後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

渡辺修治 さん・・・潜水艦からヨットへ乗り換えた人生

2011年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争中は潜水艦に乗ってアメリカ海軍と戦い、戦後はヨットの設計・製作と外洋セイリングに一生を捧げた方がいました。2005年に亡くなった渡辺修治 さんです。ヨットマンの間では有名な方で、「どんがめ物語ー潜水艦とヨット」(舵選書:1)という幻の名著を書いておられます。幻の名著と書いた理由は、現在この本が稀書となり、中古本市場で高値で取引されているからです。

随分前に「舵」という雑誌に「どんがめ物語」が掲載されていてこの本の一部を読みました。その時以来、私の心の中に渡辺修治 さんが刻みこまれ、ヨットに乗っているとき荒天の折に思い出していました。「どんなに荒れても無理しないで生還する精神力が重要です」という教訓を思い出すのです。

4年前に自分がブログを始め、他の方々のブログも見るようになったとき、この渡辺修治 さんの息子の康夫さんの奥様がメルさんという名前でブログを書いているのを発見しました。

先日、イギリスのチャーチル首相も愛用し、戦後日本の会社の所有になったシナーラ号の事を記事にしました。そうしたら渡辺康夫さんからメールが来ましてシナーラ号は健在で、現在はシーボニアというマリーナに係留されていると教えてくれました。そして渡辺修治さんのヨットの製作の歴史を書いたメルさんのブログのURL、http://blog.goo.ne.jp/naominoyume_1955/e/cba273687aad81c7bbf4bdd0d3a1faf5 を教えてくれました。

渡辺修治 さんは戦後すぐに「ミス・どんがめ」という名前の小型ヨットを自作して、それ以来数多くのヨットを製作しています。以下がそのリストです。

1947年  ミス・どんがめ 5m キャットリグ・ヨット 自作

1948年  暁丸  8m機帆走漁船  自作

1950年  どんがめ  Ⅱ

1953年  どんがめ  Ⅲ

1954年  どんがめ  Ⅳ

1958年  どんがめ  Ⅴ

1960年  どんがめ  Ⅵ 

1962年   どんがめ  Ⅶ

1967年       天城 Ⅰ(これがレストアをしたヨットです)

1973年   天城  Ⅱ

1986年   どんがめ Ⅷ (メル父さんがメルボルン・大阪D・Hレ-スに参加 ) 

そして1967年には名艇で有名な木造の天城、I号を作っています。

この44年前の名艇を渡辺修治さんの息子の康夫さんが中心になって瀬戸内海のある造船所で復元したのです。下に綺麗に復元された「AMAGI号」の写真をメルさんのブログから転載せて頂きます。

渡辺康夫さんは小生と同じ東北大学の工学部の出身で、宮城帆走協会の設立に貢献したかたです。始めから外洋セイリングをしていた方です。ハンドルネームは「メル父」やmissdongameと言います。1986年にはメルボルンと大阪の間の外洋ヨットレースに「どんがめVIII号」に乗って参加しています。

私が渡辺修治 さんにこだわるのには理由があるのです。「何故、潜水艦とヨットが繋がるのか」という疑問です。海に魅せられたから、海に出たかった。船ならどれでも良かったからと考えました。しかしこれは答えの半分です。何故ヨットなのですか?

先日、このブログでドイツに派遣された5隻の潜水艦の記事を掲載しました。戦争中、日本の海軍は154隻の潜水艦を作り、敗戦までにその127隻が戦没したのです。潜水艦に乗っていた渡辺修治 さんが生き残ったのは幸運以外のなにものではありません。

敵を殺し、親しい仲間が死んだのです。戦争のための船は絶対に止めよう。風の力だけで航海し、平和な目的だけの船にしよう。そして海に出て、戦死した仲間の弔いをしようと思ったのかも知れません。潜水艦の構造は近代科学の極致です。それに一番対照的なのはヨットではないでしょうか?自然の力だけで海を自由に航海出来るのです。これが、「何故、潜水艦とヨットが繋がるのか」という疑問へ対する私の解答です。想像した解答ですから間違っているかも知れません。

この記事には続編を書いて見たいと思っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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1 コメント

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後藤様 (メル母さん)
2011-11-26 23:06:35
後藤様
「父とヨット」のメル母さんです。http://blog.goo.ne.jp/naominoyume_1955/

この度は、父(義父)の事をブログに取り上げてくださってありがとうございます。
後藤様のシナ-ラについてメ-ルを差しあげたのは、メル母さんの夫(渡辺康夫)です。

覚えていらっしゃいますか?

メル母さんが「父とヨット」を書き始めた頃、何度か、後藤様のコメント欄にコメントを差しあげた事がありますが、その頃はハンドルメ-ルをメルと名乗って下りました。
今は、メル母さんと名乗っております。
確か、下田の家の話などを後藤様のブログでもご紹介して下さいました。
その節はありがとうございました。

義父の事を覚えて下さってとても嬉しいです。
2005年に義父がなくなり、先週、下田にて7回忌を無事に終え、ほっとしたところです。

メル母さんも最近、ヨットブログ村に入会致しまして、いつも後藤様のブログを楽しく、拝見させて頂いています。

お乗せくださった写真は10月にレストアを終え、進水しました「天城」改め、「AMAGI」のシェ-クダウンの様子です。

木造船は今となってはとても貴重で、甦った事をとても嬉しく思っています。
亡義父も天国で喜んでくれていると思います。

何かのご縁でこうして後藤様にコメントを再び、差しあげられる事に感謝致しております。

今後とも夫・メル父さん共々、宜しくお願い致します。


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