Baradomo日誌

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読書の音 ~ 吉村昭「仮釈放」

2008-11-23 | よしなしごと
 教師であった主人公は、不倫に走った妻と不倫相手の母親を殺害し、無期懲役の判決を受けて服役する。14年後、49歳になった主人公は仮釈放となり、次第に保護司をはじめとする周囲との濃密な人間関係を築いていくが、社会や経済、あるいは地域共同体的な構造に基づく価値観、誰しもが共感できる「普通の光景」が見え隠れする設定の中で、犯行当時から微動だにしない主人公自らの犯行に対する罪悪感の希薄さ、改悛からは程遠い感情が繰り返し描写されていく。
 このような対位的な描写によって生み出されるギャップが、犯行の記憶とともにやわらかな自己肯定感が主人公の心の中に封印され、むしろ強化されていることを強く印象付ける。
 社会から隔絶された獄中という空間が、主人公を改悛させえなかったのみならず、すべてにおいて主人公の精神を犯行時のまま封印してしまっていたのだ。
 このような、常識的な感情に比した主人公の「欠落感」、あるいはカミュならば「不条理」と描写したであろう主人公の「自己肯定感」こそが、作者が言わんとした「罪」なのであり、そのような価値観にに基づいて行動する人間、あるいは犯罪行為を実行していしまう人間に対して、我々の社会が持っている司法等の仕組みは時として無力なのだ。
 このことは、殺害プロセスの生々しい描写と相まって、2000年前後に流行語ともなった「キレる」状態を髣髴とさせるようなリアリティを獲得しているが、同時に、恐らくはバブル経済期の日本を舞台としていながらも、あくまで主人公目線の私小説的な語り口によって、この物語の色彩感が押さえられ、あたかもモノクロ映画を見ているような印象すら与えていることは否めない。
 それは、不可逆な時間の経過の中で「罪」が消えることはない、また、服役も「罪」を消すことはできない、という作者の強い主張であるとともに、本作品を「小説」として成立させている方法論そのものに他ならない。