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総武流山電鉄 (190)

2007年12月30日 06時35分01秒 | 総武流山鉄道

おはようございます。今朝は大阪は雨は上がっていますが、まだ路面はぬれています。昨日の予報では昨日午後には雨は上がるとのことでしたが、一日雨が降っていました。 さて今日も総武流山電鉄をおくります。私の行ったのは昭和54年3月でしたが、昭和56年1月現在のジェー・アール・アール私鉄車輌編成表から書き出して見ます。1201-61-1202(流星号)1203-62-1205(流馬号)1206-63-1207〈銀河号)1101-53・1001-52・1002-55ノ15両ト貨車のワ202の16両でした。
また平成19年4月現在の同誌がありますので参考に書き込みます。
21-2101-2003〈明星)22-2102-2004(流馬)31-3101-3001〈流星〉32-3102-3002(若葉)2001-2002〈青空〉2005-2006〈なの花〉の16両です。
〈いずれもジェー・アール・アール参照)





(1) 1002
モハ1000形 1002 昭和2年旧西武鉄道が川崎造船で製作したモハ554で改番されモハ155となり昭和38年に東濃鉄道に譲渡されモハ111となり昭和50年に譲受けたものです。



(2) 1201
クモハ1200形 1201 昭和54年から在来車の老巧化と乗客の増加で増備された車両で元西武鉄道の501系である。1201編成は1201-61-1202(流星)は昭和54年2月より使用された。(私は撮影に行ったとき入ったばかりでした。)以降1203-62-1205(流馬)昭和54年9月・1206-63-1207(銀河)昭和55年4月・1208-65-1209(若葉)昭和56年6月から使用開始している。なお流山鉄道では「4」を忌番としているために1204と64は欠番である。


(3) サハ(キハ)31
この車両がこの説明であっているか不安ですが書いてきます。
昭和8年半鋼製4輪車で汽車会社製で電化されるまでの主役であった。電化後10年を経た昭和34年機関・運転台・荷物台をはずし荷台部分を窓一個分客室を延長して「サハ31」として使用したが昭和38年5月15日付きで廃車となりそのまま休憩室として使用 と鉄道ピクトリアル1967.7.臨時増刊号私鉄車両めぐり 第7分冊に記載されている。私が訪問したのは昭和54年3月であるのでこの車両と思います。なおもう一両キハ32もありましたが、同誌によると車体のみ流山で物置にしたとあります。




(4) 1軸台車(4輪車)




(5) DB-1
馬橋駅の入換え専用として昭和27年に森製作所製4輪凸型で馬橋駅構内の入換えに使用されていた。



(6) DB-1

総武流山電鉄短い路線ながらがんばっている鉄道これからも見守って生きたいものです。

総武流山鉄道は今日で終わりです。明日は小湊鉄道です。今年も明日一日となります。今日と明日は家事の手伝いをさせられると思います。がんばろう!!



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