後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美しい日本庭園を造った無窓国師と小堀遠州

2018年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
若い頃、私は日本庭園が嫌いでした。自然の風景の方が好きでした。
日本庭園は矮小で作り過ぎです。自然で健康な美が無いのです。同じような理由で西洋庭園も好きになれませんでした。草木の配置があまりにもシンメトリーで人工的過ぎるのです。人間の浅知恵を感じておぞましかったのです。
しかし老境に至って感じ方がすっかり変わってきました。
箱庭のように作り過ぎた日本庭園をじっと眺めていると雄大な自然の風景が見えて来るのです。
日本庭園の美しさを知るためには縁先に座って静かに眺めることが重要なのです。歩きながら眺める場合も必ずゆっくり、ゆっくり歩くことが重要なのです。
日本庭園の美しさを楽しむためには静かな時間と見る人の豊かな経験にもとずいた想像力が一番重要なのです。
私は老境に至ってやっと日本庭園の限りない美しさに感動するようになったのです。

今日はこの日本庭園を独創的に造った無窓国師と後の時代の小堀遠州の庭の写真をお送り致します。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。
以下の無窓国師の庭の写真と文章の原典は、https://oniwa.garden/tag/夢窓疎石/ です。


1番目の写真は夢窓疎石が京都の天竜寺に作った池泉回遊式の庭園です。天竜寺は足利氏ゆかりの京都五山の一つです。
夢想国師は鎌倉時代〜室町時代に活躍した禅僧であり、後醍醐天皇から与えられた「夢窓国師」の名でも知られます。
代表作であり世界遺産にも選ばれている天龍寺庭園、西芳寺庭園(苔寺)をはじめ、多くの寺院の庭を造りました。
鎌倉、京都、修行の場であった甲斐国(山梨県)などに庭園が残っています。中には都から離れた四国・高知の「竹林寺庭園」(国指定名勝)というのも夢窓疎石が手がけた庭園と伝っています。

2番目の写真は南禅寺 南禅院庭園です。
夢窓疎石作庭と伝わる池泉回遊式庭園では京都の庭園の中では古い部類に入ります。湯豆腐を食べた記憶はありますが庭のことは忘れていました。

3番目の写真は山梨県の恵林寺の庭です。恵林寺は鎌倉時代に鎌倉より招かれた夢窓疎石によって開かれた寺院で、戦国時代には甲斐武田氏の菩提寺となりました。ここは山の家に近いので何度も訪れています。

4番目の写真は鎌倉の「瑞泉寺」の庭です。この寺は鎌倉時代に夢窓疎石(夢窓国師)により開かれた寺院で、庭園の作庭も夢窓疎石が手掛けたとされています。京都の天龍寺や西芳寺の庭園を手掛ける以前に造られた初期の作品です。
鎌倉地域でよく見られる「やぐら」が岩壁を削り造られ、その岩壁を登るための橋という組み合わせがインパクトを放つています。梅・水仙を見て裏に廻ると荒々しい光景で吃驚します。

さて次は江戸時代の小堀遠州の庭を見ましょう。
以下の小堀遠州の庭の写真と文章の原典は、https://oniwa.garden/tag/小堀遠州/ です。

5番目の写真は東京の「池上本門寺」の庭です。この寺は東京を代表する寺院の一つで、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって建てられました。
池上本門寺境内にある庭園「松濤園」は小堀遠州作庭と伝わる池泉回遊式庭園です。親戚の法事の折りに訪ねて都心にあるのにと雄大さに感動しました。
小堀遠州は江戸時代初期に徳川家康に仕えた大名であり、代表的な作庭家であり、茶道「遠州流」の祖でもありました。
小堀遠州の庭園は、出身地である近江国(滋賀県)を始め、藩主を務めた備中松山、そして江戸時代に政治の中心であった京都・江戸、そして駿府・遠江国(静岡県)に比較的多く集まっています。

6番目も写真は東京国立博物館の庭園です。
『東京国立博物館』の本館の裏にある池泉回遊式庭園です。
庭園内には、小堀遠州によって造られた茶室「転合庵」をはじめ、江戸時代に造られた茶室や書院といった歴史的建造物も数軒移築されています。

7番目の写真は鎌倉の光明寺庭園です。ここは静かで心が落ち着く石庭もあります。
鎌倉の「光明寺」は鎌倉時代に創建された寺院で、江戸時代に造られた大きな本堂が国指定重要文化財になっています。

さて皆様は若いころから日本庭園がお好きだったでしょうか?日本庭園に感動していましたか?
もし感銘を受けていたなら皆様は素晴らしく想像力の豊かな方です。良い感性に恵まれた羨ましい方です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

1 コメント

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心の変遷 (simple10)
2018-12-01 13:37:48
こんな凄いブログもあるんだなあと、後藤さんのブログには感銘を受けています。

「美しい日本庭園を造った無窓国師と小堀遠州」に、下記の通り、コメントを置かせて頂きます。

イイですねぇ~…心情的によ~く分かる気がします。

中国のいくつかの庭園を見学しますと、岩・石が目立ち過ぎますが、それらによって自然の雄大な力強さを感じさせているのかもしれません…また、それが中国の自然なのでしょう。
ただ、私が育った環境が異なりますので、ちょっと、乾いたような、落ち着かない気持ちにもなったりします。

私は、芸術は自我と自我の触れ合いだと単純に思っています。
例えば、私自身が全く経験したことも認識したこともないモチーフをもつ芸術に出会いますと、全く感動しないどころか、場合によっては、不快感を抱くことすらあります。
まあ、周囲からしは、芸術が分かっていないと決め付けられるだけでしょうが…

ただ、芸術を表現技術の面から評価しているケースが少なからずありそうです。
確かに、表現技術が拙ければ、芸術以前の問題になってしまうのでしょうが、私は、芸術=表現技術力とするとには違和感を持っております。

まあ、取り留めもないことを書いてしまいました。
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