12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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釜山港へ帰れの訳

2012年02月20日 01時48分04秒 | 外国語

「釜山港へ帰れ」=「돌아와요 부산항에」の訳を自力で行った。

 

そして、それが正しいのかどうかを判定するために、お手本となる翻訳を探したら、下記の在日の方が翻訳したものを見つけた。インターネット上ではこれがもっとも正しいもののように思えるのである。

 

(未だに、この歌の意味が100%理解できていない自分がいることに気がついた。

また懸命に歌うことも練習中であるが、発音が大変難しい。何時になったら歌えるのか見当もつかない。)

꽃피는동백섬에봄이왔건만
花が咲いた 椿島に 春が来たが
형제떠난부산항에갈매기만슬피우네
兄弟が去った釜山港で カモメだけが 悲しく泣くよ
오륙도돌아가는연락선마다
オリュク(五六)島に帰って行く 連絡船のたびに
목메어불러봐도대답없는형제여
声が枯れるほど 呼んでも 返事がない 私の兄弟よ
돌아와요부산항에그리운형제여
帰って来て 釜山港に 恋しい 私の兄弟よ

가고파목이메어부르던이거리는
行きたい 喉が枯れて 呼んだこの街は
그리워서헤매이던긴긴날의꿈이었지
恋しくて 彷徨った 長い長い日の 夢だったんだ
언제나말이없는물결들도
いつも ものを言わない あの海の波も
부딪쳐슬퍼하며가는길을막았었지
ぶつかって 悲しがって 行く道を 塞いでしまったんだ
돌아왔다부산항에그리운형제여
帰ってきた 釜山港に 恋しい 私の兄弟よ

<単語帳>
동백:椿  건만건마는の略語~だが 
갈매기:カモメ  
오륙도:五六島/釜山の西南側にある島で、釜山港を防波堤のように取り囲んでいる
고프다:~したい  거리:町、街  물결:波  


参考;以下はこの翻訳を行った在日の方が書いていることです。

「というように、本当は、兄弟に会いたい気持ちを歌った歌なのです。
そして、ほかならぬ、その兄弟とは・・・。
私たち在日コリアンのことだったのです。

今日、日本にいる、私含めた在日コリアンのその約7割前後は、釜山港から日本に渡ってきた人とその子孫です。
おそらく、私の祖父母も、南部出身なので、釜山港から日本に渡ってきたと思われます。
だから、この歌で、釜山港に帰ってこないのは、他ならない「在日同胞」をさしているのです。

1910年の朝鮮半島の日本帝国主義による併合などのために、生きていく手段を奪われるなどして、生活のために故郷を離れ、釜山港から日本へと、朝鮮半島を離れざるを得なかった在日コリアンの兄弟達。
その兄弟たちをしのび、恋しくて叫んで、歌っているのが、他ならない「돌아와요부산항에」だったのです。

「釜山港へ帰れ」で一躍チョー・ヨンピルさんは、日本でもメジャーになりましたが、本来の意味とはかけ離れて、日本向けに歌詞がアレンジされたこの曲を、内心ではどう思っているのでしょうね・・・。
(なんだか、最近はこの歌が「盗作」だとか色々騒ぎがあったらしいですが 汗)

この歌では、兄弟と再会できたみたいですが、実際は、帰りたくても朝鮮半島に帰れなかった人も多かったと思います。
日本で生活していたら、やっぱし日本で生活の基盤が出来るし、帰りたくても、朝鮮戦争で国土は廃墟で、帰れない・・・。
その上、日本から私財の持ち出しは厳しく制限されていたので、帰っても生きていくのに必要なものがない・・・。
そんな在日コリアンの歴史を、少しでも多くの日本の方に、そして本国・韓国人にも、知っていただけたらと、いつも私は思っています。

私が、是非、みなさんに読んでほしい本があります。
それは「きみたちと朝鮮 (岩波ジュニア新書)」です。

この本は、在日である私自身が読んで、とても在日の歴史を勉強させられた本です。
興味がある方は、図書館などで借りてで良いので、是非読んでください。

そして、この「돌아와요부산항에(釜山港へ帰れ)」の韓国語の歌詞を改めて読んで見てください。
この歌詞の持つ意味がより一層、身にしみて、感じられると思います。

正直、私は、この歌の訳を書いてるだけで、涙が出て仕方ないのです・・・。」