伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

地元では有名な、松虫寺の枝垂れ桜を見学に出かける。

2022年03月31日 | 歴史の考察


2008年に発売の現在製造は中止になっている14年前のパナソニックのコンデジと呼ばれる“LUMIX”「DMC-LX5」を持ち出かける、コンパクトで携帯には利便性があるが、現在のスマホと比べカメラ機能は略同じでカメラの重要性は益々薄まっている状況である、しかし撮り慣れたカメラは携帯より撮影はしやすいと思う。購入理由は以前レンズには好きなLEICAの文字が気に入って購入した。
いわゆる「なんちゃってLEICA」です、充電器の故障と思っていたが完全に電池が放電し充電に時間が随分掛かり故障と勘違いした。

桜の季節になり、午前中時間があり、桜の季節に一度訪れて見たかった松虫寺の枝垂れ桜でも見に行ってきました。実は写真のことはすっかり忘れて仕事に使ったコンデジを積んでいたので、今日の撮影は久しぶりの「DMC-LX5」の登板になった。
今手にすると実に軽く解像度が今少し良ければ現役で十分通用する、200dpi程で十分である。今日は全てDMC-LX5で撮った写真をアップしました。



千葉ニュータウン印旛日医大地区に隣接する松虫寺 (まつむしでら)
松虫というと「ちんちろちんちろちんちろりん♪」というまつむしを想像します。そしてもうひとつ、印旛では「松虫姫 (まつむしひめ)」という言葉をよく目にするのですが、松虫姫というと松虫姫神社というものもあります。

松虫寺と松虫姫神社は隣接し、一体となってこの地の歴史を守っています。
境内には枝垂れ桜があり今の時期にの見学には丁度いい時期なのである。
心が凛と落ち着くような静けさと、緑に囲まれた歴史ある建物が心をすっと包みます。



区画整理されたニュータウンのすぐそばにもかかわらず、松虫寺の向こうには人と自然が共存する里山の風景が広がります。



奈良時代の743年 (天平15年) に建てられたといわれています。
寺に伝わる七仏薬師如来像は、本尊薬師如来像と6体の脇侍からなる平安時代最期の作です。
松虫寺には松虫姫 (不破内親王) にまつわる伝説があります。
印旛日医大地区にちょこちょこ見られる「松虫」という言葉。決して自然が豊かでマツムシがいっぱいいたからそう名付けられたわけではありません。



今の時期は桜の花が散るばむ一年で一番綺麗な時期かもしれない。拝観者も少なく意外と穴場的存在かもしれない。

この松虫というのはとあるお偉い人物のことです。昔むかし、時は1,300年も前 (奈良時代) のこと。
あるところに東大寺を建てたことで有名な聖武天皇の第三皇女に松虫姫 (=不破内親王) というそれは美しい姫君がおったそうじゃ。

姫の病気と夢のお告げ
若くして松虫姫は重い病に伏してしまいました。
どうにも手を尽くせない時が流れたある日、坂東 (ばんどう) の下総 (利根川方面の下総の国=北総地域) に病を治す薬師如来があるという夢を見ました。
夢:「私は下総の国、萩原村の出戸の薬師如来の使者です。お姫さまが萩原の里まで下られて、ここでこもって祈願なされば、その病は必ず治ることでしょう。」



境内には仁王門があり、除き窓からは仁王様のお顔が尊顔できます。



向かって左手の仁王尊



そして本堂ですここに枝垂れ桜が咲いているのですが今回は六分咲き程度でした。そうして鐘撞堂もあり、除夜の鐘も一般の人が鳴らすこともできるそうです。



そして本堂境内です。



聖武天皇はわらにもすがる思いで松虫姫を下総に向かわせたのです。
遠い遠い下総の国
当時の都は奈良。下総は遠い遠い辺境の地です。
長い旅路でいくつもの危険もあり、いつしか「松虫姫」と「杉自」という乳母、僧の「行基」、数人の従者と「牛」だけになってしまったのです。
佐倉側から沼を渡りたどり着いたのがここ、印旛沼のほとりの萩原郷。
みすぼらしい薬師堂。
「まじかぁ…。」
こんな辺境の地に望みも抱けず、落ち込む姫。
そんな時、祈ることで心が落ち着き、そして親切な村人たちに奈良 (今でいう東京) の文化や養蚕、裁縫や生活に関わる知恵、文字などを教えることに生きがいを感じます。



毎日の祈りと、人々とのつながりを大切にした姫たち。
いつしか時が経ちました。祈りと人々との共生を繰り返すうち、いつのまにか病気が全快しました。そればかりでなく、村人たちは姫たちにたくさんの教えや助けをもらったことに感謝。
村人も姫には帰ってほしくない、姫も都には帰らずにいたいと思うようになりました。



そこで、親切にしてくれたこの村への縁と恩をつなぐため杉自を残しました。これからも村のために手助けをするようにと・・・。
そして姫が乗ってきた牛も同じく年老いたため一緒に残すことになりました。
松虫姫は都に帰るとき、境内にいちょうの枝の杖をたてたといいます。



近くに牛のモニュメントのある公園もあります
牛むぐりの池
ここで問題は牛の方。
牛はずっと一緒にいた姫との別れに哀しみ暮れました。
そして自ら池へ投身。牛は亡くなってしまいます。
村人たちはその牛を哀れ、「牛むぐりの池」として伝えられることになります。
松虫姫公園にあるあの牛のモニュメントの意味はここにあったんですね。



今はもう整備されてしまった公園の池ですが、この池はただの調整池ではなく、このような物語が語れ継がれる場所だったのです。



都に戻った松虫姫から話しを聞いた聖武天皇。
「病気を治してくれたこの尊い薬師佛を辺境の地の道端に置いておくのはおそれおおいぞよ。」ということで、僧「行基」に命じて「七仏薬師群像」を作らせ、寺を建てるようにお願いしました。



これが松虫寺です。その後、皇位継承などの争乱を経て亡くなった松虫姫。
姫の遺骨は遺言によって松虫寺に分骨されました。
村人たちは境内の薬師堂の裏手に、石の柵に囲まれた一角に墳 (つか) を建てて葬りました。その場所は「松虫姫御廟 (まつむしひめごびょう) 」と呼ばれています。



おおっぴろげにお墓類の写真は載せないようにしているのですが、これだけ掲載させてください。御廟とは、先祖の霊や貴人の霊をまつる殿堂。



西暦771年のことでした。
一方、松虫姫の御廟を守ってこの地に身を没した杉自の塚は、寺の山門から約400mほど離れた場所にあります。
現在撮影禁止になっていますが、木造薬師如来坐像・木造薬師如来立像があります。国の重要文化財となっています。


枝垂れ桜は綺麗です今週末あたりが見頃です。


此処の千葉NTは街なかを少し離れ、少し離れると里中が広がり自然に触れ合える環境は好きで、なしの産地としても有名で、今梨の花が咲き、受粉に忙しい時期だそうです。


今に語り継がれる松虫姫の伝説。摩尼珠山 医王院 松虫寺と有名だそうです。



住所 千葉県 印西市松虫7 松虫寺
印旛日医大駅 印旛日医大駅より徒歩10分ほどです。




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