12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

四十年目の答え

2007年08月26日 08時03分14秒 | Weblog

              上下2枚は、「ユングフラウ鉄道(JB)風景」 日本人団体の多いこと!

足元のギザギザは、2本の線路の間に設置されたラックである、電車側の歯車とで急斜面の走行を可能にする重要な装置である。  

学生時代、体力不足で山岳部員失格の小生であったが、山の話を聞くのはこと好きであった。
山岳部員がたむろし、山の話に花が咲いていた山岳部部長W教授の研究室にしばしば遊びに行った。

ある日、“山にケーブルカーや登山鉄道を設けるべきかどうか”の議論が始まった。
一派は、当然のことながら「足で登るべき派」であった、そして他方は「設置派」であった。

「足で登るべき派」の論旨は明快であった、汗水流しての頂上征服は何にも変えがたい爽快感・達成感があるという。

「設置派」の論旨は、やや迫力に欠けるものだったが、広く老若男女を問わず欲する人それぞれに満足感を与えるほうがよいというものだった。

 議論は延々と続いたが、結局結論に至ることはなかった。 それ以来長いことすっかり忘れていたが、ユングフラウヨッホまでの登山鉄道を利用して、小生なりの結論が出た。

スイスでは明治時代から、登山鉄道やロープウエイが建設されはじめ、広く老若男女が3500mくらいまでらくらくと登ることができる。
そこで味わう爽快感は地上ではいかにしても得られぬものである。

登山好きにとっては、客車に連結された無蓋貨車にスキー道具や登山道具をほうり込んでおき、最寄の駅で下車、そこから最終目的地まで本来の足による登山をすればよいのである。

 幼児から車椅子の人まで多種多様な人々が、単なる観光・トレッキング・マウンテンバイク・スキー・本来の登山など、自由にそれぞれの楽しみを味わえる多面的な登山鉄道やロープウエイの機能を目の当たりにして、すっきりと考えが纏まり結論に達した。

 人は様々そして欲求も様々である、人それぞれの欲求を満たすことが必要とされる時代である。

とかく画一的な想念に縛られやすい日本人にとって、多面性・多様性を受け入れ、それらを可能とする環境を整備することにもっと思いを向けるべきであると感じた。