おはようございます。今朝も寒いですねぇ 今日からは小田急を掲載します。新宿と箱根湯本・江ノ島にロマンスカーが運転されています。また新松田から御殿場までJR乗り入れしています。今日から続けて送りますが、何回になるかちょっと予想がつきません。SAさんからの写真も掲載しますので楽しみにしてください。
小田急の特急ロマンスカーはあまりにも有名である。SE(Super Express) 3000系で昭和32年に登場しました。初期は8車体連接車でその年に国鉄の高速試験に借り出されて、函南ー沼津間で145Km/h の当時の狭軌(1067mm)世界記録を出したことで知られている。昭和38年NSE 3100系が登場 御殿場線が電化完成に伴い SE車が御殿場線に乗り入れることになり大改造工事が行われた。改造点は8車体連接4編成を5車体連接6編成にした。改造は日車東京で昭和42年から43年にかけて行われた。短くなったSE車をS(Short)SE車と呼ばれるようになった。NSE車が入場中や多客時には重連〈10連〉で運転されることもありました。
(1) SE 3001 回送
(2) SE 3005 回送
(3) SE 3011 特急さがみ
(4) SE 3031 特急あしがら
(5) SE 3041 特急あしがら
(6) SE 3000系 試運転
今日はSSE車の写真を特集しました。この時期たくさん撮影しましたので場所がどこかわからないところがあります。このときは周遊券で大阪から新幹線で小田原に出て伊豆箱根電鉄・箱根登山電鉄を撮影小田急で海老名へ相模鉄道・東急・京急・国鉄・営団・都営地下鉄・京成・新京成・流山・など撮影して来ました。いつも一週間年休をいただき鉄ちゃんをしてきました。
明日からも小田急が続きます。
最新の画像[もっと見る]
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
- 鉄パパの鉄道写真 北恵那鉄道 2020.09.19.(土) 4年前
おはようございます。そちらは夜22時ごろですかねぇ 大阪の寒さとはちょっと桁が違うと思います。SSE車はおっしゃっておられるように先頭車は16.150×2.864×3.790(長さ×幅×高さ)で中間車は12.700×2.864×4.025(パンタ)で当時の1800系は20.000×2.900×4.020となっていますので約23Cm低くなっています。国鉄線で最高速度145Km/hを出したときはびっくりしたのが、今では夢物語です。すごい電車が出来たナァと思っていました。
写真にはいろいろな思い出がついてきます。これからも思い出しながら写真を発表していきます。コメントお願いします。よろしくお願いします。
小田急SSE車の記録の数々、懐かしく拝見しました。
転勤族である私には、小田急線が「地元電車」になった時期もありましたので、色々と当時のことを思い出させていただきました。
私が沿線に住んだのは、SSE車の引退が迫った頃でしたが、当時、既にエエ年こいておりましたが「昔、絵本で見た‘でんしゃ’が、実際に走って来たっ!」という興奮を何度も線路際で楽しんだものです。
SSE車を実際に見て、特に印象に残ったのは 1)車体の低さ(低重心構造とやらになっているのでしたよね?) 2)編成の短さ(5両連接とはいっても、それぞれの車体が短いので、小田急通勤車の3連分ぐらいしかないように感じました) などでしょうか。
2)については、あらためて当時撮影した写真を見てみましたが、新宿駅で写した「国鉄ふうの‘新宿―御殿場’と書いた側面の行先表示板」のショットなど、脚立使用はおろか背伸びもしていないはずなのに、サボがほぼ目線の高さに写っておりまして、あらためてその‘低さ’を思い出したりしております。(また、客窓の高さは、イメージとして「腰の高さ」ぐらいに感じたものです。客扉も、ユニークな半円形の上端部まで入れても、気をつけないと頭を打ちそうな程度の高さしか無いように見えたものです。)