後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「江戸時代の農家の写真を撮りに行った」

2024年04月13日 | 写真
小金井公園の一画に「江戸東京たてもの園」があります。そこにある江戸時代の3軒の農家の写真を撮りに行って来ました。
こういう農家は私が1945年の夏に疎開した農家とよく似ております。仙台市が焼け野原になった直後に宮城県の北部の農家へ疎開したのです。 それまで都会生活でしたので農家での生活は辛かったです。転校した田舎の小学校にもなじめず苦しい学校生活でした。しかし今となっては懐かしい思い出です。
1番目の写真は八王子千人同心の組頭の家です。
2番目の写真は世田谷区岡本三丁目にあった江戸時代中期の綱島家(農家) です。
3番目の写真は江戸時代後期の三鷹市野崎二丁目にあった吉野家(農家)です。
4番目の写真は台所に隣接してある囲炉裏です。

4番目の写真は台所にある大きな水瓶です。井戸から汲み上げた水を入れておきます。
6番目の写真は台所から見た板の間と奥の座敷です。

「ゴルバチョフ元ソ連大統領は2022年に死す」

2024年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
 以下はゴルバチョフ元ソ連大統領の死亡記事です。

2022年8月31日、By Reuters
[モスクワ 30日 ロイター] - 東西冷戦の終結をもたらしたゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。モスクワの病院関係者が明らかにした。
ゴルバチョフ氏は1985年に54歳でソ連共産党書記長に就任。「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」政策でソ連の政治、経済の改革を断行した。
米国と軍縮合意を結んだほか、第2次世界大戦後に欧州を分断していた「鉄のカーテン」を開放し東西ドイツ統合を実現するため、西側とのパートナーシップを構築。90年にノーベル平和賞を受賞した。
ただ、グラスノスチ政策で以前は考えられなかった党や国家に対する批判が可能になったと同時に、ソ連内の民族主義を刺激。ラトビア、リトアニア、エストニアのバルト3国などが独立を主張し始めるなど、91年のソ連崩壊につながった。
多くのロシア国民はゴルバチョフ氏の改革で引き起こされた混乱を許すことができず、ソ連崩壊後の生活水準の低下は民主主義の代償としては高すぎると認識。



「春爛漫の日々に思う悲惨なウクライナの戦乱」

2024年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。しかしウクライナでは悲惨な戦乱が起きています。何故人間は戦争をするのでしょうか。ウクライナでの戦争を考えざるを得ません。少し考えてみました。
ウクライナの戦乱を歴史的に考えてみます。ロシアが悪いと非難すべきは明白です。しかし歴史的かつ客観的に考えると別な理解が出てきます。
ウクライナの戦乱は旧ソ連の内戦です。旧ソ連の中枢を担ったウクライナとロシア・ベラルーシが対立し戦争になったのです。
1991年に旧ソ連が崩壊します。ロシア・ベラルーシは共産主義体制のままですがウクライナは資本主義の国家になってしまったのです。旧ソ連時代にロシアの親友だったウクライナがロシアを裏切ったのです。当然ロシアは怒り心頭です。恥じも外聞のなくウクライナへ軍事侵攻したのです。
この経緯を見ると現在も続くウクライナの戦乱の原因は旧ソ連の崩壊になります。これは明白な歴史的事実です。

1番目の写真は旧ソ連の地図です。12の連邦国を示した地図です。
1から12までは次のようになります。
1.アルメニア 2.アゼルバイジャン 3.ベラルーシ 4.エストニア
5.ジョージア 6.カザフスタン 7.キルギス 8.ラトビア 9.リトアニア
10.モルドバ 11.ロシア 12.タジキスタン 13.トルクメニスタン
14.ウクライナ 15.ウズベキスタン
(出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E5%B4%A9%E5%A3%8A です。)

それでは何故ソ連が崩壊したのでしょうか?
 豊富な資源に恵まれたソ連は戦後、重工業を発展させました。しかし共産主義の下では競争が乏しく、技術の革新が遅れました。また軍事に偏った経済は、社会に大きなひずみを生みました。
 1985年に書記長になったゴルバチョフさんは、問題を解決しようと自由な経済を導入する「ペレストロイカ(改革)」を始めました。
またアメリカにも歩み寄りました。1989年末に、ゴルバチョフさんはアメリカのブッシュ大統領(当時)と、冷戦の終結に合意しました。ベルリンの壁が崩れたドイツは、90年に東と西が一緒になりました。また、東ヨーロッパでは次々と政権が倒れました。

2番目の写真はゴルバチョフさんです。
ゴルバチョフさんは数々の改革をしながら共産党の一党独裁を見直し、大統領になりました。
ところが、これまでのソ連を守りたい一派のクーデターで力を失いました。代わってソ連を構成する共和国の一つであったロシアのエリツィン大統領がクーデターを鎮め、力を握りました。
1991年12月にはゴルバチョフさんは大統領を辞任。ソ連は15か国に解体され、崩壊しました。ソ連は国連の常任理事国でしたが、そうした国際的な地位や核兵器などは、ロシアが引き継ぎました。
そうしてその後、ゼレンスキー大統領のウクライナが西側の資本主義国家と友好関係を築きます。当然ロシアは怒り心頭です。軍事侵攻です。

3番目の写真はロシアの軍事侵攻が一先ず収まり仮の平和を喜ぶウクライナ市民のデモです。出典は、https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01237/ です。
ウクライナの中央と西部は仮の平和になりましたがロシアは東部の州とクリミア半島をロシア領として併合したのです。これをウクライナは許すことは出来ません。
そのうえ北朝鮮の金正恩氏はロシアを訪問しプーチン大統領に軍事支援の約束をしたのです。従ってウクライナの戦乱は長期化するのです。
日本も長期にわたってウクライナを支援しなければなりません。実に困った情勢です。
ウクライナへのロシアの軍事侵攻は世界の国々と日本にも重大な影響があるのです。

ウクライナの戦争が一日も早く終わって平和になるようにお祈りします。

それはそれとして、 今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「春爛漫の日々、花を描いた名画を楽しもう」

2024年04月13日 | 写真
春爛漫の日々が続きます。良い季節になりました。何故か心がうきうきします。こんな朝は花を描いた名画を眺めると良いと思います。
花を描い美しい絵の写真をお送りいたします。

1番目の写真はルドンの「野の花」です。1840年、フランス出身の象徴主義オディロン・ルドンの作です。

2番目の写真はルノワールの「花瓶の花」です。 

3番目の写真はセザンヌ作 の「花と果物のある静物」です。

4番目の写真はゴッホの「青い花瓶の花」です。

今朝は花を描い美しい絵の写真をお送りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)