人はいろいろな土地に住んでます。山里や海辺だったり都会だったりいろいろです。私は東京の小金井市に60年ほど住んでいます。海から離れた内陸です。そんな訳で時々海が無性に恋しくなります。のたりのたりと波が打ち寄せる春の海です。とくに鎌倉の海は遠浅でのどかに波が打ち寄せます。今朝はそんな風景を思い出しています。
1番目の写真はのどかな鎌倉の春の由比ヶ浜です。波穏やかな遠浅の海です。
波のきらめきが美しく見えます。 写真の出典は、https://tanosii-kamakura.jp/?tdate=2016-4-22-225 です。
波のきらめきが美しく見えます。 写真の出典は、https://tanosii-kamakura.jp/?tdate=2016-4-22-225 です。
2番目の写真も鎌倉の海の由比ヶ浜です。由比ヶ浜は、鎌倉駅から歩いても15分ぐらいです。江ノ電に乗って由比ヶ浜駅で降りれば5分ぐらいで行けます。
3番目の写真は由比ヶ浜で遊んでいる鳩たちです。ちょっと印象深い写真です。海岸を歩いて坂ノ下から長谷に向かって行くと鎌倉の大仏があります。
4番目の写真は長谷にある鎌倉の大仏です。大仏の写真の出典は、https://www.travel.co.jp/guide/photo/9059/2/ です。
私にとって鎌倉は特別な意味があります。家内が生まれ、そこで終戦の年まで育った場所でした。終戦時は国民学校2年生でした。
家内は結婚以来何度も、何度も鎌倉での楽しい思い出を話します。
結婚以来、私共の生活は経済的に苦しい時もありました。しかし妻は何時も天真爛漫として明るく暮らしています。
家内は結婚以来何度も、何度も鎌倉での楽しい思い出を話します。
結婚以来、私共の生活は経済的に苦しい時もありました。しかし妻は何時も天真爛漫として明るく暮らしています。
家内が生まれて小学校の頃まで住んでいた場所は長谷寺の近くで現在の鎌倉文学館の下でした。幼稚園は六地蔵の傍にあった聖母幼稚園へ行っていたそうです。その幼稚園を現在、名前は変わっていましたがあります。
小学校は御成小学校で現在も当時のままの門があります。昔家内の家のあった場所には1975年頃迄は当時のままの2階建ての家が残っていました。
そしてそこから路地を抜けて、江の電の線路を渡ると由比ヶ浜です。夏になると親類の若者や子供達が海水浴に来て何日も泊ったそうです。
小学校は御成小学校で現在も当時のままの門があります。昔家内の家のあった場所には1975年頃迄は当時のままの2階建ての家が残っていました。
そしてそこから路地を抜けて、江の電の線路を渡ると由比ヶ浜です。夏になると親類の若者や子供達が海水浴に来て何日も泊ったそうです。
鎌倉に行く度に家内が元気になるので何度も行くことになりました。そのうち私自身も第二の故郷のように思うようになったのです。
ついでに言えば家内は4月4日に生まれました。春の海が美しく輝いていた日だったそうです。それで名前は春海と言います。
今日はのたりのたりと波が打ち寄せる鎌倉の春の海の写真をご紹介致しました。そして鎌倉で生まれ育った家内の幼少の頃のことを書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)