伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

ボッサにたった2年間関わったスタン・ゲッツ(ts)の足跡を振り変える、本当はジャズ音楽を追求したかった様ですね!

2024年09月16日 | JAZZ・ボサノヴァ


些か良伝ではあるが、先日あるニュースを見るともなしにぼんやり見たが、自民党総裁選の候補者全ての会見をTVで見た、ある候補者議員曰く、靖国問題と自衛隊について明快な発言があり思わず感動した。実に明快答えていた。防衛大臣でも口にしなかった言葉である。その内容にについて・・・・

自衛隊服務宣誓である全文は
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」

詰まり命令には命を捧げますという宣誓文である。
上記の服務宣誓書は自衛官になった時に誓う最初の重要な書類であり、一番の疑問は命令する側と受ける側に分かれるが、問題は命令する側に服務宣誓書の意味を理解しているのであろうか?一番の命令権は日本国総理にあり防衛大臣であるがこの意味を全て理解しているか甚だ疑問である。

昔大日本帝国の頃もよく似た宣誓書があったと思う、基本は日本は徳川時代から続く私用で通学した寺子屋にて「読み書き算盤」の基本を学び立派な社会人として相応しい自主教育を施していたからなのであろう。
我が国の歴史書を紐解けば解るが、植民地にした国々にも先ずは、初めは病院と学校を設立し教育の大切さを教えた次にインフラ整備を実行した。
明治時代になり尋常小学校を設立し軍人なっても困らない様に「読み書き算盤」を全員に習得させた。この様な基本の歴史も分からないような自民党総裁選の候補者が果たして自民党総裁になっても恥をかくだけであろう。

ある議員は昔幼少の頃何故日本はあの米国と戦争をしたのであろうかと疑問を持ち30代の頃、先の戦争は米国の大統領ルーズ・ベルト、は、モーゲンソー財務長官、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官補達で日本を戦争に巻き込んだ張本人でもあるということが解明されたと言われる正に仕組まれた罠であった。
この容易な問題は日本の近代教育で近代歴史は史実を全く語ってない致命書と言えよう、正しいし教育し国民に公表しなければならないであろう。

ロシアのプーチンも語る、米国民主党の連中は右手で握手し左手でナイフで留めを刺すが、共和党は握り拳を作りパンチを浴びせる、何方も嫌いであるが共和党の連中が与し易いと言っている。アイゼン・ハワー以前の米国は欧州の事もある程度考え物事は進めたが今や主権国家として益々傲慢になっている。この様な世界情勢がどこまで見えるかが日本の丞相には大切な事と思う、今後益々心配である。
今は筆者も齢76にもなり思うは歴史は実に興味ある事と思っている。この様に好きな音楽を聴きながらPC等で学べる世界もおもしろき人生でもある。



ブラジルの歌手、ギタリスト。作曲家のボサノヴァの父・アントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされているが、スタン・ゲッツ(ts)の聴きやすい、そして美しい音色のテナーが無かったのならあれ程メジャーな音楽になっていたのであろうか?

スタン・ゲッツのテナーを聴いてると鬱な気持ちでいても途端に何か思考が替わって自然と聴き惚れてしまう精神安定剤も兼ねてるジャズマンだなと思う、彼の生き様も知って晩年迄の麻薬やアルコール中毒そして癌との戦いと、でもそう言う中でも彼の音楽への姿勢は常に素直でテナーの音にも暗さを感じさせず!特に彼の18番のボサ・ノヴァへの愛着、BGMとして流していても耳の良い人には直ぐにゲッツのテナーの魅力を感じ取れると信じています。今回紹介するGetz For LoversはMoonlight In Vermontの曲はボサノヴァ曲ではあるが何とムードある郷愁を感じさせる曲であり正に秋に相応しい曲でもある。



欧州のスピーカーをお持ちの方は是非引いていただきたいスタン・ゲッツ魅力いっぱいのアルバムをお聴きいただきたい。馴染みやすい音楽と自然に流れるムードあるボッサのリズムの魅力は欧州トーンが大変好ましく部屋に響く様は実にリラックス出来る。そのような魅力いっぱいのサックス奏者について述べる。

1927年2月2日、スタン・ゲッツ(本名:スタンリー・ゲイツキー)は父 アルと母 ゴールディーのもと米国ペンシルベニア州フィラデルフィアで誕生。
父方の祖父母はユダヤ系の移民で、ユダヤ人に対して行われた集団的迫害行為から逃れるため1903年にウクライナの首都キエフから移住してきました。
時代が世界恐慌に直面すると、ゲッツ一家はより豊かな収入を得られる職を求めてニューヨークへと引っ越し。幼い頃は学業での成績が優秀で、小学校6年生の頃はクラスでもトップレベルだったとか。楽器に関心を持った彼は、12歳(中学生)の時にハーモニカを手に入れ、演奏するように。
彼は15歳の時には既にタバコを1日1箱は吸っていた上に、精神的な不安感はアルコールに拠り所を求め、毎晩のように酔っ払っていたようです。このアルコール依存症と後のヘロイン中毒は、彼の人生に大きな影を落とすこととなります。
彼がヨーロッパにいた間、ジャズシーンにはとある変化が。マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンの活躍を筆頭に、アメリカにおけるジャズの流行はモーダルジャズへといつしか変わっていたのです。メトロノーム誌とダウンビート誌という2つのジャズ雑誌でも、人気プレーヤーの座はゲッツからコルトレーンへ。



たった2年間のお遊びで花開いたボサノヴァ音楽である。
1961年、ゲッツは数年間滞在していたヨーロッパから帰国後、彼はギグでチャーリー・バードと知り合い、バードがブラジルで感銘を受けたというジャズとサンバのハイブリッド音楽である”ボサノヴァ”を紹介されます。バードは、アメリカではまだ誰もレコーディングしようとしていない音楽だけれど、と言ったそう。

ゲッツはすぐさまプロデューサーであるクリード・テイラーに録音の機会を設けるよう持ち掛けます。


当時1962年「Big Band Bossa Nova」が発売され人気になったきっかけの様なアルバムでこの後決定的なアルバム1963年発売「Getz/Gilberto」は、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと、ブラジルのボサ・ノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが連名で1963年に録音し、1964年に発表したアルバム。アントニオ・カルロス・ジョビンがピアノで参加し、アストラッド・ジルベルトが2曲でボーカルをつとめたアルバムは衝撃的でした。



本人にとって、ボサノヴァのミュージシャンとみなされるのは本当に嫌だったらしい。あくまでもボサノヴァを軽視しているのではなく、自分はジャズミュージシャンだという気概から、ゲッツがいたからこそボサノヴァの世界制覇が短期間で完了したわけです。

勿論ジョアン・ジルベルトは偉大なミュージシャンでが、当時の世界環境、技術力で、南半球の音楽が世界を制覇するのは容易ではなかった。遅かれ早かれボサノヴァによる世界制覇は実現したと思いますが、「2年間と言うあれだけの短期間で」という条件をつけるなら魅力あるサックスの響きを提供したゲッツの功績は計り知れない事と思いませんか・・・。



ジョアン・ジルベルトとのアルバム、『ゲッツ/ジルベルト』がそれです。本作では、ジルベルトの妻であるアストラッド・ジルベルトの素人の歌声を気に入ったゲッツが、アルバムのヴォーカリストとして録音に迎え入れました。

実は「ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンはアストラッドには歌ってほしくなかったようだった。プロの歌手でもないし、ただの主婦だったのだから。アストラッドが歌う『イパネマの娘』と『コルコヴァード』を聴くと英語で歌うことでの響きもとても良く、録音しない理由はないと思った」とゲッツは考えたそう。

その後ジャズ生活を送り1991年6月6日、ゲッツは手助けされ車椅子のままベッド脇の窓辺から朝3時の海を眺めました。夜明け前の暗い海、寄せては返す波を見て彼は何を思ったでしょうか・・・。
その日の夕方、彼の人生は静かにそっと幕を閉じたそうです。晩年に患った肝臓ガンが原因、64歳の生涯でした。彼の人生は、アルコール依存症とヘロインとの闘い、そしてガンとの闘いでもありました。



今は亡きボッサの設立メンバーのこの極徳のリズム、この季節、なぜかボサノヴァが聞きたくなる習性があり、大好きな曲“デサフィナード”をキーワードに検索していたら…掘り当てました!お宝を・・・ 

もともと、ジャズバラードも好きだったものの、ボサノヴァから、スタン・ゲッツに辿り着きました。 


 
ジャズファンなら、きっと誰もが知っているような有名人だと思うのですが、そういった知識が全くなく、ただ自分の耳が探知して心地よさを感知したものだけをよしとしてる私にとっては、ホントにお宝に出会った感じでありました。なんといったらよいのか、とっても癒される。

気持ちの良いサックスの音色。これからのどんよりとした梅雨の時期からけだるい夏からスッキリの秋空にかけては、全くぴったしのサウンドです。
すっかり、聞き惚れ、第2弾 "More Stan Getz"も速攻購入してしまいました。



Getz For Lovers


 1.バーモントの月Moonlight In Vermont
 2.コルコヴァード Corcovado (Quiet Nights Of Quiet Stars)
 3.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm Glad There Is You
 4.バット・ビューティフルBut Beautiful
 5.オ・グランヂ・アモールO Grande Amor
 6.アルフィーAlfie
 7.ヒアズ・ザット・レイニー・デイHere's That Rainy Day
 8.ボディ・アンド・ソウルBody And Soul
 9.ザ・ルック・オブ・ラヴLook Of Love, The
 10.リトル・ガール・ブルーLittle Girl Blue
 11.プラ・マシュカー・メウ・コラソンPara Machucar Meu Coracao
 12.デトゥア・アヘッドDetour Ahead
 13.メリンダMelinda
 14.イパネマの娘Girl From Ipanema, The
 15.イフ・エヴァー・アイ・ウッド・リーヴ・ユーIf Ever I Would Leave You

この一枚で要約されるボサノヴァの曲の数々先ずは、1曲目はクラウス・オガーマン編曲指揮のオーケストラをバックにゆったりと吹いている63年の演奏。2曲目は人気作ゲッツ/ジルベルトに入っていた曲。3曲目は57年のスタン・ゲッツ&オスカー・ピーターソンからの選曲。という具合に、おなじみの演奏が次々と登場する。ゲッツは50~60年代にヴァーヴ・レーベルに集中的に録音を行なったので、名演・名作には事欠かない。



本作はその中からバラード演奏を選りすぐったベスト盤なので、まさに名演のオン・パレードだ。激しくブロウするゲッツも魅力的だが、本作に聴かれるような詩情豊かな演奏はこれまたゲッツの独壇場といっていい。マイルドな音色による柔らかな感触のバラード演奏は、聴く者の心を優しく包みこむ。一歩間違うとムード・テナーの世界になりそうなところ、その直前で踏みとどまっているのは、ゲッツのジャズ・ミュージシャンとしての矜持とセンスゆえだろう。

コンボ、ウィズ・ストリングス、ボサノヴァと内容はさまざまだが、一貫しているのはどれも優雅な演奏だという点。モダン・ジャズを代表するテナー・サックス奏者スタン・ゲッツ。オーケストラをバックにサックスの艶やかな音色が漂う「バーモントの月」他、しっとりと甘くムーディーな「コルコヴァード」他、ボサノヴァからジャズ・スタンダードまで上品なバラードで構成した15曲。
この時期になると何故か聴きたくなる懐かしいアルバムでもある、ブラボー!