伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

日本のナイヤガラ?吹割の滝(ふきわれのたき)に紅葉をもとめて・・・真田ゆかりの城も見る

2017年11月11日 | 旅行

 

前から予定していた、日帰りの旅です。朝から実に爽快な天気に恵まれ良いドライブ日和になりそうである。少し早めに朝7時に出発、義母を連れての秋めぐりです。

今回は沼田の「吹割の滝と紅葉」を見に行って来ました。

高速に乗るまでは混雑していましたが、高速は順調な感じでした。三郷~東北道経由~関越道の沼田に3時間のドライブです。

山々はすっかり紅葉に時期のようです、遠くから見ても色が違う!群馬は、やはり冬は雪が多く、車から降りると肌寒い・・・・おまけに盆地底冷えするだろうな!

高速を下車して目的地までゆっくり走る、途中の山々は紅葉で実に美しい。昔は真田一家が暮らしていたところでもあり、戦略家にとっては変化する地形、天候等は戦闘が強くなる要素は十分である。

途中りんご畑のりんごが綺麗です。りんごの実る木々は見慣れないの咲いている姿は綺麗だ。すると義母がリンゴ狩りがしたい・・・!

と言うのでりんご園に立ち寄る。早速受付をし、りんご園に入場する。

早速試食してみると、新鮮で美味い!実に瑞々しい。

すると、いろいろなりんごの種類があり、その此処の味が試食でき、自分に合ったりんご狩をすることが出来る、

色々試食結果、紅玉、陽光、星の金貨、シナノスイートをチョイスしてリンゴ狩りを楽しむ。

季節になると親戚の本場青森からりんご(ふじ)が届くのでふじは除外した。

精算時に義母の歳を聴かれ、お土産にと『寿』の文字の入ったりんごを頂く。

すっかり寿りんごにはしゃぐ義母を、パシャリ!

 

そして、群馬県利根沼田産りんご100%使用し、吹割のお母さんたちが毎日お店で手作りしているアップルパイ。を食べに行く、伽羅苑の駐車場に車を止め、早速アップルパイを食べる!残念な事は出来たての?焼き立てではなかった。

此れは皆さんの意見ですが、やはり昨年行った、茨城の袋田の滝で食べたアップルパイのが美味かった!

筆者も此の程度のアップルパイならどこでも食べられると思った、名物に美味いものなしとは良く言ったものです。

 

そして少し散策をしながらのランチタイム、『蕎麦屋、水石』を探す!

まさが坂の下の滝の入口にあるとは、ビックリです。義母を連れてはたいへんですが、滝入口まで到着、老人には苦労である。

吹割渓谷を吹割大橋に近い滝の入口から鱒飛の滝に向かう途中にあるお蕎麦屋さんです。

この辺りはそばの激戦地なので、この辺りで有名な『水石』昔の庄屋さんのようなたたずまいで、おそばにぴったり。

早速、天ぷらそば(十割)を注文、そしてお蕎麦が出来るまで、店内から滝がみられるスポットがありました。

お店庭先からも滝が見える。

天ぷらは、種類豊富な山菜、お蕎麦はコシのある蕎麦で風味、歯ごたえ良く大満足です。

意外と量も多い、後の蕎麦湯が実に美味い!

義母は体力的にこれ以上は難しく、此処のお蕎麦屋さんの庭先から吹割の滝をみて満足し吹割渓谷を見物しました。

 

此の蕎麦はめんつゆなしでお塩で頂いても美味しく、山菜の天ぷらとも合って実に美味い。

でも老人には途中坂が急で車椅子も歩行は難しいので、要注意です。下図の1.鱒飛の滝入口の所が『水石』ですので、上り下りが大変ですので老人は注意です。

「鱒飛の滝」

筆者はジュニアと一緒に「鱒飛の滝」から「吹割の滝」そして「竜宮の椀」の散策に紅葉と滝と秋の澄み切った天気のコントラストがマッチして実に綺麗です。当に、今が見頃です。

これが「吹割の滝」全景です。何となくナイアガラの滝のコンパクトサイズですね!

 

最初はそこに現れるのが「鱒飛の滝(ますとび)」です。産卵に帰ってきた鱒も、ここで止まってしまうほどの激流で、

「マスが止まる→マスドメ→ますとび」と呼ばれるようになったそうです。

「吹割の滝」の前で記念写真を・・・・・

老神温泉「吟松亭あわしま」から車で5分。別名「東洋のナイアガラ」で親しまれている

人気の観光スポット「吹割の滝」「天然記念物」の指定や「日本の滝百選」に選ばれるなど

滝の飛沫が辺り一面に飛び散りマイナスイオン効果かな・・・・

群馬県内でも人気の高い景勝地だそうです、紅葉の季節。日本の秋ですね!

 

散策の最後の「竜宮の椀」

吹割の滝散策も此れで終了。

写真は取りましたが、殆どスナップ写真になってしまう!家族旅行での撮影はやはりスナップ写真です。

時間も有るので、次は今は公園になっている 真田ゆかりの『沼田城址公園』見学に言ってみる。

余り人もまばらで、閑散として、ゆっくり散策は打って付けです。

歴史を感じながらの散策です、此処まで武田軍団の力が及んでい事に驚異を感じます。

此の沼田城公園から見える景色に八方見渡せる当に真田昌幸が欲しがった城とおもいます。

日本人の選ぶ戦国武将の中でも上位、真田幸村にとっても身近な城・・・・・・・信之、兄の納めた城、昨年の大河で有名な真田物語・・・上杉、北条、そして徳川……寝返りを繰り返す昌幸・・・・実践しただけの真田幸村は、散りゆく姿が美しかったために有名になってしまった一発屋ですが、最後に徳川家康がどれだけ真田昌幸を恐れていたかを窺うことのできるエピソードを紹介したいと思います。

昌幸の死後、豊臣家を叩き潰すために大坂の陣が起こります。ここで、昌幸の息子・真田幸村が大坂方として活躍することになるのですが、大坂城に真田の者が登城したという報告が徳川家康の元に寄せられます。

家康は それは父親(昌幸)のほうか?それとも息子(幸村)の方か?」 と聞き、息子の幸村だと分かり胸をなで下ろすという一幕がありました。死してなおも家康を恐れさせた昌幸の知略、おそるべし!まるで三国志の軍師孔明のような言い方ですが、(幸村)は真田丸の構築他(昌幸)の作戦を行った実行者なんです。作戦等は総て昌幸考案した。昌幸が指揮権を取っていれば、徳川の天下は無かったかもしれない・・・・

戦国武将人気ものでも昌幸ではなく幸村が上位です、やはり散り際が日本の武士らしいからなんでしょう、真田昌幸は、北条・上杉・徳川の3氏に囲まれ、武田氏滅亡時に続きまたしても存亡の危機に直面します。

後ろ盾がなければ自立できない立場ですから、誰につくかが運命の分かれ道。

しかし昌幸が選んだのは、服従ではなく信濃一国の独立支配でした。

ゆくゆくは信濃・上野の国衆をひとつにまとめることを狙い、立ち上がったのです。

その才を武器に、ときに彼らを手玉にとりながら3氏間を泳ぎ渡っていきます。

昌幸と信繁(幸村)は家臣16名とともに真田家の菩提寺である高野山蓮華定院に送られたのち、麓の九度山(くどやま)に移り蟄居生活を送ることになります。

此の地で昌幸は亡くなるのですが1600年、関ヶ原の戦いの勲功で、東軍についた真田信之が父・昌幸の旧領である上田領も継承し、

沼田と合わせ95千石の上田藩として立藩。信之の本拠は、引き続き沼田城である。

昌幸もこの景色を我が物にしたかったのでしょう?

山々の紅葉が実に綺麗でした。此の日は未だ霞がかかり此れがスッキリ快晴なら・・・

真田家が苦労して手に入れた沼田城を70年後には、廃藩滅亡。

 1681年、信利の暴政と、10月納期の江戸両国橋架け替えの用材調達の遅延を理由に改易され、沼田藩は廃藩。

以降1703年まで一時期、天領となる。

そして黒田家が相続し、そして小松姫で有名な本多家で維新を迎えている。

当時の建物ごとの資料館だそうです。

唯一残っている当時の石垣です。又上にある巨木は桜の木だそうです。

巨木の桜が有名です。春、桜の時期もいいですね。

 

後半は歴史を感じてのの沼田城址公園見学になった。この地方は朝夕が冷え込むので紅葉が綺麗です。

2メートル近く有る日本一のテングの面が有る。

辺りは夕暮れの雰囲気が漂いますので、此の辺りで帰ります。

途中混雑も無く順調に柏インターまでスムースなドライブでした。

帰り際に柏の『けやき』のラーメンを夕食に頂く。

実りある小旅行でした、ブラボー!

追伸

此れは先日仕事で言った海ほたるの光景です。

ゴジラの足跡の回りには小学生が遊んでいます、原寸台の足跡は2個あります。

此れは海ほたるに有るゴジラの足跡で海ほたるのスポットです、又今週末は最新のゴジラがテレビ放映される、実に面白かった映画でした。

観てない方は是非御覧ください。ブラボー!