Baradomo日誌

ジェンベの話、コラの話、サッカーの話やらよしなしごとを。

Susan Cagle

2006-09-20 | 今日の「この音」
以前、ジュリアナ・ハットフィールドの稿でも書いたが、私はギターを抱えてフロントに立つ女性アーティストに徹底して弱い。
女性アーティストは数多くいるし、何が違うのか、どこに「萌え」るのか、よ~く考えてみると、いくつかの条件があることに思い当たった。

その条件とは:
 1.シンプルなバンド編成であること
 2.フロントであること
 3.ギターを持って歌っていること
 4.姿勢がいいこと
 5.ショートカットもしくはポニーテールであること、あるいは帽子をかぶっていること
 6.スリムジーンズをはいていること
 7.メイク等、作りこみが少なく、ナチュラルであること

これらの条件を全て満たすルックスであれば、間違いなく条件反射的に音源を購入してしまう。
しかし、そのようなルックスでジャケットに収まっていることなど、恐らくはほとんどなく、あったとしてもどこかあざとさがつきまとう。
ライブハウスで遭遇しようものなら、私から話し掛ける(NANPAぢゃないよ)であろうことは間違いないが、往々にしてどこか「ツンッ」とした感じの子が多く、「惚れました。バックやらせてください」ってことには、まずならない(警戒されているだけか?)。

…ともかく。
上記7条件を満たすタレントは少ないのだ。
特に7番目は難しい。一種の処女性を求めているのかもしれない。
日本人では、先日イベントで御一緒したIKUMIさんは、かなりストライクだった。
また、10年位前にPuffyのデヴューコンサートの前座を務めたというレアな経歴を持つCorkeysというトリオがあったのだが、そのヴォーカリストの女性が、私の中では過去最高位の女性アーティストと言える。
ただし、この彼女はベース弾をきながら歌ってたので、3には合致しない。
だから番外とも言えるのだが、ギターを弾いて歌う、というスタイルは、あまりに一般的であり、その人の才能が突出していれば、周囲は誰でもよくなってしまう(つまり、引き抜かれやすい、ソロデヴューしやすい)反面、ボーカル兼ベーシストであれば、フロントでもありボトムでもあるので、そのヴォーカリストの個性は他のメンバーなくしてなりたたないもの、つまり、そのバンドでなくては!という必然性が感じられるのだ。
私は「バンド」という形式(スティング曰く「思春期的衝動」だそうな)にこそ美意識を感じる人間であるため、ベース弾きながら歌う女性が実は一番一緒にやりたいヴォーカルなのかもしれない。
しかし、ベース弾きながら歌う女性がいても、その音源をパブロフの犬のようにくわえてしまうことはない(だろう)。
あくまでギター持って歌ってる女性なのだ、私が理性を失う対象は。
それは何故?

多分それは「いたいけな女の子」という、男性側の勝手なステレオ・タイプに起因する。無条件に「がんばれ~!」と応援したくなるような、素朴な、純真な、それでいてストレートな強さを秘めた女性ヴォーカリスト。
一緒にバンドをやる自信はない。多分、惚れてしまうから。
でもローディーなら損得勘定抜きにいつでも引き受けてやるぜ!という感覚だ。
アイドルの追っかけと大した違いはないかもしれない。
ところが、そんな私の中の一種のジェンダーが、3番目の条件をさらに複雑化させる。
それは、その女性が持つギター。

多分、アコギならばなんでもいいが、エレキの場合、ストラトやレスポールだと「萌えない」。
私にとってこれは非常に男性的な、はっきり言えば男根的なギターなのだ。
ハードロック系に多く使用されるために植え付けられた印象かもしれないが、常に主役を張ってしまうギターであることが、これらのギターに男根性を感じてしまう所以だ。
やはり、テレキャスか、エピフォンのセミアコだね。
鋭角な部分があると私はだめなようだ。あと突起物ね。
それこそ男根のメタファーにすら感じられる。
フェンダーならジャズマスターかムスタングだな(明らかにグランジの影響だ)。
ギブソンだとちょっと違うけれど、レスポールJrとかメロディメイカーならOKかも。335は形状はいいんだけれど、あまりに本格派じみて「萌え」ない。
フライングVとかエクスプローラーもだめだな。ファイヤーバードも違う。
やはりテレキャスかエピフォンのカジノ、リビエラあたりがいい。
ソレントはいかん。
そう言えば、リッケン持ってる女の子って見たことないな。
VOX持ってる子は見たことあるが、あれこそ「ツンツン」だったもんな~。
なんかビザールくさいし。

…ってまた脱線しまくったが、今回の主題は、"The Subway recordings"と題された、Susan Cagleという人の1st Albumの話(あ~前置き長い)。

まったく何の前情報もなくたまたま店頭で目に付いたCD。
ひさしぶりにジャケットに惚れて衝動買いしちまったい。
エピフォンの紅いリビエラを持ち、背筋を伸ばした立ち姿。
無邪気さと強固な意志とが同居したその眼差し。
上記7条件を見事にクリア!

帯を見ると、The Subway recordingsという表題そのままに、ニューヨークの地下鉄で録音されたそうだ。
一発録音か?それ自体が実は既にあざとさを感じさせるのだが、カラードのミュージシャンだけに、R&Bベースに色々な要素をミックスさせた音楽性なのでは?と期待に胸膨らむ。

どれどれ、どんな音かな?とギネス片手に聴き始めたら…なんじゃこりゃ、80年代のCMJチャートとかに出てきそうな音だ!
シンプルなくせに若干どたばたした、ちょっと素人くさいドラム、ひたすらダウンで8ビート弾いてるんだろうな~って感じのベースに、単音フレーズをループさせながら進行するリードギター。
フィーリーズとか思い出しちまった。
カラードだけに、R&BやFUNK的な要素が強いのかと思ったら、そんなもの微塵も?感じさせない、まっすぐなロック!
しかし、思い切り私の琴線に触れる伸びやかな歌声は、そんなカテゴライズを無意味にする。
ちょっとSun60みたいな部分もあるかな?
今後スタジオ録音等したあとで、どのように成長していくのか、確信は持てないが、少なくともこのアルバムは、初期衝動が詰まった奇跡のようなドキュメンタリーとして成立している。

将来、ウチの娘が「バンドやりたい!」と言うことがあれば、「これをコピーしなさい」と勧めるだろう、そんなアルバムだ。

ところで、1曲目のさびで、「ジェフ・バックリィは好き?」という部分がある。
彼が亡くなって、もう何年経つんだろう?個人的にはカート・コバーンの死よりもショックだった。
そんな彼も、こんな風に、歌詞に歌いこまれる存在になってしまったんだなぁ。
Time waits for no one.
ということかな。