Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

真田信繁&空堀

2016年12月18日 | 日記
真田信繁&空堀


NHK大河ドラマ「真田丸」が完結した。山岡荘八「徳川家康」(全26巻)の大阪の陣とは幾分の違いはあるものの物語の展開は納得しながら追っていたことになる。

動画は大阪市中央区南東部、松屋町筋から上町筋に至る東西約800mのアーケード商店街、空堀商店街(からほりしょうてんがい)を撮影したものである。

古代大阪半島(上町台地)から海側(現、大阪湾)に向かって急峻な坂道が続いていたようで当時のこのあたりの地形がこの動画でもおわかリかと思う。かなりの高低差のある下り坂になっていたようである。

 秀吉は大阪城の築城に際し、自然の海、川に囲まれていない弱点の大阪城の南方面に寺を集積し(下寺町)、その前線付近に大坂城南惣構(みなみそうがまえ)の堀を構築した。

 この堀は大坂冬の陣で和議が成立した後、徳川方に一方的に埋め立てられ大阪城が裸城になったことでも有名である。この空堀通りはその時の堀の遺構なのである。

急峻な坂道を利用した堀であったことからもそれを埋めた徳川の戦略は翌年の夏の陣の戦況に大きく影響したのはいうまでもない。その後の徳川時代を見続けた堀になったのである。


そんな思いを抱きながら商店街を抜け、松屋町筋を左折して南下すれば真田幸村の出城、真田丸のあったとされる公園や、陣を立てた茶臼山、最後の戦場となったとされる安居神社は、それぞれ目と鼻の先の距離である。

「空堀の坂に響きし鬨の声」(柳子)