私は昭和11年に生まれ現在77歳の男性です。
昭和16年12月8日に真珠湾攻撃があり、昭和20年8月15日に終戦になりました。そして戦後の教科書や雑誌に下の写真が掲載してありました。
8月15日正午の昭和天皇による終戦の放送を聞いた人々が三々五々と皇居前広場や靖国神社の前に集まり、土下座している写真です。
平和が68年も続いた現在も、そして将来も日本民族には決して忘れて貰いたくない写真です。そんな理由からもう一度以下に示します。
上と下は皇居前広場の8月15日の正午過ぎからの午後と想像されています。
このような終戦後の土下座写真は8月16日の朝日や毎日や読売の朝刊に掲載されました。
現在の日本人が見ると非常に奇異な印象を受けるので、近年は「やらせ写真」だという人もいます。現在の日本人には信じられない光景なのです。
しかし、写真から匂い立つ必死の祈りの雰囲気と、それぞれの人々の様子から私は本物の写真だったと信じています。
現在の日本人は上の写真を見て、何を感じ、そして考えるのでしょうか?
写真を丁寧に見ると土下座して祈っているのは婦人が多く、そして男性も地面に正座したり立って祈っています。
皇居前では天皇陛下へ自分達の力不足を謝っているのかも知れません。天皇の悲しみと落胆を慰めようとしているのかも知れません。口惜しさ、無念、悲しなどの入り交じった必死の祈りなのでしょう。
靖国神社の前では帰らぬ自分たちの夫や父へ悲痛な惜別の祈りをしているのでしょうか。涙を流しながら本当にお疲れ様、ご苦労さま、有難うと感謝の祈りをしているのかも知れません。
しかし私は怒りを覚えます。日本は神州だから絶対に勝つと宣伝していた軍部やそれの同調した政治家たちへ対する深い怒りを感じます。
戦争を煽り立てた新聞や放送局へ対して憤激しています。
そして騙されても昭和天皇や帰らぬ父や夫のために祈っている人々へ深い同情と憐れみを感じます。祈る人には平安な気持がやって来ます。ここで祈っていた人々は食糧難の戦後でも幸せな人生を送ったと、私は信じたいのです。
日本民族は天皇を大切にしつつも絶対に神として信仰の対象にしてはいけません。
朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、そして数多くのテレビの報道を絶対に鵜呑みにして信じてはいけません。外国の立場に立って自分の頭で客観的に考えて、行動することが大切なのです。
韓国や中国を非難し、扇動的な報道を続けているマスコミを信じてはいけません。自分の頭で客観的に考えることこそ一番重要なことです。
今日、わざわざこれらの写真を掲載したのは、再び民族として誤った選択をしないようにしたいためなのです。日本人が忘れてはいけない写真と思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
共感しておりますので引用させて頂きます。
>私は怒りを覚えます。日本は神州だから絶対に勝つと宣伝していた軍部やそれの同調した政治家たちへ対する深い怒りを感じます。
ー戦後、責任もとらずいた人が家の近くにおりました
>戦争を煽り立てた新聞や放送局へ対して憤激しています。
ー戦後の変化は驚くばかりです。
>そして騙されても昭和天皇や帰らぬ父や夫のために祈っている人々へ深い同情と憐れみを感じます。祈る人には平安な気持がやって来ます。ここで祈っていた人々は食糧難の戦後でも幸せな人生を送ったと、私は信じたいのです。
>日本民族は天皇を大切にしつつも絶対に神として信仰の対象にしてはいけません。>>天皇も望まれていないと思います。
>朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、そして数多くのテレビの報道を絶対に鵜呑みにして信じてはいけません。外国の立場に立って自分の頭で客観的に考えて、行動することが大切なのです。>>そのように
努力するつもりです。
>韓国や中国を非難し、扇動的な報道を続けているマスコミを信じてはいけません。自分の頭で客観的に考えることこそ一番重要なことです。>>非難はしませんが身知かではあまり良い印象もった経験が
少ないです。
>今日、わざわざこれらの写真を掲載したのは、再び民族として誤った選択をしないようにしたいためなのです。日本人が忘れてはいけない写真と思います。>>お言葉の通りだと思います。
コメント有難うございます。
深い内容のコメントですが、そのご意見に賛同しながら拝見いたしました。
本当有難うに御座いました。
敬具、後藤和弘