Hirakata turezure 四季のなにわ

あるとき、ときどき、いろんな思いをふっと向ける事柄があります。

うわさ聞き つばめとどまりて 芒種月

2011年05月24日 | 日記




(1)まもなく水無月、6月に入る。動画は429年前の本能寺の変の11日後となる6月13日に秀吉の全国覇権の初戦となった「山崎の戦い」(「天王山の戦い」)の古戦場であった天王山とその山麓付近を撮影したもの。(今はすっかり見向きもされないが、あの「関が原」に匹敵する古戦場がこの北摂に存在している。)

淀川左岸京都府八幡市側から、画面正面に天王山(272m)をおいて撮影した。この古戦場は淀川、宇治川、桂川が合流する地点に近接し、山城の国(京都府)、摂津の国(大阪府)の国境に位置し、古今の戦場と同様に極めて狭隘の地形に位置しているのである。

撮影中に京都方面から博多行きの新幹線「ひかり」が疾走し、あっという間に消えてしまったが、この狭隘区間に阪急京都線、JR東海道、さらにはこの新幹線が並行して走行し、左岸には京阪電車も走行している過密、競合区間でもある。
 山陽方面から最短距離で、かつ、平野部を抜けて旧都 京都、尾張、江戸方面に到達でき、また、非回避のルートであり、現在も継承されていることになる。

撮影中に、自空を超えてこの山崎の合戦中の秀吉、光秀の横を「ひかり」が疾走する状況を想像し、少し前に映画であった「戦国自衛隊」を思い出してしまった。

旧暦の6月13日は新暦では7月2日になる。この天王山の戦いの日の当日は朝から雨が降り、午後4時頃から戦いが始まったようであるが、山上の静寂の中で一人きりで撮影していた私のデジカメの中に正面の天王山の麓一帯を覆うように白、黄、赤の旗指物がひらめき、勝鬨らしい誰かの歓声も聞こえてきた、新幹線が通過した際の反射光と風きり音だったかもしれないが、後で気になってデジカメを確認したが、旗も、声も再生出来なかった。
撮影を終えて下山する時、天王山一帯は水気を含む紫色の霞に覆われていた。

(2)「賢治詩集に入れし文(ふみ)
懐かしき文字
紫陽花の人」(柳子)




次週 予告 「新緑の  安土の山に 西日さす」(本能寺の乱)
  


(3)東北に救援に行かれたJAFの隊員のお二人にラジオに出演して頂いた。(放送は今週土曜OBCラジオ大阪「ハッピーカーライフ」12:10~30分)  敬意と感謝のみ。