電力需要は戦後、ほぼうなぎ登りで増え続けてきた。
一世帯当たりの月間電力消費量も1970年の3倍近くに。エアコンにパソコンにインターネット、トイレの便座・・・。電力は暮らしを支えた。オール電化なる言葉もある。
その電力供給が滞るなど、ほとんどの人が想定しなかった。
原発は優等生に見えた。「国際情勢の影響を受けず安定供給できる」「石油と違い炭酸ガス(CO2)を出さない」として電力全体の3割を担い、さらに増やす計画もある。
慢心が生じた。チェルノブイリやスリーマイル島のような深刻な事故は、日本では起きないという不倒神話だ。しかし、自然災害の前に原発は余りにも脆弱だった。
私たちは大きな岐路にいると思われる。原発に大きく依存するままの電力文明にしがみついて生きていくか。それとも、別の文明のかたちを追求していくか。
原発がこれほどのもろさを露呈した今、依存しない、あるいは依存度を極力小さくした社会を構想すべきでないのか。
CO2を出す化石燃料依存へと単純な先祖返りはできない。ならば太陽光、風力、地熱など再生可能な自然エネルギーを総動員する必要がある。
従来型の電力供給システムの弱点もはっきりした。地方に巨大な発電所を集中させ、離れた大都市の需要を賄わせる仕組みでは、事故があったときの影響の拡大が甚だしい。分散して電力を生み出し、それを出来るだけ近くで消費してロスを少なくする「地産地消」の取り組みに努めるべきだ。
その意味では、ビルや家屋の屋根にソーラーパネルを設置した自家発電が地産地消の典型であり、ソーラーパネル設置のコストダウンが急務である。
福島第1原発の大事故処理(廃炉)に20年以上かかる。その間に電力の地産地消に転換できるはずだ。
空気清浄機を買いました、マスクもしています
でも無理でしょう
郡山からさるとすれば
家族、家、学校、仕事、思い出、友達、関係、
すてることになります
生活に関するご家族のご心配、お察しします。
お察ししますとしか言えないことを歯がゆく思っています。
原発事故の処理の行方と放射線汚染が拡大するか否かをを見守って、皆様で深慮してくださいませ。