後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本への布教活動の基地、マカオの教会の写真

2019年09月25日 | 日記
ポルトガルの領地だったマカオは日本へのカトリックの布教活動の基地でした。
ザビエル神父もロドリゴ神父もガルペ神父もマカオを出発して日本に来たのです。
当時のマカオの様子は原作遠藤周作、スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』の初めの方の場面に出てきます。(2017年01月28日 掲載記事)
島原の乱も終り、江戸幕府のキリシタン弾圧がほぼ終了した時代に、2人のポルトガル人神父が行方不明の司祭を探しに無謀にも九州へ潜入して来たのです。ロドリゴ神父とガルペ神父です。この2人がマカオの教会を背景にして石段を下りて来る場面が印象深いのです。
かつて尊敬していた司祭のフェレイラ神父は棄教し、幕府側になってキリシタンを捕縛、棄教させる役をしているという噂です。潜入したロドリゴ神父とガルペ神父は信者にかくまわれながらフェレイラ神父を探しまわります。

この映画の話はさておき今日はマカオのカトリック教会の写真をお送りいたします。

1番目の写真は世界遺産聖ポール天主堂跡です。1637年に建てられました。
写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。
3回の火災で建物の前面しか残っていない状態が歴史を考えさせます。 存在感があるのです。

2番目の写真は聖ドミニコ教会です。
世界遺産に指定されている聖ドミニコ教会は1587年に建てられました。中国で最も古い教会の一つです。 写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。

3番目の写真は聖ドミニコ教会の内部です。
写真の出典は、https://www.compathy.net/tripnotes/17616 です。

4番目の写真は聖フランシスコ・ザビエル教会です。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/聖フランシスコ・ザビエル教会_(マカオ) です。
1928年に創建されました。日本初のキリスト教布教をしたザビエルを記念する教会です。
かつてはザビエルの右腕の骨などが納められていました。現在は聖ヨゼフ修道院及び聖堂に移されているそうです。

5番目の写真はマカオのペンニャ教会です。
写真の出典は、https://macaunavi.com/recommend/ペンニャ教会/ です。
最初の教会は航海の安全を守る聖人を祭るために1622年に建てられたと言われており、その後一度消滅し1837年に再建、1935年にマカオカトリックの主教館を併設する現在の教会が建てられました。
歴史的には十分世界遺産の価値がありながら、建て直しと増築によってリストから外れた教会です。
教会前の広場から階段を下りると、フランス聖地のルルドを模した洞窟とルルドの聖母像があるそうです。

さて話は変わりますが、ついでに日本にあるサビエル記念聖堂の写真もお送りします。

6番目の写真は山口市にあるザビエル記念聖堂です。
ザビエルの山口での布教活動から400年記念として1952年(昭和27年)に建てられました。
初代の聖堂はザビエルの生家のスペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して建てられました。パンプローナ市は1980年に山口市と姉妹都市提携を結んでいます。
しかし初代の聖堂は1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼しました。
その後サビエル記念聖堂の所有者であるイエズス会より多くの資金援助を受け、更に山口市民、全国から寄せられた善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に再建されました。

私共は 昭和27年に建てられ初代の教会を訪れたことがあります。それは古風な教会でした。しかしザビエルの生家を想像するのは難しかったことを覚えています。懐かしい以前のサビエル記念聖堂の光景を思い出します。

さてこうして私は中国や台湾や韓国やフィリピンのカトリック教会の写真をご紹介してきました。
これは私にとって巡礼の旅のような気分になります。この旅はまだまだ続きます。ベトナム、インドへと続いて行きます。
こんな旅の道連れになって下さる皆様へ感謝します。尊敬します。どうぞ今後もお気軽に道連れになって頂けたら幸いです。有難う御座います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。