために人を頼んだんだよなあ。
そうしないと、現場が混乱して、やはり現地の人が、
「苦情を言おうにも、向こうこそ被害者だから言う先に困る」
みたいに思っただろうから。
それでまあ、京都アニメーションを思う気持ちを持つ人の、その気持ちのやり場を用意してくださったというのが今回のイベントでしょう。
私の考えはこんなだから、他の人と温度差ありすぎて、自分が現地でいたたまれない気持ちになったと思うんだ。
まあ、こうして「一般の人が参加できる」イベントをやらざるをえなくなったというのが、京都アニメーションのカリスマ性だと思います。
本来なら、2日に行われた関係者だけの追悼式典で終わるところ。
すばらしい作品は、このように人を動かすというのを目に見える形で示したということじゃないかな。