Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

寝屋川市にあった野球場

2018年03月15日 | 日記
寝屋川市にあった野球場


センバツ
National High School Baseball Invitational Tournament

めくりどおりというか、やっとと云ったほうがいいのか、本格的に日差しが暖かくなり、関西に春を呼ぶ大相撲春場所も始まっている。
次は春の選抜高校野球。間もなく、来週23日金曜日から始まる。
1924年に始まり戦中、戦後の5年を除き今年で第90回を迎える記念大会とのことである。

花粉の飛散の方もより一段と激しくなっているが、明るい陽射しに引っ張られ早めに出勤し、通勤経路を大きく迂回。寝屋川市駅から北に向かって続く府道の道沿いに選抜高校野球と幾分縁のあるモニュメントを今回はご紹介することとする。意外と知っている方は少ない。

動画は京阪寝屋川市を降りて北に向かって歩き、昔、あった「運動場前」駅跡地の前の道を寝屋川市役所に向かって歩き、一つ目の交差点である「八坂町」交差点の北東隅に設けられている石碑である。

ウキペディアから引用させて頂く。
京阪電気鉄道は1921年に沿線の寝屋川豊野村(当時の市制は不明、北河内郡?)に1万5千坪の土地を購入、翌1922年1月から陸上競技場の建設に着手。同年4月21日に竣工した。
同時に臨時駅として「運動場前」駅を開業した。動画の八坂交差点付近はこの駅から続いており、競技場の先端部付近でもあったと推測できる。
京阪電車は引き続き、野球場とテニスコートの建設に向けて着工し、1922年(大正11年)8月末にこれを完成させている。
翌年、1923年11月には、日本最初のプロ野球団である芝浦協会が(勿論知らない。)実業団(ノンプロか)の大毎野球団との試合も行われているようだ。
また、翌年、1924年(大正13年)からは全国中等学校(現、高等学校)優勝野球大会 大阪大会の会場ともなっている。

しかし、この年に本格的な設備を備えた阪神甲子園球場が8月1日完成すると、京阪電車は京都への観光客輸送か、この野球場、グランドを拡充しての輸送力増強を目指すかの選択に迫られたようであるが結局、昭和の恐慌に見舞われ、後に、このグランド、野球場はこの地から撤退し、現在、住宅地となっている。
動画にある石碑の文面をご紹介しよう。

『京阪電鉄開通(明治43年)後の大正11年4月京阪電車の手でこの地旧豊野村秦に京阪グランドが建設され、陸上競技で数々の日本記録を生みました。全国的な野球熱の高まりで同年8月、その一角に野球場が設けられました。甲子園球場が出来るまでは日本一の規模を誇りました。この球場で全国中等学校野球大会の大阪予選などの熱戦が展開されました。』
とある。

球場跡は昭和17年以降、閑静な住宅地に生まれ変り、今もそのまま住宅地となっている。