後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「哀愁漂う小樽の写真」

2024年07月31日 | 写真
小樽は何度行っても旧懐の情や哀愁の情が掻き立てられます。郷愁というかノスタルジアというか、心の奥の方にささやかな赤い火がポッと灯ります。
まず暗い運河の写真を示します。2010年の6月17日の夕暮れに家内が撮りまた。
1番目の写真は暗い運河と石造りの倉庫です。この倉庫の中は土産物屋になっています。

2番目の写真は土産物屋になっている倉庫の外壁です。蔦や雑草に覆われていますが内部には明るい照明が輝き綺麗な商品が並んでいるのです。倉庫群がそのまま商業施設になっています。
小樽のその他の商店の風景を示します。
3番目の写真は石造りの倉庫がそのまま菓子店になっている風景です。内部は明るい色彩に溢れています。
4番目の写真は海運業者のビルをそのままガラス細工の土産物屋に使っている風景です。内部にはベネチアから運んで来たゴンドラが飾ってあり華やかな雰囲気です。

5番目の写真は明治時代の役所のような建物です。中の1階部分は公開してありました。
小樽の暗い印象の原因の一つは1933年に特高に殺された小林多喜二を思い出すからです。享年29歳でした。小林多喜二の『蟹工船』を思い出すのです。
そんなことを思い出したので、小樽では小林多喜二がよく行った店で食事をしました。
私は共産主義は嫌いです。しかし以下は日本の歴史の一つの裏面としてご紹介したいと思います。
小林多喜二は1903年10月13日、秋田県に生まれ4歳のときに一家で小樽に移住し小樽で育ち作家として立ちました。プロレタリア文学の旗手と目され1930年に上京、翌年、当時非合法であった日本共産党に入党、困難な地下生活を余儀なくされながらも旺盛に執筆活動を展開しました。そして1933年2月20日に29歳で没しました。

以上のような暗い歴史を暗示するような小樽の冬景色を示します。

6番目の写真は塔のある古い建物です。雪を被って寒々としています。
写真の出典は、https://ovo.kyodo.co.jp/news/life/travel-news/a-1397278 です。

7番目の写真は雪のある明治時代の役所のような建物です。冬でも観光客が沢山います。小樽は独特な魅力があるので四季折々観光客が絶えないのです。写真の出典は、https://ovo.kyodo.co.jp/news/life/travel-news/a-1397278 です。

今日は哀愁漂う小樽への旅をご紹介しました。そして『蟹工船』という小説で有名な小林多喜二をご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人) 


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