後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ちょっと故郷に帰る・・・白壁の倉を見て元気になる」

2023年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
地方で生まれ育った人が都会に住んでいると、時々、都会に疲れます。
そんな折にはちょっと故郷に帰り、白壁の倉のある風景を見ると心が和みます。元気が出てきます。
私も地方から出て来て東京に住んでいます。ところが何十年たっても都会に疲れるのです。それは不思議な感情です。
故郷は遠過ぎるので、私は都下の檜原村へ行きます。そこには白壁の倉のある家が数軒あるのです。白壁が周囲の森の深緑の中で輝いているのです。何故か元気が出ます。撮って来た写真を示します。
1番目の写真は檜原村の養沢を少し遡った所にある家の白壁の倉の写真です。
2番目の写真は1番目の写真と同じ家の裏にあるもう一つの倉の写真です。

3番目の写真は養沢をさらに遡った所にある家の写真です。母屋の左右に倉があります。
4番目の写真は母屋の左にある倉の写真です。
5番目の写真は養沢に沿った道と石垣のある風景です。川石を拾い集めて丹念に積み上げた石垣です。
6番目の写真は養沢の川面の写真です。
7番目の写真は養沢をさらに遡った場所の風景です。

このような白壁と清流のある山里の風景を見ると心がなごみます。心の疲れが消えてしまいます。元気になります。
私は何故白壁の倉が好きなのでしょうか?考えても理由は分かりません。
生まれ育った仙台には白壁の倉がありません。記憶にありません。しかし夏ごとに父と帰省していたお寺には白い大きな倉がありました。
祖父が住職をしていた山郷の寺は集落を見下ろす高台にあり白壁の土塀に囲まれ、庫裏の横には白い倉があったのです。
それが珍しくよく倉の中に入って遊んだものです。
そして何十年も通った甲斐駒岳の麓の小屋のある農村にも白い倉が沢山あったのです。
そこは山梨県の武川村と言いました。私の小屋の周辺には柳沢と横手という集落がありました。そのどちらの集落の多くの農家には白壁の倉があったのです。その地区は江戸時代から武川米という有名な米が採れたので農家は裕福だったのです。家々に倉があり、それが白い花崗岩で出来た甲斐駒と見事に調和して素晴らしい景観を作り出していたのです。
この山の小屋には楽しい思い出が沢山あります。私の第二の故郷です。
現在は北杜市に合併された武川村の小屋に行くのも、年老いて億劫になりました。
皆様はどうのような故郷をお持ちでしょうか?
都会で生まれた方には故郷が無いとよく聞きます。しかし故郷というものは心の中に思うものです。ですから都会育ちの人々も好きな場所を自分のふるさとと思い定めることは自由です。心の中にふるさとを持つと心がなごみませんか?きっと幸せな感じがすると思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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