クルーザーで波風の少し荒いときに、こんな感じを受けることがある。風や波が帆や船体の何処にどの様に当たっているか実際に目に見えるような錯覚に捉われる。
いきなり唐突に連想が飛躍する、「大型タンカーやコンテナ船、そして豪華客船の船長は帆船操作の経験をして居るのだろうか?」「していれば荒天のとき落ち着いて操船出来るに違いない!」「待てよ、横浜の日本丸は昔、商船学校の練習船だったそうだ」、「そうだ、そこを訪ねて関係者に聞いてみよう!」、早速、車を駆って首都高速を駆け抜け、横浜、みなとみらいの日本丸の係留してある岸壁に着く。
乗船切符を買う窓口で賢そうな女性に上の主旨を言う。「それなら今日は、ボースン(水夫長)も船長もいるから紹介しますね」
ペンキ塗りをしていたボースンが快く仕事を止めて4本のマストとなどへ上げる合計29枚の帆の上げ方の概略を説明してくれた。そして大西船長へ引き継ぐ。
何故この船を、筆者は、「まだ現役大型帆船」と称するか?
筆者は今日まで、古い帆船の博物館と思っていた。しかし大西船長によると船舶検査にも合格し、いつでも東京湾へ出航できる状態で係留されているそうだ。上の写真をご覧頂きたい。潮の干満の影響が多少あるドック内に鉄の鎖でゆったり係留してある。29枚の帆の上げ下ろしは毎月1回以上行われている。東京湾へ出るのは何年かに一度ではあるが。29枚のセールは強風用と弱風用に分けて3セットずつ整備保管してある。
昔この練習船で船長や航海士をしていたOBと派遣された現役の船員や学生が共同で保守管理しながら、一般の人々の帆走訓練を実施している。
今日、説明してくれた大西船長もかつてこの日本丸の一等航海士をし、その後は、同じような練習用大型帆船の船長をしていたという。
大西船長へ聞く「タンカーなどのような大型船の船長は帆船の経験はあるのですか?」「日本人の船長なら全員この船か、同じような大型帆船で訓練を受けています。帆船によって船や海のことを学ぶのです。先生はこの帆船自身です。我々は船が無言で教えていることを時々練習生に説明します。大部分は練習生が直感的に理解します」
明快な回答である。そして意味の深い、興味深い話を長時間、情熱的にしてくれた。
今後、数回にわたり大西船長の話と杉浦昭典著、海洋文庫19「帆船」(舵社1986年発行)の内容をまじえながら数回のシリーズ記事「まだ現役大型帆船日本丸」を掲載することにした。なお杉浦昭典氏は神戸商船大学で大西船長の指導をしてくれた恩師とのことである。
最後に今日いきなり訪問した筆者へ長時間、貴重なお話をしてくれた大西典一船長(財団法人帆船日本丸記念財団、常務理事)へ深甚な感謝の意を表します。
撮影日時:4月25日午後2時、撮影場所:横浜市西区みなとみらい2-1-1岸壁にて
ヨットに打ち寄せる波や風そして舵の手ごたえから、大型帆船の操舵室を思い浮かべる。「この感性はきっと同じに違いない」と。即、行動し確かめるーーー。
さすがに理工派、実践派だなーと、魂消げ恐れ入ります。
藤山杜人様のプログは、ああしたい、こうしたいと考えることを実行してしまうところが素敵です。プロフィールを見ると小生より一回り先輩なはずですが、行動力で負けます。元気をもらいます。
紙上セイリングも楽しみにしてます。
懐かしい風景を見せていただきました。
私が仕事を引退し16年になりますが、引退何年か前この写真のホテル前の
みなとみらい21の仕事にかかわったことがあり、京浜急行の日の出町、桜木町
帆船前や観覧車前を通り仕事先に向かったものです。
完成後のMM21は見ていませんので、来年でも行って見ようと思います。
それにしても凄い行動力ですね。
あまり期待しないで下さい。コメント有難う御座います。敬具、藤山
懐かしい写真を出せて嬉しく思います。
日本丸の現在の船長の話を3時間聞いてきました。
いずれ横須賀風景を戦艦、三笠の写真を中心に撮影しに行こうと思っています。
コメント有難う御座いました。敬具、藤山
そして暖かく見識深いお人柄ゆえ、インタヴュウ相手のハートをオープン
してしまうお力に敬服です。
文敬意のお仕事でもひとかどの方になられたでしょう。
「坂の上の雲」を読み、三笠は拝観しました(船長室、狭!)が、日本丸は未だですので、是非行って見たいと思います。
三笠の船長室は本当に狭いですね。東郷元帥も苦労したのですね。
船を見ると当時の生活の様子が意外に分かり面白いです。
コメント有難う御座いました。 藤山杜人