東部ニューギニア戦線に動員された日本軍(第18軍、第4航空軍、海軍部隊)はおよそ15万名、うち、約12万8千名が戦没したとされていますが、その多くは飢餓やマラリアなどの病、さらに長距離にわたる敗走のさなかに密林や山岳地帯において斃れたとされています。
ニューギニアへの進出はブナ・ゴナ地区での戦闘から始まりました。
1942年3月8日、日本軍は連合国軍の拠点ポートモレスビーの攻略を視野に入れて飛行場を確保するため、南海支隊の一部をサラモアに、海軍陸戦隊をラエに上陸させます。どちらも連合軍はすでに撤退していたため、抵抗を受けることなく占領が行われました。
しかし3月10日、空母「ヨークタウン」「レキシントン」を基幹とするアメリカ軍空母機動部隊が日本軍を空襲します。
この攻撃で付近にいた日本の艦船が4隻が沈没、9隻が損傷します。
その後の終戦までのニューギニアでは混戦が続きます。
そして安達軍司令官は降伏したのです。
1944年6月、ウェワクには第18軍の残存兵力が集結していた。東部ニューギニアに投入された総計16万名の兵力は、このとき5万4,000名にまで減少していた。残存部隊も、それまでの戦闘と補給途絶による飢餓と病気で、消耗した状態だったのです。
安達軍司令官は最後の決戦としてアイタペ奪還を命じます。
1944年の7月10日夜から日本軍は渡河攻撃を開始し、一時はアメリカ軍を包囲する態勢に入りました。しかし、アメリカ軍の増援部隊が到着すると押し戻された。日本軍の後続部隊は、空襲や艦砲射撃に移動を妨害されます。
1944年の8月4日には日本軍の食糧・弾薬は尽き、各歩兵連隊の兵力は100名以下にまで損耗しました。安達軍司令官は攻撃停止を指令し、日本軍は撤退したのです。
この作戦での日本軍の損害は戦死者だけで1万3,000名に達し、アメリカ軍の死傷者は約3,000名でした。
ニューギニア島での悲惨な戦闘に関連する写真をお送り致します。
1番目の写真はニューギニア島の原住民です。
2番目の写真は連合軍のニューギニア島のホーランジアへの上陸のためのアメリカの艦船です。
3番目の写真は連合軍のニューギニア島のニューブリテン島への上陸です。
4番目の写真はニューギニア島の歓喜嶺での山岳戦
5番目の写真はニューギニア島のビアク島で戦う連合軍です。
6番目の写真は安達軍司令官のニューギニア島の降伏です。
今日は「日本の悲劇」の(6)として、ニューギニア島での悲惨な戦闘の様子をお送り致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
ニューギニアへの進出はブナ・ゴナ地区での戦闘から始まりました。
1942年3月8日、日本軍は連合国軍の拠点ポートモレスビーの攻略を視野に入れて飛行場を確保するため、南海支隊の一部をサラモアに、海軍陸戦隊をラエに上陸させます。どちらも連合軍はすでに撤退していたため、抵抗を受けることなく占領が行われました。
しかし3月10日、空母「ヨークタウン」「レキシントン」を基幹とするアメリカ軍空母機動部隊が日本軍を空襲します。
この攻撃で付近にいた日本の艦船が4隻が沈没、9隻が損傷します。
その後の終戦までのニューギニアでは混戦が続きます。
そして安達軍司令官は降伏したのです。
1944年6月、ウェワクには第18軍の残存兵力が集結していた。東部ニューギニアに投入された総計16万名の兵力は、このとき5万4,000名にまで減少していた。残存部隊も、それまでの戦闘と補給途絶による飢餓と病気で、消耗した状態だったのです。
安達軍司令官は最後の決戦としてアイタペ奪還を命じます。
1944年の7月10日夜から日本軍は渡河攻撃を開始し、一時はアメリカ軍を包囲する態勢に入りました。しかし、アメリカ軍の増援部隊が到着すると押し戻された。日本軍の後続部隊は、空襲や艦砲射撃に移動を妨害されます。
1944年の8月4日には日本軍の食糧・弾薬は尽き、各歩兵連隊の兵力は100名以下にまで損耗しました。安達軍司令官は攻撃停止を指令し、日本軍は撤退したのです。
この作戦での日本軍の損害は戦死者だけで1万3,000名に達し、アメリカ軍の死傷者は約3,000名でした。
ニューギニア島での悲惨な戦闘に関連する写真をお送り致します。
1番目の写真はニューギニア島の原住民です。
2番目の写真は連合軍のニューギニア島のホーランジアへの上陸のためのアメリカの艦船です。
3番目の写真は連合軍のニューギニア島のニューブリテン島への上陸です。
4番目の写真はニューギニア島の歓喜嶺での山岳戦
5番目の写真はニューギニア島のビアク島で戦う連合軍です。
6番目の写真は安達軍司令官のニューギニア島の降伏です。
今日は「日本の悲劇」の(6)として、ニューギニア島での悲惨な戦闘の様子をお送り致しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)