※ 画像と記事内容は無関係です。悪しからず。
ドラムを叩き始めたころから10年以上、両手とも我流のマッチドでやり過ごしてきたけれど、なんか違うな~と思い始めて早や3年。
Bluesや、Jazzなど、小音量で様々なニュアンスを出すジャンルに対応しきれず、特に4ビートのレガートなんざ初心者以下?と思うくらい、自分で聴いても汚い。
で、レギュラーに持ち替えたり、いろいろ試していくうち、やっと最近「これ?」と思える感覚に出会った(「これ!」ではないところが悲しいが…)。
ありがたいことに、私の周囲には、セッションでご一緒した時などに、打音のことであったり、グルーヴのことであったり、非常に細かな部分まで踏み込んで指摘してくださるギタリスト、ベーシストの先輩方がいらっしゃる。
おかげで、セッションに出かけるたびにさまざまな宿題を頂戴してくるのだが、どうにも消化できずに来た。
例えば、スティックを手全体で握ること、タップはただチップを落とすのではなく、意識的に行うこと、フィンガリングによるショット、手首のショット、肘のショット、肩のショット、そしてボディショットを使い分けること、などなど。
基本と言えば基本だが、思い切り基本がおろそかになっていたことを痛感。
そこで、本格的に?グリップについて考えてきたことをつらつら書き殴ってみよう。
ポイント1 脱力
以前、近所のBlue TrainというハコでのJazzセッションに参加した際、ホストドラマーである金井塚氏から「脱力」の必要性を盛んに指摘された。
その時点では、人差し指と親指の指先でスティックを「つまんだ」形で叩く癖がついてしまっていた。
これは多分、極力スティックを柔らかく扱おうと意識しているうちに、スティックに接する指の面積を狭めていった結果、かえって支点にかかる緊張が高まり、いわゆる「遊び」がなくなり、かえってバウンスそのものを制限してしまうから、打音も汚い。
とはいえ、指先を脱力してしまうとスティックを落としてしまうため、いかに肩の力を抜こうとも、指先に応用が利かない。
このため、この時点では指先まで変えることができずにいた。
ポイント2 捻挫
私は小学校の頃から剣道をやってきたためか、体の使い方や関節の動き方などに妙に興味がある。
例えば、剣道におけるグリップは、小指・薬指・中指で竹刀をしっかりと握り、人差し指と親指は遊びを持たせておく、というもの。
親指・人差し指・中指の「三本指」グリップと正反対。
おかげで、ドラムに慣れてしまっている時期に急に稽古をすると(あるいはその逆でも)、とりあえず左右の手のひらを捻挫したような状態になった。
棒を振り回すことに違いはないのに、こりゃおかしい。
ついでに、スティックの軌道についても、タムやシンバルを打つ動作が「面」ならば、スネアは「篭手」という具合で、基本は一緒のはず。
ならば、タップであれオープンリムショットであれ、肩(鎖骨、肩甲骨も含む)から腕全体が連動しなきゃおかしい。
…って、それがもしかしてモーラー奏法と呼ばれるものの正体なんだろうか?
ま、少なくとも、ボディショットのメカニズム、肩の上下で叩く動作のメカニズムについては理解できた。
ん、しかし、そうなってくると、グリップ、ってのはまさにグリップなんであって、指先の問題ではないのだな。
ここに至り、やっとそのことに気付き始める。
ポイント3 日本刀
ボディショットの考え方を演繹すると、肩の上下、というより、自分の腕の重さを利用したタップなどが可能になる、と考えた場合、握り方はどんな形でも、チップの先なりスティックの側面なり、イメージした角度でヘッドにスティックを当てていければいい、ということになる。
しかし、肘や手首まで使ってのショット、あるいは、早いレガートなどをやる場合には、やはり指先、というかいわゆる手の内が問題となる。
そこでいきなり日本刀の話。
今まで一度だけ、いわゆる本身、思いっきり銃刀法規制下にある日本刀で物を切ったことがある。
30メートル分のじゅうたんを巻いたものを立てて、袈裟切りにしたのだが、居合抜きの先生から「しっかり刃筋を立てないと、反発のため刃筋が逸れ、自分の足を切り落としてしまうからそのつもりで」とアドヴァイスを受けた。
左上段から刀を右肩に担ぐように構え直し、せいっと振り下ろしたところ、幸運にも?きれいに袈裟切りにできた。
このとき、意識としては左手の引き切りというイメージで、右手は刃筋がぶれないように添えておく感覚。
無論、日本刀は重い。
ライドシンバルよりはるかに重い。
それを支え、振るのだから、かなりの握力・腕力は必須。
しかし、刃筋を立てるためには、刀が自然な軌道を描いて対象物を切るためには、手の内は絶えず変化している。
つまり、握ってはいるが、指には余力がある。
左手も右手も、指で刀を握る、というより、手のひらで包み込む、という表現が妥当な感じか。
というより、「握る」という行為そのものが、手のひらの行為だったか。
指は手のひらの延長だ。
さて、この感覚をスティックに生かすとどうなる?
…もしかして、それがフリーハンド奏法、ってやつか?
まだまだ答えは出ないが、確実にここが入口、という実感だけは掴んだぞ。
ドラムを叩き始めたころから10年以上、両手とも我流のマッチドでやり過ごしてきたけれど、なんか違うな~と思い始めて早や3年。
Bluesや、Jazzなど、小音量で様々なニュアンスを出すジャンルに対応しきれず、特に4ビートのレガートなんざ初心者以下?と思うくらい、自分で聴いても汚い。
で、レギュラーに持ち替えたり、いろいろ試していくうち、やっと最近「これ?」と思える感覚に出会った(「これ!」ではないところが悲しいが…)。
ありがたいことに、私の周囲には、セッションでご一緒した時などに、打音のことであったり、グルーヴのことであったり、非常に細かな部分まで踏み込んで指摘してくださるギタリスト、ベーシストの先輩方がいらっしゃる。
おかげで、セッションに出かけるたびにさまざまな宿題を頂戴してくるのだが、どうにも消化できずに来た。
例えば、スティックを手全体で握ること、タップはただチップを落とすのではなく、意識的に行うこと、フィンガリングによるショット、手首のショット、肘のショット、肩のショット、そしてボディショットを使い分けること、などなど。
基本と言えば基本だが、思い切り基本がおろそかになっていたことを痛感。
そこで、本格的に?グリップについて考えてきたことをつらつら書き殴ってみよう。
ポイント1 脱力
以前、近所のBlue TrainというハコでのJazzセッションに参加した際、ホストドラマーである金井塚氏から「脱力」の必要性を盛んに指摘された。
その時点では、人差し指と親指の指先でスティックを「つまんだ」形で叩く癖がついてしまっていた。
これは多分、極力スティックを柔らかく扱おうと意識しているうちに、スティックに接する指の面積を狭めていった結果、かえって支点にかかる緊張が高まり、いわゆる「遊び」がなくなり、かえってバウンスそのものを制限してしまうから、打音も汚い。
とはいえ、指先を脱力してしまうとスティックを落としてしまうため、いかに肩の力を抜こうとも、指先に応用が利かない。
このため、この時点では指先まで変えることができずにいた。
ポイント2 捻挫
私は小学校の頃から剣道をやってきたためか、体の使い方や関節の動き方などに妙に興味がある。
例えば、剣道におけるグリップは、小指・薬指・中指で竹刀をしっかりと握り、人差し指と親指は遊びを持たせておく、というもの。
親指・人差し指・中指の「三本指」グリップと正反対。
おかげで、ドラムに慣れてしまっている時期に急に稽古をすると(あるいはその逆でも)、とりあえず左右の手のひらを捻挫したような状態になった。
棒を振り回すことに違いはないのに、こりゃおかしい。
ついでに、スティックの軌道についても、タムやシンバルを打つ動作が「面」ならば、スネアは「篭手」という具合で、基本は一緒のはず。
ならば、タップであれオープンリムショットであれ、肩(鎖骨、肩甲骨も含む)から腕全体が連動しなきゃおかしい。
…って、それがもしかしてモーラー奏法と呼ばれるものの正体なんだろうか?
ま、少なくとも、ボディショットのメカニズム、肩の上下で叩く動作のメカニズムについては理解できた。
ん、しかし、そうなってくると、グリップ、ってのはまさにグリップなんであって、指先の問題ではないのだな。
ここに至り、やっとそのことに気付き始める。
ポイント3 日本刀
ボディショットの考え方を演繹すると、肩の上下、というより、自分の腕の重さを利用したタップなどが可能になる、と考えた場合、握り方はどんな形でも、チップの先なりスティックの側面なり、イメージした角度でヘッドにスティックを当てていければいい、ということになる。
しかし、肘や手首まで使ってのショット、あるいは、早いレガートなどをやる場合には、やはり指先、というかいわゆる手の内が問題となる。
そこでいきなり日本刀の話。
今まで一度だけ、いわゆる本身、思いっきり銃刀法規制下にある日本刀で物を切ったことがある。
30メートル分のじゅうたんを巻いたものを立てて、袈裟切りにしたのだが、居合抜きの先生から「しっかり刃筋を立てないと、反発のため刃筋が逸れ、自分の足を切り落としてしまうからそのつもりで」とアドヴァイスを受けた。
左上段から刀を右肩に担ぐように構え直し、せいっと振り下ろしたところ、幸運にも?きれいに袈裟切りにできた。
このとき、意識としては左手の引き切りというイメージで、右手は刃筋がぶれないように添えておく感覚。
無論、日本刀は重い。
ライドシンバルよりはるかに重い。
それを支え、振るのだから、かなりの握力・腕力は必須。
しかし、刃筋を立てるためには、刀が自然な軌道を描いて対象物を切るためには、手の内は絶えず変化している。
つまり、握ってはいるが、指には余力がある。
左手も右手も、指で刀を握る、というより、手のひらで包み込む、という表現が妥当な感じか。
というより、「握る」という行為そのものが、手のひらの行為だったか。
指は手のひらの延長だ。
さて、この感覚をスティックに生かすとどうなる?
…もしかして、それがフリーハンド奏法、ってやつか?
まだまだ答えは出ないが、確実にここが入口、という実感だけは掴んだぞ。
じゅうたんは切れた?
ところでホーチミンとはやってんの?
向かって右から左下にさくっとね。
幅1.5メートル×長さ30メートルだったから、巻いて立てればいちおう大人の肉体を模したもの。
芯が背骨、周りのじゅうたんは肉、です。
ちなみに、ワラ人形も、芯の竹が背骨、ワラが肉ですね。
ほんっと、日本刀は良く切れる。こわいですよ。
※ほーちみんとは、先日いっしょにライブをやりましたが、パーマネントなバンドとしてやってるわけではないっす。
また、4月末か5月に2人でやる企画を相談中っす。