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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

絶滅寸前のヨーロッパの少数民族(1)北欧のサーミ民族の文化

2018年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
世界のいろいろな少数民族の文化を知るとその多様性と洗練さに驚きます。ですからそれを調べることが私の趣味になっています。この趣味の背景は次の記事で説明しました。『嗚呼、何故今年もこの詰まらない趣味を続けるのか?』(2018年1月3日掲載)。
この記事の中で台湾に住んでいる16の少数民族を紹介しました。台湾政府が保護し、原住民専用のテレビ局も所有していることも紹介しました。
そこで今回から西ヨーロッパの少数民族を取り上げて簡略に紹介したいと思います。
民族の厳密な定義は難しいものですが、ここでは簡単に「固有の言語を持っている」ということに限定します。
すると西ヨーロッパには以下のように13ほどの少数民族が住んでいるのです。
1、サーミ人(北欧およびロシア北部)
2、カタローニィア人(スペイン)
3、フリース人(ドイツ・オランダ)
4、ソルブ人(ドイツ)
5、コーンウォール人(イギリス)
6、スコットランド人(イギリス)
7、アイリッシュ・トラヴェラー(アイルランド)
8、ガリシア人(スペイン)
9、メルチェーロ(スペイン)
10、南チロル人(イタリア)
11、 ジュラ人(スイス)
12、 フリーウリ人(イタリア)
13、 ラディン人(イタリア)
14、その他
(以上は、http://reki.hatenablog.com/entry/171024-West-European-Minority を参考にしました)
さて今日は人口も多く居住地も北欧からロシア北部へと広範囲に住んでいるサーミ民族(ラップランド民族)の暮らしと文化を簡単にご紹介したいと思います。

1番目の写真は昔のサーミ民族の家と民族衣装を着た家族の写真です。このような家には住んで近代的な家に住んでいます。テントはトナカイの放牧地の休憩用で、中で焚火をして弁当を食べたりコーヒーを淹れます。

2番目の写真はサーミ民族を主題にしたある映画の場面です。少女達は色鮮やかな衣服でお洒落をしています。

3番目の写真は民族衣装で着飾った女性の後ろ姿です。

4番目の写真はトナカイの放牧風景です。トナカイからは乳を搾り、肉を食べ、毛皮で服を作り、骨でいろいろな道具を釣ります。サーミ民族の命を支えるもっとも重要な価値なのです。

5番目の写真は固い北方の木をくり抜いた器です。水飲みにも使い、熱いスープも入れて食器としても使えます。大きさもいろいろあります。

さてサーミ民族は、スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部に紀元前から居住していた先住民族です。
フィン・サーミ諸語に属するサーミ語を話しますが、ほとんどがスウェーデン語、フィンランド語、ロシア語、ノルウェー語なども話すバイリンガルです。現在はサーミ語だけでは生きていけないのです。
ちなみにサーミの別名のラップランドとは辺境の地を呼んだ蔑称であり、彼ら自身は、サーミと自称しています。
もともとは、狩猟と遊牧を行なってきた原住民族でしたが、現在ではほとんどのサーミは定住生活をしでいます。
ノルウェー語ではかつて「ラップ人」とも呼ばれていたが、現在では古語または蔑称と受け取られています。
人種はフィン人とともに北ヨーロッパ系の特徴である金髪碧眼のゲルマン系同様にコーカソイドに属しますが、モンゴロイド系の父系遺伝子も多分に見られるそうです。この特徴は紀元前の中国東北部にある遼河文明人からも発見されているそうです。
さて今回の連載は「絶滅寸前のヨーロッパの少数民族」となっていますので、何故絶滅しそうになっているか、その原因を書いておきます。
原因の一つにサーミ民族の精霊信仰がキリスト教に駆逐されたことがあります。

サーミ人の信仰は、昔から森羅万象に宿る様々な精霊を対象とした精霊信仰でした。
季節、人間や動物の健康や繁栄、自然がもたらす様々な災害や恩恵、これらのあらゆる物が精霊の力によるものと信じていたのです。
そのため、全ての事象の根源である精霊の声を聞くシャーマンの存在は、サーミ人の宗教において必要不可欠なものだったのです。
精霊たち、また、父であり、母である太陽や大地と交信し、森羅万象の変化の原因を突き止めるために存在していたのがシャーマンであったのです。シャーマンは極めて稀な才能であり、それ故に、彼らは常に尊敬と畏怖の対象であり続けました。

こうした精霊信仰も、16世紀に入り、キリスト教の布教がラップランドまで及んだ時、弾圧の対象となったのです。
現在サーミ人の大多数がルーテル教会、もしくは正教会に属しています。この流れに抵抗し、精霊とシャーマンへの信仰を忠実に守り続けたサーミ人も、決して少なくはなかったのですが、宣教師たちは、彼らを迫害し、特にシャーマン自身の改宗、撲滅に努めたのです。
キリスト教布教の動きが最も高まったのが、19世紀、サーミ人であるラエスタジアス牧師が、サーミ人の改宗に訪れたときでした。
彼が創始したラエスタジアス派はノルウェー、スウェーデン、フィンランドで現在でも広く信仰されているそうです。
しかしこのキリスト教のサーミ人への布教は、サーミ固有の文化の破壊を意味します。
その上、サーミ人は北欧とロシアの諸国家へ分割帰属してしまったのです。
こうしたキリスト教化の流れの中で、それでもシャーマンは19世紀半ばまで生き残っていました。
精霊についての知識や薬草を用いての民間療法の方法は現在でも伝承されていますが、それと信仰が結びつくということは、完全になくなってしまったのです。
考えてみると少数民族の消滅とは避けることの出来ない歴史の必然なのでしょう。
それにしてもある文化が失われることは人類の文化がより貧しくなることです。淋しいです。悲しむべきことです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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