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昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

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曽根崎心中の命日に。

2013-05-16 23:50:47 | ウォーキング

今日5月16日(旧暦元禄16年4月7日)は

近松門左衛門の「曽根崎心中」の主人公「お初」

と「徳兵衛」の命日でそれにちなんで開催された

曽根崎心中のお初・徳兵衛が歩いた道行きを辿る

ウォーキングに参加した

 

物語の舞台、お初天神(正式露天神)はたびたび

行くなじみの場所でわざわざ行くことでもないが

お初と徳兵衛が歩いた道行きを解説付きで辿って

歩くことに興味があった

 

JR北新地駅前に集合、参加者は30名、参加費

○000円、ほとんどが高齢者だった

歴史好きな人たちばかりのようで引率人の博識と

巧みな話術にメモ取りながらスローウォーキング

ですすんだ

 

お初・徳兵衛の出会いの場になった蜆川新地天満屋

跡近くの旧蜆川(曽根崎川)の梅田橋跡から出発

 

開業時には近くに大阪駅と阪神電車の駅があり海運

の重要な拠点だったという出入り橋を通って繁華街

の北新地へ

 

桜橋跡を通り堂島薬師堂にお参りして堂島米市場跡

へ、大阪一の夜の歓楽街、北新地本通りにある蜆川

跡を行く・・・ここは明治42年に大火があるまで

蜆川、火災後埋め立てられていまの新地ができた

 

御堂筋を経由しゴールのお初天神まで2時間かけて

お初・徳兵衛が歩いた道行きそのまま辿った

 

コースの多くは自分でも歩いてきたことがあったが

元禄時代から江戸、明治、そして現在に至るまでの

あの地域の大阪の変遷について体系的に解説があり

大阪検定で勉強した下地もあったので大変興味深く

楽しく歩くことが出来た

 

お初天神の二階で「曽根崎心中」について大学

並みの授業が引率者から1時間あまりもあった

最後に文楽劇場でも活躍しているプロに曽根崎心中

の名場面を長唄で聞かせてもらったが臨場感があり

感動したよ

 

井原西鶴、松尾芭蕉と元禄期の三大文豪と言われた

近松門左衛門の世話物で代表作の「曽根崎心中」を

実は読んだことも舞台で見たこともない

 

準地元人間がこれじゃ、ちょいと恥ずかしい!

西鶴に門左衛門は大阪ゆかりの人物なんだから像を

みているだけで知ってるつもりなら怖い!

 

5月2日には道頓堀、4日には奈良世界遺産、今日

の街歩きと歩いた距離はわずかだが一通りの歩力が

ついたら中高年にはこういう歩きが無理なく参加が

できるのでひとつの方向性だなあと実感した

 

これなら行き先に困ることはない

地元を知ろうと歩きはじめて10年が過ぎてやっと

地元へ戻ってきた

 

5時前に終了、お初天神通りをぶらり歩きして戻った。

 


「室生寺」と「長谷寺」

2013-05-05 23:18:25 | ウォーキング

今日は五月晴れに恵まれて昨日に続き奈良へ

でかけてきた

 

行先は「室生寺」と「長谷寺」

このお寺の歴史は知らなくても

「室生寺」といえば「シャクナゲ」

「長谷寺」といえば「ボタン」

でよく知られている

 

最初にこのお寺を訪ねたのが学生の時だから

もう50年も前になる

連休を利用して奈良旅行をした際に訪ねたが

初めて見たシャクナゲとボタンに魅せられた

 

アルバムにはその時の写真が残っているので

なつかしいが旅を共にした友人はもういない

 

その影響か息子も両寺が好きで今日も撮った

写真をその場で息子に送った

 

その後、何度おとずれたことか・・・でも今日の

ような満開には遭遇していない

7年前にW倶楽部で来たが満開を過ぎていた

4年前に一人で来た時はもうしぼんでいた

今日はほんとうにラッキーだった

 

「シャクナゲ」と「ボタン」は満開だった

こんなことならW倶楽部の花好きなメンバーを

連れてきてやればよかったと思った

 

写真は明日にでも紹介することにして今日は

ここまで。


奈良世界遺産ウォーク。

2013-05-04 23:23:36 | ウォーキング

奈良の「世界遺産ウォーキングツアー」という

記事が新聞広告の片隅にあったので参加した

 

JR大和路線で奈良駅へ

参加者は自分とあまり年代の変わらない男女が

20名ほどで午後1時過ぎにスタート

 

わざわざ連休で混雑している奈良市内へでかけ

ることはなかったが奈良検定の最上級合格者が

案内人というのでそちらのほうに関心があった

 

事前にコースの中身が示されていなかったので

超有名な世界遺産をぐるり回ることだけは勘弁

してほしいと思っていたがその願いがかなった

だけでなく訪ねたいと思っていた場所へ案内を

してもらって大満足の半日になった

 

最初に訪ねたのが「率川神社」

この神社が6月に行われる「ゆり祭り」で有名

だと知ったのは検定試験の勉強をしてから・・

訪ねてみて驚いた !

5~6年前に奈良町に行ったついでに寄っていた

か゜あの時の神社とは・・・・

 

三条通りを横断し「韓国神社」と「林神社」へ

ここも検定試験で勉強していたので”ラッキー”

林神社は韓国神社の奥にひっそりとたたずんだ

小さな社だった

室町時代に中国から林浄因と言う人が韓国神社

に饅頭の製法を伝えたことが日本の饅頭の発祥

になったらしい

林神社正面両脇に「饅頭」がこの通り

 

緑に包まれた神社の境内にはだれもいなくて外

のにぎわいがうそのようだった

 

近鉄奈良駅上から始まる「ひがしむき商店街」を

案内人さんが楽しく説明してくれて土産物や食事

にこれから役立てたい

 

商店街には「ゆり祭り」のおおきなポスターが

かかっていた

 

続いて「興福寺」へ

奈良を代表する世界遺産、説明はいらない

春の秘仏の公開がされている北円堂と南円堂は

入場を待つ人の列が続いていた

 行列に並んで久しぶりに東金堂に入った

 

正面には興福寺の中心をなす中金堂の再建工事

がすすんでいる

完成するのが平成35年

 

”えっ? あと10年! “

と同行のおばちゃんがささやいた

 

これが大阪のおばちゃんなら

 

“えっ、わたし生きてるやろか?” 

 

ここは、奈良、突っ込みは入れない

 

国宝館にも久しぶりに入った

 

ここはなんといっても「阿修羅さま」

 

 

事前に入場券を買っていたし時間帯もよかったのか

スムースには入れたが館内はさすがに超満員で

立ち止まれず進みながらの見学

それでも久しぶりに「阿修羅さま」に会えた!

ちっとも歳とらんなあ・・・

 

(公園内のポスターから↑)

それに白鳳時代の彫刻の傑作といわれている旧山田寺

の仏塔にも会えた

↑ 一番好きな光景 東金堂と五重塔

興福寺一帯の奈良公園を歩いて不思議に思った

のはあの鹿の姿が一匹も見えなかった

連休続きの大変な人でついに鹿も疲れたのか?

それとも鹿も連休なのか?

 

古い民家の続く道を北へ最後の訪問地は

「称名寺(珠光忌)」

ここも訪ねたかったので超ラッキー!

わび茶の祖、村田珠光がここに住み禅を学んだ

珠光庵という茶室があり毎月15日の命日には

法要が営まれるそうだ

境内にある千体石仏群には驚いた!

 

さすがに奈良検定のソムリエさん、実に詳しく

興味深く説明をしてもらって楽しく歩くことが

できて16時半に予定通りゴールした

 

これで「伝香寺」が入っていたらいうことなし

だったが来年の椿の時期に訪ねたい

 

ひとりのご婦人が

“奈良はいくらでも行くところがありますね”

と自分を奈良人と思ったのか話しかけてきた

 

「奈良」を自分の地元に置き換えても同じだと

思った

歳のせいか?

検定試験の勉強をして興味が出てきたのか?

 

2日の道頓堀歩きに今日の奈良ウォーキングと

すぐそこにある地元に目を向けて歩いてみると

違ったものが見えてくる・・・

 

そんなたのしみをしみじみと味わった

自分のウォーキング観がどんどん広がってきて

歩き方や活動の仕方も変わっていくだろうと思う。

 


やっぱり道頓堀 !

2013-05-02 23:21:54 | ウォーキング

道頓堀周辺の史跡を訪ねるウォーキングがあると

聞いて急きょ参加をさせてもらった

 

地下鉄堺筋線日本橋駅に集合・・・地元新聞社の

記者・カメラマンも同行し20人ほどでスタート !

 

日本橋を渡って秀吉の命により私財を投げ打って

道頓堀の開削に功績をあげ安井道頓・安井道トの

紀功碑から戎橋、法善寺までを2時間半もかけて

ゆっくりと歴史を訪ねて歩いた

道頓堀界隈は大阪検定試験に際してそれなりに

勉強したつもりなので引率者の説明は興味深くて

よく理解することができた

案内人さん推奨のそば処、三代目があいさつ

 

きれいになった道頓堀に観光船が・・・

道頓堀といえばかっては芝居の街で道頓堀五座

といわれた歌舞伎や人形浄瑠璃を上演していた

弁天座、朝日座、角座、中座、竹本座があったが

いまはすべて消滅してその跡に今は面影もない

くいだおれ太郎 !

 

やっぱりたこ焼き !

e

わずか歌舞伎の松竹座がその流れを残している

だけでさみしい

竹本座跡の碑 ↓

うどんの今井から浮世絵小路を通って法善寺へ

この小路が意外と知られていない

自分も数年前にミナミに住む友人に教えられる

までは知らなかった

 

法善寺を歩いて最終の戎橋へ

水かけ不動

小田作之助の歌碑

さすがに人が多くて外人観光客でいっぱいだった

田舎から大阪に出てきて最初の仕事場になった

のが心斎橋で結婚後は南海沿線に住んでいた

戎橋上から心斎橋筋へ ↓ 戎橋筋へ ↑

おなじみの看板

戎橋は通勤でいつも通っていたので思い出深い

その戎橋も新しい橋に変わったが周辺の雰囲気

もまるで変ってしまった

 

しかし庶民的で活気があり大阪のにおいがする

戎橋、道頓堀界隈はやっぱり好きだな !

 

天気予報に反し時折ぽつりぽつりと雨が落ちて

きたかと思うと晴れたり、冷たい風にまいったが

元商店街の理事長をしていたという案内人さん 

の地元愛と博識に楽しいひとときを得た

 

この町の成り立ちや移り変わりが独特の文化を

生み大阪らしい風土をつくり歴史を積み上げて

発展してきた

 

そこに興味の目を向けると自分の知らない大阪

がいくらでもあることに気が付く

 

関西の検定試験に際しそれぞれを学んでみて

試験後に関心が一番持続しているのはズバリ

大阪だろう

 

だからウォーキングは大阪街歩きにもこだわって

みたいと思っている

 

解散後、いつもの金龍で

 


嬉しさと悔しさの一日。

2013-04-14 22:37:53 | ウォーキング

お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で京都の

宇治を歩いた

いまの宇治は桜の時期が追わり宇治川をはさんで周辺

はいっぱいの新緑に包まれて落ち着いた風情だった

 

宇治といえば世界遺産の平等院鳳凰堂、それがいまは

改修中でみられない

さらにもう一つの世界遺産の上宇治神社も拝殿を改修中 

で宇治の観光客はかなり減っているように感じた  

 

しかし宇治には古典文学で誰もが知っている源氏物語の

五十四帖のうち後半の十帖が宇治を舞台にしており歴史

とロマンの文化遺産がいっはいにあって散策に尽きない 

 

今日はその歴史遺産と宇治十帖跡めぐりに天ヶ瀬ダムを

織り込んだウォーキングコースを京都メンバーがお世話

をしてくれて楽しく歩くことができた

 

天ヶ瀬ダムへの急こう配の坂道を先頭で歩き続けたのが

倶楽部のベテラン女性メンバーで必死に追って行ったが

腰痛で苦しい自分は太刀打ちができず距離は開くばかり

で恐れ入った

 

予定のコースを完歩した後はお茶の本場、宇治ならでは

のお茶の飲み方を茶房で体験しながら味わった

 下見して内容に工夫してくれた京都組にみんな感謝!

 

ただ歩くだけでなくさまざまな工夫をして世話をしてくれる

メンバーのおかげで主宰者の自分がすることは何もない

現役の人に限定しているのでこの種の健康ブログラムを

続けていくことは難しい

設立して12年、これもひとえにメンバーに恵まれたおかげ

いまが一番充実している、ありがたい!

 

73歳のスタートは楽しいプログラムで始まったが実は・・・

大事な分身の「デジカメ」を電車内に置き忘れみつからず

つい先日の新人研修の記録や大事なデータを含めて多く

のものをデジカメに挿入していたカード共に失った

 

たった3分間、座席を空けていた時になくなっていたので

戻ってはこない・・・・

2年間も愛用した分身だったので悔しい!

 

そんなもやもやした気持ちを切り替えるためにも40日ぶり

スポーツクラブへ行った

まだ筋トレができる状況ではないが気持ちを切らさぬよう

自転車こぎを20分、そして筋トレと運動を休んでいたことで

体にどんな変化があったか、それを知りたくてインボディ

チェックを受けておきたいと思った

その結果は明日にブログアップしたい。


さくら見物!

2013-04-04 20:53:26 | ウォーキング

今朝はさすがに目覚めが遅かったが

さほど疲れを感ずることはなかった

 

それでもハードな二日間だったので

今日はのんびりと休養することにして

 

ご午後から大川沿いの桜見物にいった

中之島から天神橋、天満橋、川崎橋を

渡り歩きしなが大川の桜を楽しんだ!

 

すでに満開は過ぎて散り始めていたが

大変な人出でやっぱり大阪の桜の景観

は中之島から桜ノ宮公園だな!

 

次の合宿のいい休養になった。


京都の旧会津藩の足跡を訪ねて。

2013-03-21 23:17:54 | ウォーキング
朝から晴れ上がり暖かくなりそうな予感がしたので
西本願寺へ彼岸のお参りに出かけた

10時過ぎに着いた京都駅はすでに大勢の観光客で
にぎわっていた

西本願寺に参ったあとは京都御苑の桃園へ行きたい
そこからは今年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」で
京都守護職として会津藩が本陣を構えた金戒光明寺
を訪ねて余裕があれば(もっか腰痛)哲学の道沿いに
ある法然院の椿を見に行きたい

一向に回復しない腰痛にすっかりと行動をさし止め
されているので痛みは我慢しても歩いておきたい

まず京都駅から西本願寺を目指して足慣らし・・・


御影堂門から入る


年に二回は訪れる西本願寺も半年ぶり、春の暖かい
陽光をいっぱいに受けて御影堂と阿弥陀堂が並んで
いる姿は一段と威容で圧倒される



御影堂は東西48m、南北62m、高さ29m 
親鸞聖人の御真影(木造)が安置されている


腰の痛いのは我慢して畳の大広間に座って親鸞さん
の遺影を眺めていると不思議と安らぐんだ


阿弥陀堂 東西42m、南北45m、高さ25m 
阿弥陀如来像が安置されている


団体で来ていた人達が焼香をしていた


御影堂の廊下


本願寺を出て堀川通りを京都御苑を目指して上がる
ここはウォーキングのつもりで・・・


通りにもすがすがしい春が・・・


歩きなれた通りなので適当に路地に入ったりしなが
ら二条城まで歩いた


腰痛がかなり応えてとてもウォーキングとはいえな
かったかもしれないがとにかく二条城を経由で京都
御苑に着いたら12時半になっていた


暖かすぎるくらいの日差しを避けベンチに腰掛けて
途中で仕入れたパンで昼食代わりした

楽しみにしてきた桃園の桃はいまが見頃、4~5年
ぶりだったが前のイメージの通りできれいだった


真っ青な空をキャンパスにして


こっちも負けていない!


梅林の梅はかなり散っていたが遅咲きの種類なのか
まだきれいにそいている木もあった


大きな梅の古木もこの通り


梅キャンパス!


人気ひとり占め


もうひとつ楽しみにしていた近衞家邸宅跡の枝垂れ桜は
ちょうど満開でこれはラッキー!
青空に映えるピンクの枝が風に揺れて大勢の人が一斉に
シャッターを押していた


桃園のすぐ近くにはおなじみの蛤御門がある
多分、次の日曜日の大河ドラマではここで繰り広げ
られたのシーンが出てくると思うのだが・・・

1864年、この周辺で御所の警護にあたっていた
会津・薩摩・桑名藩と長州藩との間で激戦が行われ
その戦いが「蛤門の変」といわれている


その時の砲弾の跡が今でもはっきりと残っている


御苑内には神社もあるよ


左-琴平神社 右(中)繁栄稲荷社


京都御所の正面、建礼門の前を行く


正面に大文字山の大の字がくっきりと見えてくる


ここから金戒光明寺へ向かったが途中、御苑の東側
の寺町通りにある新島旧邸を訪ねてみた

そこは同志社を創設した新島襄の住まいであったが
後に妻となった八重はここで亡くなるまで過ごしたそうだ


見学には予約が必要ということで外から見るだけに
なったがモダンな建物でいつか再訪してみたい


ドラマの「八重の桜」がきっかけになっているのか
イベントも催されているようだ


鴨川にかかる丸太町橋をゆっくりと渡る
気持ちよい春風がすーと体を通り抜けていくような
気がしてあー来てよかった!


川岸の柳も柔らかな日差しを浴びてうれしそう


丸太町通りを平安神宮の裏手まで行き14時41分
に金戒光明寺の門前についた


門前の会津藩殉難者墓地の大きな碑が立っている


金戒光明寺の魅力の一つは巨大な山門なんだが今は
改修中で見られなかったのが残念だった!
パンフレットは桜の山門から御影堂が見える


金戒光明寺は23年5月に来てから2年ぶりの再訪
法然上人が比叡山を降りて最初に草庵を結んだのが
このお寺の始まりで浄土宗七大本山のひとつ


御影堂でしばらく坐ってゆっくりさせてもらった


御影堂横の熊谷直実の鎧掛けの松


金戒光明寺は、大河ドラマ「八重の桜」に登場して
くる会津藩の松平容保が京都守護職としてこの寺に
本陣を置いていた

幕末の京都の治安維持と倒幕派の取り締まりのため
新撰組を下に置いたことでも知られている

長州藩との蛤門の変や伏見鳥羽の闘いで亡くなった
会津藩の墓所が境内の一番奥にある
ここまでは坂道と階段が続くのでほとんど人影はない


訪れるのは二度目、それは立派な墓所だ


此ハ會津人の聖地デス 礼節ヲ持ッテ墓参シテ下サイ
と書かれている


高台の墓地で眠っている人たちのことが忘れられない
できちんと守られているように思えた


それは立派な墓所で今日も掃除をしている人を見た


會津墓地保存会の碑


周りに花や写真が置かれていた
鶴が城の写真だろうか?帰れなかった城をせめても
見せてあげたいという思いからだろうか


影で活躍をした会津子鉄の立派な墓もある


墓地に行く高台にある三重塔は徳川秀忠の菩提を弔う
ために建立された


その秀忠に嫁いだ二年前の大河ドラマの主人公だった
「江」の立派な供養塔もある


金戒光明寺の桜はまだつぼみですぐに咲く気配では
なかったので見頃は月末あたりかもしれない

次に行く予定だった法然院へはやはり腰痛がきつい
ので断念してバスで京都駅へ直行した


京都駅ビルに映っている向かいの京都タワー


親鸞さん、法然さんという偉大な宗祖の遺影に接する
という得難い一日を過ごすことができてありがたい!

歩数計は約24000歩になっていた
腰のことを心配してくれる人がいるかもしれないが
機嫌よう歩いてきたので心配は無用です。

雨の枚方宿。

2013-03-10 18:52:21 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の3月例会で
江戸時代に大坂と京都の中間にあって交通の要所と
して栄えた京街道・枚方宿を訪ねた

淀屋橋から京阪特急で集合場所の枚方市駅へ向かう
先頭車両のまた先頭座席をゲット!



ここは鉄道ファンにはおいしい特等席でしばらくは
鉄ちゃんおじさん!



駅の集合場所に行くとすでに全員の顔が揃っていた
事情で欠席者が増えたが参加者11名でスタート!



今回は地元枚方に住むH&Kさんコンビが担当して
午前中はガイドさんまで付いて本格的歴史ウォーク
を企画してくれた



「宿」とつくと東海道五十三次を完歩した自分の血
が騒ぐ!

といってもここ「枚方宿」は東海道五十七次、大坂
と京を結んだ京街道4宿のひとつだ

豊臣秀吉が築いた淀川堤防(文禄堤)の上を東海道
の延長として整備し「伏見」「淀」「枚方」「守口」の4宿
を置いたことから57次と言っているが京街道とか
大坂街道とも言っている

今日はその枚方宿の東の入り口の東見附から西見附
間を中心に周辺の枚方の名所をガイドさんと訪ねて
午後からは淀川の河川公園を思い切り歩こうという

ちょうど10年前に琵琶湖から大阪湾まで歩いた時
この枚方の京街道も歩いているので懐かしくもあり
楽しみにしてきた

枚方といえば天野川伝説、天野川をいったん渡って



ガイドさんの説明を聞く、お勉強!



再び天野川を渡って川に沿い左折してすすむと



枚方宿東見附跡へ着いた、ここがかっては枚方宿の
東の出入り口があったところ



ガイドさんの説明についつい口をはさんでは宿場の
解説をしてしまう・・・やりにくいやろうなと反省!



静かな街道に入ると問屋役人を務め村と宿の運営に
影響力を発揮していたという小野邸跡が遺構として
保存されており



隣に古い梵鐘と近代的な建物に生まれ変わっている
浄行寺へ



耳がふたつに口ひとつ 多くを聞いて少し言うため
 アー自分に言うてくれてる!



こんなことも書かれている
 人間には答えの出ない悲しみあり

さらにすすむと背丈の低い枚方橋の石柱があった
でも川がないぞ?
案内によるとかってここには安居川が流れていて
現在は暗渠になっているそうだ



街道では第二日曜日に開かれるという
「くらわんか五大市」の日で大変な賑わいの人混み
の中を行く



賑やかな通りの角に大きな道標が立っている

道標には東海道は、この辻の北へ、右へ大坂方面へ、
くらしたきの表示もあり重要な交通ポイントだった
と思われる

ここを宗左の辻といったらしく江戸時代に角野宗左
という人が製油業を営んでいてそう呼ばれるように
なったらしい



空模様があやしくなり気温も下がってきて腰の痛み
が激しい・・・昨日までの暖かさはどこへ行った!

ブログで事情を知っている女性メンバーが心配して
くれるがここで心配をかけるわけにはいかないんだ!





宿場街の名残のある建物、老舗がずいぶんとある



きれいに咲いてるなー



混雑していた街道から小高い万年寺山の意賀美神社
へ、この上り階段にきて足が上がらない・・遅れる!





なんとか先に行くメンバーの姿を見失わないように
意賀梅林でおいつきここで一息ついた
梅はきれいに咲きそろい満開だった!





そこから枚方市の指定天然記念物という「椋の樹」
を訪ねた、樹齢が600~700年とか



途中で森繁久弥さんの生家の前を通ったがすぐそば
で知人に遭遇してお互いにびっくり!



通りの家にも春満開・・・



やさしい街だな



京阪電車、踏切で5列車も待った、撮り鉄でいこ!



来た、特急!



ちゃんと並んで・・・



お寺が多い、このあたりは浄土真宗が寺内町を形成
していたようだ、浄念寺



お寺の掲示板は生きる教科書、浄土真宗、浄土宗の
お寺にはおことばがある、これも楽しみのひとつ!



これ商品か飾りものか?



ふたたび街道に戻り名物のくらわんか餅のにおいに
さそわれて全員一個だけ、おやつにした



枚方宿本陣跡についたが何も残されていなかった
かってはここらが中心地だったのかもしれない



枚方宿の問屋役人だった木南喜兵門家



宿場の西の出入り口、西見附跡でガイドさんとお別れ



雨で昼食場所は公設の会館に変更してくつろけだ



午後のスタート、ウォークの本番、淀川の河川公園
に向かったが雨は本降り、強い風に傘があぶない



途中まで行ったが川風が強い淀川の河川敷のコース
行きは断念して引き返すことにした



自分の腰も限界、寒さがきつい!

戻り道は枚方宿を語る時にここが一番、指定文化財
の「鍵屋」資料館に寄った





鍵屋は、天正年間に創業されたようで江戸時代に大坂
--京・伏見間を行き来した「三十石船」の船宿として
栄えたそうだ

その三十石船の乗客に「酒くらわんか、餅くらわんか」
と物を売り付けた煮売船は「くらわんか船」と呼ばれ
長い船旅に退屈した旅人から大変親しまれたらしい

淀川三十石船唄に「鍵屋裏には碇は要らぬ三味や太鼓
で船止める」と歌われている

いまの鍵屋は19世紀初頭の建築されたもので表玄関
を街道に開き、裏口は淀川に接していて船の乗降りに
最適な構造になっている

確かにその構造を見て見事な作りだと感心した!



資料館の入り口に、いい香りがしていたが何の花?
沈丁花かな?



そのまま引き返して枚方市駅近くでお茶タイムにした
しばしここでミーティング?

小柄な体でパワフルな女性のMちゃんがスロージョグ
を始めた話で盛り上がった
これでおばさんメンバー4人が全員走り始めた!

ほんまに驚くそのパワー、それも心のパワーがすごい!
みんな仕事現役で、孫々ちゃんもいるメンバーなのに
健脚の上についに走りだした、止まらない!

こちらが腰が痛いとぐでぐで言っている間にも彼女達
はどんどん走っているらしい、まいったよ

しばし話し込んで解散、おじさんグループは駅に向か
わず別の方向へつれ持って行った
少し早い黄昏ウォークなんだろう

どうせ早く家に帰ったって邪魔なだけだろうからなあ
それも例会に参加する楽しみなのだろうからご自由に!
と思いながら女性軍と電車に乗った

この人たちは家で主婦業が待っている
おじさんたちはうろうろして風邪ひこうと知ったこと
ではないが女性軍を風邪ひかせるわけにはいかんのだ

せっかくきちんと準備をしてくれたH&Kさんコンビ
にはコースの半分も歩けなくて残念だったろうと気に
なったが又の機会もあるだろう

今日もしみじみと思った
何も遠くまででかけなくても自分の住む地域に関心を
もって歩いてみればいくらでも見どころはある!

担当してくれるメンバーが地域密着のウォーキングを
積極的に企画し担当してくれるようになって例会内容
が大変充実してきた

特定の人間が運営をしている限り個人の力量の範囲で
いずれマンネリと使命感だけで息詰まってしまう
会員は人任せのおお客さん会員になってしまう

うちは例会すべてを倶楽部の部長を中心に全員が担当
をしてお互いに積極的に協力をしあっている

下見も資料もいらない!と言っているが下見はやるし
資料もそれなりに準備してくれる

それも楽しそうにやってくれているので気持ちがいい
おかげでマンネリにもならず毎回楽しい企画で楽しい
だから自分の出番はまったくお呼びでない!

お客さん会員はいらない!
と言いながら主宰の自分が一番のお客かもしれない?

任せれば人は動いてくれる
そして個々の意識が向上し倶楽部のレベルも上がる

歩くだけの会ならあえて自分がお世話することはない
もっと人間として大切な学びがあるはず

みんなそのことを理解して参加してくれていると思う
もしかしたら自分が教えられているのかもしれない
今日もそのことをしみじみと思った

すばらしいメンバーに恵まれ感謝している!

花とおじさん


琵琶湖畔に菜の花を訪ねて。

2013-02-14 22:39:30 | ウォーキング
昨日のブログにも書いた琵琶湖畔の菜の花を訪ねて
9時半過ぎに新大阪から湖西線の堅田駅に向かった

堅田駅は比叡山のふもと、駅前に出ると風が冷たい

”おー寒い!”

まず琵琶湖大橋を目指してしっかりウォーキング!

だんだんと体も温まって快調といいたいのだが腰に
痛みが残っていて決して万全ではなかった

琵琶湖大橋の手前にある道の駅に寄って昼食を確保

(道の駅からこれから渡る琵琶湖大橋)

いよいよ琵琶湖大橋を渡り始めた


全長が約1400メートルの琵琶湖大橋
この橋を歩いて渡るのは何度目になるか?


多分、10回以上は往復していると思う

橋の最高地点(てっぺん)からの眺めはいまひとつ
今日はあいにくの曇り空のせいか、両岸がかすんで
寒々と見えていつもの絶景ではなかった


橋は途中で大津市から守山市へ入る


渡り終え湖岸道路をすすんで行くがやっぱり冷たい!


やがて前方に黄色のあざやかな菜の花が見えてきた


この菜の花畑を最初に見たのが平成16年2月8日
で琵琶湖一周ウォークを一人でしていた時にここを
偶然に通りかかってきれいな菜の花に目を奪われた

http://www.human-dy.com/biwako-2.16.2.08-1.html
(琵琶湖一周ウォーク16.2.8のHP)

あれから毎年のように来ているが昨年はタイミング
が悪くてとうとう来られなかったので今年こそ!
と1月からチャンスをじっと待っていた

ここの楽しみは対岸の比良山の冠雪を背景に菜の花
を撮ること
しかし撮影スポットは三脚さんに占領されていた

ところが今日はその比良山が雲に覆われて全体の姿
を見せてくれない


真ん中の白い塔のようなものは湖上のヨット


はるか沖ノ島と右奥かすかに雪の伊吹山


それに例年より雪が少ないみたいで思惑が外れた!
菜の花も盛りを過ぎていたがほのかな匂が風に運ば
れてあたりりいっぱいに漂っていた


太陽が顔を出しても向かいは曇ったままでどうにも
ならず湖畔で時間待ちしながら弁当を食べた

(正面左が沖ノ島、右が長命寺山)

じっとしていると湖上からの風で湖畔は寒い!

すぐ近くに大型リゾートホテルがあるがここは研修
でよく利用したことがあった
泊まったこともあるのでこのあたりはなつかしい所


ここ湖岸のさざなみ街道は琵琶湖一周ウォークで歩いた道

再び菜の花畑に戻ってみたが相変わらず向かいの山
はてっぺんが雲に覆われたまま・・・


こんなかわいいモデル?さん


名カメラマン


いいなあ・・・画伯 


花とおじさん


残念だけどとうとう諦めて帰ることにした!
琵琶湖大橋の近くまでくると、なんと、比良山の雲
がとれてきたではないか


引返して撮影してこようかと思ったが冷えたのだろ
腰の痛みが復活?して引返す気持ちをなくさせた

今度は琵琶湖大橋を守山市側から大津市側へ渡った

橋の上からの景色もとてもきれいに見えた


そのまま堅田駅までウォーキング、駅からこんなに
きれいに雪山が見られた


早い時間だったが午後2時39分の新快速に乗って
3時半過ぎに戻ってきた

仕事場のビルに戻ってきたら受付で「チョコレート」
を預かってくれていた
「義理」か「本命」か、それとも「ついで」か?


”わー、バレンタインさんが来た!”

奈良検定合格祝いの品も入っていた

合格発表は25日でまだ合格とは確定していないんだ
けど・・・まあ、自己採点で○だからもらっとこ!

ここを読んでくれていたら○○さん
わざわざ届けていただきありがとう!

あー、今日はいい日だった

大した距離を歩いたわけではなかったが
誰にも気兼ねなく一人の時間をきままに
過ごせることができて心身のリセットになった

”外に出よう!”
これは自分の口癖
もちろん自分に言い聞かせているんだが。

ウォーキング例会。

2013-02-10 19:14:06 | ウォーキング
朝から絶好のウォーキング日和!

お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会

で午前10時に近鉄奈良線の瓢箪山へ集合した


先月の1月例会は奈良検定日と重なって例会を

休んだために年末の例会以降、久しぶりに元気

なメンバーとあった


今日のコースは生駒山の麓を瓢箪山から石切り

までひと巡りする初心者参加を想定したコース


瓢箪山駅から商店街を通って瓢箪山稲荷神社へ

グループだったからか神社の人が説明してくれた


ドキッ!


この稲荷神社は日本三稲荷の一つ

創建は天正11年(1584)豊臣秀吉が大阪城築城

にあたり巽(大阪城の東南)の方向三里の聖地に

「ふくべ稲荷」を鎮護神として祀り金瓢を埋めて

尊崇篤かったといわれている(パンフレットから)


本殿の背後にある小高い小丘が「瓢箪山古墳」で

瓢箪に似た形状からこの一帯が「瓢箪山」と呼ば

れるようになったらしい


境内のいたるところにある狐の置物の数に驚いた!


ここから生駒山に向かうよう急な坂道を上り歩く

久しぶりのウォークでこれはきつい!

思い出したかのように腰痛が出てきていやな気分

になった


やがて東大阪市立郷土博物館へ着いて一息つけた

ここは見学コースで時間をとって館内を職員さん

の説明をいただいた


生駒山の麓には古墳群が点在しており発掘された

貴重な考古物が数多く展示されて東大阪がいまの

大阪では歴史的に古い地であることを知った


山麓にそって山畑古墳群を枚岡神社に向かった


体も温まり古墳群の道は気持ちよくて眼下はるか

に広がる大阪市の眺めもすばらしかった


小さな水仙郷とメンバー


梅二輪 二輪ほどの暖かさ!


楽しみにしていた枚岡梅林の梅はまだ固いつぼみ

のままで素通りをすることになった


少しすすんで二年ぶりに枚岡神社へ寄った


近鉄奈良線に沿い額田駅で線路を横切ってすすみ

途中で本日の担当者が下見の時に味見しておいし

かったという揚げたての「コロッケ」を買い込み

昼食の予定地、東石切公園に向かった


暖かく快晴の空の下、あつあつのコロッケを食べ

ながら目の前に広がる生駒山を眺めていた


もう二年前になるのか、伊勢街道歩きであの山を

暗峠越えしたこと、生駒山上を二度も縦走した時

のことをなつかしく思いだした


次は石切大仏へ、ほんとうに久しぶりだった

ここから下るように石切神社へ向かう

参道には「占い」の店が沢山あって占い参道だ!


石切神社はとくに関西の人には「石切さん」と呼

ばれて親しまれているおなじみさんだ


その昔に腰に大きな腫れ物ができて困っていたら

”石切さんがでんぼの神さんやから行っとおいで”

と知り合いに言われた

”でんぼ?” 

石切神社は「でんぼの神様」として知られている

腫れ物やできもののことを関西では「でんぼ」と

いうらしい


それ以来、何度訪れたことやら・・

石切さんは鳥居をくぐるとすぐ目の前に「お百度石」

が置いてあり、そこからまっすぐ本堂の前に行くと

もう一つお百度石が置いてある

このお百度石の間を時計回りにくるくると回って

願い事をするのがこのお寺の特著札が、今日も大勢

の参拝客が列をなしてお百度まわりをしていた


ウォーキングの後半は道中のカフェでお茶タイム

しばしミーティング、これも大切な交流時間


朝スタートした瓢箪山駅を目指して一気に歩いた

無事ゴール!気持ちのいいウォーキングだった。


初心者の参加を想定して短いコースにしたために

健脚メンバーには物足らなかったかもしれないが

みんなの笑顔を見て

ウォーキングはやっぱりいい!

後半のしっかりウォーキングで腰痛も吹っ飛んだ!

気持ちのいい一日だった。


大阪七福神巡りウォーク。

2013-01-03 23:06:26 | ウォーキング
3日に書き込みができなかった表題の大阪七福神巡りの
ことを一日遅れになったが3日に戻って書き込みたい

年末29日の日経新聞に七福神巡りの全国ランキングが
紹介されていた

一位が大阪七福神で以下は次の通り
二位 東京・谷中七福神
三位 京都・都七福神
四位 鎌倉・江の島七福神
五位 隅田川七福神
六位 日本橋七福神
七位 柴又七福神
八位 神戸七福神
九位 淡路島七福神
十位 東京・山手七福神


(日経 2012.12.29)

わが家では息子から家内へと相棒は変わってきたが毎年
のように三が日には大阪七福神巡りをしてきたので恒例
のウォーキング行事?で珍しいわけではない

去年は元旦に家内と巡り歩いたが今年は家内の体調不良
のため久しぶりに一人巡りをすることにした
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20120101
(2012.1.1)

箱根の大学駅伝のテレビ放映を途中で切り上げて12時
過ぎに大阪駅へ、環状線でスタート駅の玉造で下車した



大阪七福神巡り

玉造交差点は二日前の初ランで走ったところ、七福神の
スタートは①三光神社から



ここには長寿延命の「寿老人」が祀られている 
三光神社は大阪の陣で真田幸村が大阪城からの抜け穴を
掘ったことで有名で境内には真田幸村の像や抜け穴の跡
がある


七福神巡りの別の楽しみは「ご朱印」を集めて回ること
色紙大の台紙を買って朱印をいただきながらお参りする
人がたくさん見受けられる

ただし三が日は参拝者が多く朱印をもらうのには時間が
かかるので最近はもらっていない
これは何年か前に息子とお参りした時に書いてもらった
ものだ


三光神社から静かな上町台地を上っていく
この辺りは史跡の多いところ、大昔の大阪は上町台地が
半島のようになっていて東は内湖、西は海だったところ
それだけ歴史的にも史跡が多く集まっていて歴史コース
になっている

悪縁を断つお寺・・・こんな表示の小さなお庵がある
ここも真田幸村ゆかりのお寺で大坂攻めの時に真田幸村
はこの八幡宮に必勝を祈願し幹に鎌を叩き込んで決意を
表したという
以来その鎌を打ち込む風習が残り鎌八幡と呼ばれている
悪縁を絶つ寺として有名らしい


ずっと長いこと祈り続ける女性がいて終わるのを待った
他にも女性が五人来ていたが立ち去る雰囲気はなかった
なにか悩みごと、悪霊に取りつかれてきたのだろうか?
国文学者の「契中」の墓もある


七丁目交差点に出る手前、道路の真ん中に大きな木の下
に小さな天神様が祀ってある島のような光景に出くわす
「楠木大神」、地元では「クスノキさん」と呼ばれている


ここにお参りして七丁目交差点を渡る前に谷町筋を少し
南へ、ビルの谷間にひっそりと眠っている近松門左衛門
の墓にお参りした
いまさら近松門左衛門について語ることはないのでパス

そういえば文楽は今日が初日のはずだ


七丁目の交差点をわたるとすぐ左に
②長久寺がある
日蓮宗の「福禄寿」
鉄筋コンクリートの建物に入るとすぐ右手に福禄寿さん
の穏やかな顔と対面できる、このお寺は淀君の命で建立
されたと聞いている


ここでもご朱印をもらうのに待っている人が何人もいた

この辺りは谷町筋という名前の通りお寺が密集している
地域で個人的に大好きなエリアなんだ

特別に信仰心が深いわけではないが子供の頃、祖母の伴
をしてお寺参りをしていたのが身体にしみ込んでいるのか
もしれない・・・
線香のにおいがたまらなく好きでお香もよくたくんだ!

お寺巡りをして楽しいのは門前の掲示板に書かれている
言葉をいただくこと

今日も門前をのぞきながらデジカメで写真を撮っている
自分を不思議そうに見ている視線を感じた



通りの一角から・・・あっ自分を拝んでくれている







ずっと歩き続けて高津神社まできた
ここは有名なお寺で大勢の参拝客がきていた


少し南へゆきすぎて元旦に走った千日前通りにきた
走ったコースにそって国立文楽劇場前にきた


「本日初日」「満員御礼」


文楽大夫で人間国宝の竹本住大夫さんが初春公演舞台に復帰



遠回りになったがお昼は道頓堀の金竜ラーメンに行った
道頓堀は人であふれていて通りが食事待ちの行列!


道頓堀川にもゆりかもめがいっぱいいた、川がきれいに
なった証拠だな


堺筋の日本橋を北へ向かって渡って東へ50メートル
③法案寺
ここは知恵財宝の弁財天が祀ってある、弁財天は唯一の
女神だそうだ

もともと生国魂神社の神宮寺であったらしい
歓楽街に近いからかいつ来ても参拝客に女性が多いよう
な気がして今日も女性ばかりだった




千日前筋の雑踏の中を行くとここはヨシモト!なんばグランド花月


そして向かいの上方演芸資料館ワッハ上方のあるビルの
J堂書店に寄った
書店を見ると入りたくなる・・・
あーまた買ってしまった!
ここで想定外の時間を過ごしたことが後にひびいてくる

堺筋を日本橋のでんでんタウンへ、ここもすごい人だ
外国語がやたらと聞こえてくる
大阪七福神巡りで場所が意外とわかりにくいお寺だ

④大乗坊(宝満寺)
ここは金銭財宝の「毘沙門天」が祀られている 
元は四天王寺の東北方、牛崎にあった寶満寺37坊の1つ
中は薄暗い、線香を買ってあげさせてもらった


南海電車を越え大型ショッピングセンター難波パークス
を通り過ぎて26号線へ、そして南へ一直線に急いだ

⑤大国主神社
打ち出の小づちでおなじみ、福徳開運の大黒天さん
ここでは大国さんのお遣いといわれる愛らしい白ねずみが
迎えてくれた


賽銭奮発!


地下鉄大国町駅を左折して南海電車高架下を通って次は
⑥今宮神社
商売繁盛「えべっさん」の名で親しまれているこの神社では
毎年1月10日に今宮戎でにぎわう
大阪人なら誰でも知っている超有名な神社だ
これから行く四天王寺の西方守護神として創祀されたとか




ここから最後の七番目の四天王寺を目指して行くが陽が
陰ってきて冷い!
今日は格別に寒い!
温かい飲み物が欲しくてコンビニへ
そして大好物のどら焼きを買って食べた
歩きには羊羹かあんパンかどら焼き、こいつが欲しくなる

右手に通天閣が見えてきた、あそこも大変に人出だろう


途中の閻魔堂へ寄った
ここですばらしい出会いがあった

相談ごとに来ていた中年の夫婦の後ろで聞いたいたら
途中で”私が話しかけているのは後ろのご主人や!”
と言われてぎくっ!
同じ72歳
自分には敷居が高い人だが学べる人には学ばんと!
”命がけで生きないと・・・”
その言葉が耳から離れない
「命がけ」
あちらから二度も握手してきた
長くなるので割愛するがその人にまた会いに行く!


ここでも思わぬ時間をとってしまった


四天王寺の布袋さんは4時までしか見られなかったはず
気になっていたがもう時間的に間に合いそうもないので
途中の真田幸村ゆかりの安居神社に寄った
ここは大阪夏の陣で幸村がなくなったといわれている地


真田幸村像


結局、四天王寺に着いたのは4時10分だった

聖徳太子建立の七つの寺の一つ、日本仏教の最初のお寺
鳥居の日本三鳥居の一つ

⑦四天王寺 布袋堂は閉まっていた!


福々しい笑みで笑門来福の「布袋尊」は何度も見ている
四天王寺は593年に聖徳太子が建立した日本仏法最初の
寺で南から北へ中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ
それを回廊が囲む四天王寺式伽藍配置は日本で最も古い
建築様式の一つといわれいいる
南門からの眺めはすばらしい
ここは中門から、後ろ五重塔


四天王寺の布袋尊は、乳布袋と呼ばれて乳が出ない人
には乳を授け出過ぎて困る人には乳上げを授けるという

五重塔が夕陽を受けて


予定していた時間を過ぎたが七福神巡りウォークは無事
周り終えた


あまりも冷たいので今日は仕事場へ寄らずに自宅へ直行
することにして天王寺駅ビル内の喫茶店で温かい飲み物
でしばらく休憩をした

夜、9時からテレビで映画「麒麟の翼」をやっていた
すでに映画館で観ていたがお江戸日本橋の欄干にある麒麟
の翼をまた見たくなったのとストーリーに日本橋7福神が
登場するのでそちらは映画でお参りをするつもりで観た

七福神は全国いたるところにあるが最近ではウォーキング
団体が年頭のウォーキングコースにするようになったため
ファンが増えてきたのだと思う

いずれにしても七福神巡りは実際に歩いて訪ねるもので
書いたり読んだりするだけではあまり意味がないと思う
車で朱印を集めている人を見かけたがなんでも車!
正月くらい自前の車で訪ねたいね!

元旦 約22、000歩
3日 約21、500歩

雨の堺まるごとウォーク。

2012-11-11 22:46:40 | ウォーキング

(雨の堺市大仙公園)

朝から雨の中をお世話をしているウォーキング
倶楽部の11月例会を開催した

コースは歴史の町、大阪・堺市の名所を丸ごと
歩こうというもの

堺在住の若手女性会員のMさんが案内役を務め
雨にも負けず楽しく元気よく堺市を歩いた

(南海電車堺駅すぐの南蛮橋・右から2人目の
後ろ向きの人はポルトガル人?のブロンズ像)

わが国最大の古墳・仁徳天皇陵が代表する古墳
時代の堺、千利休を代表として茶文化の発祥の
堺、ポルトガルやスペインを中心とした交易で
で南蛮文化が栄えた堺。

(仁徳天皇御陵前)

(臨済宗南宗寺山門-国重要文化財)

(南宗寺仏殿-国重要文化財)

(南宗寺徳川家康の墓の前から)

鉄砲の伝来でその技術をもとに築きあげた鍛冶
技術で刃物から自転車まで伝統産業を創り上げ
た堺。
戦国時代から信長、秀吉、家康の直轄地として
堺は重要な都市として発展した。


その足跡がいまなお残る堺市は歩けば歩くほど
興味深くこれまで何度も訪ね歩いてきたが今日
もその思いを新たにメンバーと楽しく歩いた

(雨の大浜公園)

ゴールして南海・堺駅前の店で雨に濡れた体を
休めて帰ろうとティタイムにした

ここでのフリートーキングはそれぞれの思いや
人柄がよくわかるので貴重な時間になっている

女性軍の歩数は約25,000歩だったらしい。

・・・ちょちと堅い話かな

今日はこんなところで・・・・

そうそう思い出した
雨で昼食は店ですることにして堺通ならだれでも
知っているちく満へ案内した

ここのせいろ蒸しそばは超有名で何度も来た事
があるがもう何年ぶりだろうか

女性軍は1斤、男どもは1.5斤


向こうの席から50年も通い続けているという
おじさんがあれこれと話しかけてきた
片道15キロを店まで車で通ってくるそうだ!

帰り際に司馬遼太郎の街道をゆくにここの店が
紹介されていると聞いた

そう言えば?と思いだし自宅でその本を探して
かなり昔に読んだ街道をゆく④を開いてみた


司馬遼太郎があの店を訪ねた日があいにく定休
日で食べられなかったことが書かれていた

ついでに

あの店から紀州街道を横切り南宗寺に行く予定
になっていたので茶文化の影響で発達した堺の
代表的な和菓子の店、かん袋へも案内した

秀吉が名付けたという「かん袋」はくるみ餅で
わが家の家内も大好き、大半のメンバーが土産
に買っていたが果たしてお味は?

かように堺はバタバタと素通り歩きをするのは
勿体ないところ、歴史に関心があると歩き方も
違ってくるから吟味して行くとよい。

ウォーキング例会20キロ。

2012-10-14 22:44:20 | ウォーキング
秋空の下、お世話をしているウォーキング倶楽部の
10月例会を開催した

午前9時半、JR環状線大阪城公園駅に9名が集合
コースは11月25日に開催される大阪マラソンの
大阪府庁前から中間の大阪ドームまでの20キロを
歩くことにした

スタートの大阪府庁前まで移動してゴール目指して
スタート、今日のリーダーは女性のYちゃん、昨日も
8.8Kmをランニングしたというのにスタートから快調
おっかけるのに必死になった

環状線にそって玉造筋を南下、下味原交差点を右折
して千日前通りを西へ、国立文楽劇場前を通過する


大阪の繁華街ミナミのど真ん中、千日前をどんどん
すすみ御堂筋へ出ると右折し大阪駅方面へすすむ

今日は御堂筋の本町から淀屋橋の間が歩行者天国に
なって普段は車でいっぱいの道路で様々なイベントが
行われる「御堂筋kappo」の日


いつのまにか空模様が怪しくなってきた
すでに大勢の人が御堂筋を埋めている


その一か所、南御堂で東日本大震災復興支援として
「大船渡サンマまつり」が開催されてその場で食べ
られるという(代金協賛金つき)


「さんま」を食べよう!
を合言葉にみんなの足はますます快調にすすんだ

会場近くまで行くとサンマを焼いている匂いがぷん
ぷん、南御堂の中は白い煙が立ち上り食欲をそそる


南御堂(東本願寺)いのち輝け!


行列に並び新鮮でおいしい三陸のサンマを賞味した
歩行者天国になっている御堂筋には全国の物産展が
開催されていて大勢の人が買い物を楽しんでいた
ユルキャラがたくさんいた、信州のユルキャラ


淀屋橋交差点にきた
スタートからここまでが大阪マラソンのチャレンジ
コース8.8Kmのゴール地点になる

実際に歩いてみて距離の感覚はつかめたと思う
歩行者天国になった御堂筋を自分の足で歩いてみて
そこを来月に走ると思うとわくわくする

コースは中之島公園に入り中央公会堂横の土佐堀川
遊歩道で昼食をして午後のスタート

ここまで11km、残りは9km、来た御堂筋をナンパ
方面にユーターン

再び千日前通りに戻ると右折して汐見橋、大正橋を
渡って大阪ドームへゴール、20㎞を完歩した




はたしてこの距離を走れる日が来るのだろうか
でも走れるものならいつか走ってみたい

ゴール後、大阪ドーム内のmacでお茶タイム
今日は一部メンバーが別のウォーキングイベントに
参加したので例会が別々になったのは残念だったが
9名で楽しく歩けていい一日だった。

あれから今日で13年目。

2012-10-01 21:19:16 | ウォーキング
ウォーキングを始めて今日で13年目になった
12年前の2000年10月1日に歩き始めて
まる12年、よく歩き続けてきたものだと思う

それがよかったのかどうかはわからないが
その間、ほとんど病気らしいこともしないで
元気に過ごしてくることができた

還暦の60歳から歩き始めていま72歳
その年齢差ほど体力差はないと思っている
それは間違いなく歩いてきた成果だろう

13年目の今日も、あの日と同じコースを
ナイトウォークにでかけた

自宅を出て緑地公園を横切りR正社高校前で
折り返したことをはっきり覚えている

いまはその距離では物足らないのでさらに足を
延ばして、半分はランニングにしている

12年の間、ひとりのナイトウォークから
サークル形式のウォーキング倶楽部をつくって
こちらもすでに11年目になっている

4年ほどは二つの歩け協会にも所属していた
その当時の休日はウォーキングが最優先事項
他のことはほとんど後回しにしていた

琵琶湖を一周したり
熊野古道を歩いたり

琵琶湖から大阪湾まで歩いた
尾道から今治までのしまなみ海道も歩いた

伊勢街道は途中で休憩しているけれど
東海道五十三次も歩いた

某シューズメーカーが運営していた
全国ウォーカー組織のSNSでは
まる4年間もオフィシャルブロガーを任されて
ブログアップのために毎週、関西を歩き続けた

いつか見られることを意識するようになって
歩くことが目的になってしまった時期もあった

昨年11月末で閉鎖になりその責を解かれて
やっとウォーキングオンリーから他のことに
目を向ける余裕と時間を取り戻した

それがマスターズやスポーツジムやランニング
へと世界を広げることになった

決してウォーキングをやめたわけでもなく
やめるつもりもまったくないが
自分とウォーキングとのかかわり方は変えた

もう体の一つになっているウォーキングだから
あえて頑張って歩くことはないんだ

ウォーキング歴13年目を新たなきっかけに
これから始めるシニア昼活動に生かしたい
それなら72歳の自分にもできるから。

◎ウォーキングを始めて1年半後のHP
 「新米ウォーカーのひとりごと」
http://www.human-dy.com/walking.shinmai

残暑の西国街道を歩く。

2012-09-09 19:21:10 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の9月例会で
西国街道を歩いてきた

西国街道とは京都の東寺から兵庫県西宮を結ぶ街道
として東国と西国との交流上で長く重要な役割を果たし
たことで知られている


今日はそのうち北摂(北大阪)の高槻市から茨木市間
を歩こうと倶楽部では主宰者の自分に続く高齢者の
ひげのHちゃんが企画・担当をしてくれた

9時半にJR高槻駅に集合
先月の高松青春18切符以来ひと月振りの再会だが
みんないい顔して集まってきた
仕事や体調で欠席した仲間がいたのは残念だったが
新しくお試し参加のMさんが加わってきた

高槻といえば古くキリシタン大名の高山右近が築いた
城下町としても知られているが京都と大坂の中間地に
当たり西国街道の宿場町としても栄えてきた


また市内には大きな古墳がいくつもあって古墳群を
形成しており歴史的にも興味深い町である

ということで今日は西国街道を中心にして古墳巡り
も楽しもうというダブルコース

担当のHちゃんは8月の暑い日を二回にわけて下見
をして設計をしてくれたコースで貴重な資料も作成し
用意してくれた


さて、ひげのHちゃんがどんな案内をしてくれるか
興味津津、痛めていた足のことは心配だが下見して
いるので大丈夫だろうし万一の時は倶楽部の部長の
Cさんがコースを熟知しているので心配はない

スタート、西国街道にはいる前にコースを外れるが
菅原道真のゆかりのある上宮天満宮へ、ここは焼失
したものを秀吉が再興した

現在の本殿はすべてが竹で作られているのが特徴


西国街道に戻り今回で三度目の芥川一里塚へ
一里塚は昔の街道では道しるべの役割を果たした
毎度、ここで記念撮影!


街道の面影を残した通りをすすむ、暑い!
Hちゃんから早くも水分補給の指示がでる
この人の水分はビールのはず、今日は真面目やな?


芥川を渡り西国街道から分かれて北上、西へ入って
清福寺太子堂へ寄った
聖徳太子を祀った小堂で堂内の厨子に聖徳太子が祀
られているという


このあたりから色づき始めた田園風景の中を歩く
空を眺めると夏の入道雲と秋の軽やかな雲と飛行機
雲とが共演している

それにしても真夏と変わらない炎天下、もう、ほほ
とタオルをまいた首筋が痛い!


田んぼにかこまれた嶋上郡衛跡へ寄った
ここは7年前に倶楽部で一度来ているので懐かしい
その時も9月で暑かった

かってここが摂津国嶋上郡であった時に郡役所があ
った場所という
7年前にきた時のこと、担当したGさんはどうして
いるだろうか?となつかしく思い出して感傷に浸っ
ていて写真撮影を忘れてしまった

おまけに手に持っていた愛用のタオルハンカチも忘
れてきた・・・ありゃー

ここからしばらくはその時のコース

かかしものどかな田園地帯を行く


素戔嗚尊神社へ


ここにもかっては郡役所があった
11時過ぎた、大通りに出てコンビニへ
ここで昼の弁当の仕入れ・・と言っても買ったのは
三人?あとは店内でしばし昼涼みの迷惑客!

少し歩いて見学地の今城塚古代歴史館へ着いた
中に入ってびっくりした
古代のこと、古墳の勉強をするのなら申し分のない
歴史文化の学習館だ




となりにある今城塚古墳へ行った


きれいに整備をされた古墳公園でたくさんのハニワ
が歓迎してくれた


淀川流域では最大の前方後円墳で総長350mとか
日本で唯一自由に立ち入りができる大王墓で一番高
い部分まで上がらせてもらった


第26代の継体天皇の墓と言われているがこれから
行く茨木市の太田茶臼山古墳説もあって定かでない
ようだ
その話は以前からよく聞いていたので今日は確認で
きるかもしれないと楽しみにしてきたが残念!


お弁当はまだだよ・・・
腹は減る、歩きながら水補給、汗で濡れたタオルが
役にたたない

おっ、すごい階段が待ってる!
闘鶏野神社への階段


階段を上がるとそこは名神高速度道路、それを参道
にして本殿まで名神の上を渡って行く


こんな参道、日本に他はないだろう・・
神様さぞかしやかましいことやろ!

名神に沿って歩いてハニワ工場公園に着いた
12時20分、やっと日陰に入れた!


ここには日本で最大のハニワ工場があったそうだ



ここで弁当と休憩
しかし、後の見学予約時間があるため長居はできぬ


これから郡山宿本陣まではトイレなし、見学もなし
一気に歩くとHちゃんが脅してきた!

炎天下の名神の下を歩く
ほんまに暑い、水、水、もう500ml二本飲んだ
お試し初参加のMさん頑張れ
気になって声をかけるが大丈夫のよう
でもみんなの足は速い
自分はアンカーだから最後尾でみんなの足取りと
後方からの車、自転車のチェックをするのが役目だ


すでにここは茨木市、こんな炎天下を歩く一段に
たまに会う人が何事か?とそんな顔してみてる

昼食を除くとほんんど休憩をすることもなく歩き続
けるメンバーの健脚ぶりを改めてすごいと思った

やがて太田茶臼山古墳の横に出た
ここは宮内庁の管轄で中には入れない

宮内庁は、ここを第26代継体天皇御陵としている
おなじみの形式で管理されている


ここからしばらくすすむとやっと西国街道へ出て
街道らしい雰囲気のある道をスピードアップ
一番つかれの出る頃


若手のHよりちゃんが遅れてきた
しばらく一緒に歩く・・・
あとで聞いて納得
遅れたのではなく明日から仕事が始まるので頑張り
すぎて疲れを残したくなくてセーブしてたという
ほんまに賢い子や!


安威川のふもとに白井河原合戦跡の碑があった
このあたり、かって伊丹、茨木氏と池田氏とが対立
し合戦に発展した地域らしい


その川にかかる橋を渡って行く
Mさん頑張れ!


空模様が怪しくなってきて心配
郡山宿本陣に14時到着を目指してここは最後の頑張り


14時を少し過ぎたが最後の郡山宿本陣に到着!
ここでは当主から貴重な話を聞かせていただき資料
もたくさん見せてもらった


本陣内の見学も説明つきで一時間余り
現存する西国街道唯一の本陣を公開してもらった






上段の間、ここに大名が寝た


菊の御紋の布団


駕籠


おっ、鉄砲!


播州赤穂の浅野内匠守が四度も宿泊している宿帳が
残っているのにも驚いた

東海道五十三次の宿場では滋賀県の大津宿の本陣が
唯一残されているがこれで両方を見ることができた

コースの残りは大阪モノレールの豊川駅ゴールまで
秋風に頭を垂れる稲穂に励まされながら全員無事に
ゴールができたほっとした


500mlのペットボトルを4本も飲んだことは
東海道五十三次の吉原から三島宿間でにあったが
今日はその4本を飲んでしまうほど暑かった!

普段、歩きなれていない人なら熱中症になっていた
かもしれない
日頃から歩いていたことが力となった

帰りのモノレールが万博公園に近づいた時に公園に
異常な群衆をみかけた


きょうは「コブクロ」の復活ライブだと若手メンバー
が教えてくれた

自分には、コブクロが何者やらさっぱりわからない
なんと五万人が集結していたそうだ
コンビの黒田という人が大阪出身だとか、大阪で復活
というのはそのためか・・・

とにかくあの群衆、びっくりした
太陽の塔もびっくりしたに違いない


それにしても芸能関係のことは無知で皆目わからない
大阪検定試験でも芸能関係の問題はお手上げだった

モノレール万博中央口で乗換、ここでそれぞれの家に
向かったが、倶楽部の飲み助グループは途中下車まで
して酔い酔いウォークをしたらしい、ここだけの話。