後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

惜別の漢詩と63年前の旧友との再会・・・・陽関を出づれば故人なからん

2014年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム
昔は唐時代の漢詩を学校で一生懸命教えていたものです。ですから高齢者の人々は漢詩の幾つかを憶えていて、折にふれ詠み返しています。
私の好きな漢詩に、王維が友人の送別のために書いた、「渭城の朝雨、軽塵をうるおし」で始まる七言絶句があります。唐の都から西の陽関という関所を越えて西域の僻地に旅立つ親友との惜別の詩です。もう二度と会えないかも知れない友へもう一杯の酒を飲んでくれと言いながら別れを惜しんでいるのです。
「元二の安西に使するを送る」

渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出ずれば故人無からん


「送元二使安西」
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
この詩のポイントは故人にあります。故人とは古くからの友人や親友の意味です。そして 陽関は関所の名で、現在の甘粛省敦煌県の西南の玉門関の陽(みなみ)にあったのです。
それはさておき、先週の金曜日に仙台で63年前の旧友達に再会したのです。市立愛宕中学校の二期生の同期会がありました。その中学校を卒業したのは1951年ですから63年ぶりの再会です。もっとも正確にいえば昨年も一昨年も同期会に出席しましたから63年ぶりとは違いますが。
皆様のうちで地方から中央に出て活躍しようとした方々も多かったと思います。当時は青雲の志を持って上京したのです。
その時、旧友達は何度も送別会をしてくれました。そして漢詩の得意な人がこの詩を朗誦したものでした・・・・
渭城の朝雨 軽塵を潤し~客舎青青柳色新たなり~~
君に勧む更に盡くせ一杯の酒~~~
西のかた陽關を出ずれば故人無からん~~~

そして競争の激しい中央の実社会で苦しい思いや悲しい思いをして停年です。恥ずかしいこともしました。それは一朝邯鄲の夢でした。
そうして63年ぶりに郷里の旧友に会ったのです。不思議に60年以上前の皆の顔が鮮明に蘇るのです。老人が少年、少女に見えるのです。彼等とは一別以来60年以上会っていません。私が純粋だった少年の頃しか知っていないのです。安心です。くつろげます。傍にいると中学校でのことや遊びまわった山や草原や広瀬川の川原を思い出すのです。
そして360人以上いた二期生も70人ほどが旅立ってしまったのです。この同期会は21名だけが集まりましたので、来年はもう止めようという意見もありました。それを聞きながら「君に勧む更に盡くせ一杯の酒~~~」と私は心の中で朗誦していました。
下に広瀬川の写真と広瀬通りの写真と東一番丁の写真を示します。最後の写真は同期会の様子です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)









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